壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

雁がね

2008年10月14日 21時56分48秒 | Weblog
        雁がねもしづかに聞けばからびずや     越 人

 越智越人は、俳号で知れるように、明暦二年(1656)に越路に生まれた。壮年のとき名古屋に出て、紺屋を営み、名人肌で三日働き、三日遊ぶという暮らしぶり。
 貞享のはじめ芭蕉の門に入り、同四年(1687)に芭蕉に従って伊良湖に杜国を訪れた。
 翌年には『更科紀行』の旅で信州姥捨の月を見、江戸で蕉門の人と唱和した。その後、師の俳風についていけず、しばらく俳壇との交渉を絶っていた。正徳(1711~)のころ再び復帰した。はなやかな作風を有していたが、同じく蕉門十哲の一人、支考と論争を繰り返して、貧窮孤独のうちに七十余歳の生涯を終えた。

 芭蕉好みの越人は、貞享五年八月、『更科紀行』の旅に師のお伴をして、木曽路から碓氷峠を経て江戸深川の芭蕉庵に入った。そのとき、師との両吟歌仙を巻いた際の発句が、「雁がねも」の句である。芭蕉はこれに、「酒強ひならふこの比の月」の脇をつけている。
 江戸における芭蕉の生活は、地方にいるものにとって、興味と関心をそそるものである。越人もその例にもれず、それが現実となり、静かな秋の夜に師と向かい合って、葦荻をなでるかのような風や、闇を破る艪の音を聞きながら感慨をいっそう深めたものと思われる。

 句は、「鳴きわたる雁の声も、ここ深川の草庵におちついて聞けば、なんと枯淡な風情ではございませんか」の意で、芭蕉庵の閑寂な趣を賞賛し、庵主への挨拶としたものである。
 下五の「からびずや」の「からび」は「乾び」あるいは「枯び」で、「や」は反語ををあらわす助詞である。
 「雁がね」は、「雁の声」と「雁」との二つの意があり、秋の季語である。

 この句は、越人初期の素直な気持ちが詠まれ、江戸における其角をはじめ他の門人とも親密となるきっかけの句、といってもよい。
 のちに蕉門の十哲となる越人の地位もようやく確立し、尾張蕉門の中心となった。


      村祭きつねがおかめ小突きけり     季 己