壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

燕帰る

2008年10月01日 21時23分58秒 | Weblog
        燕去つて丘のあをぞらのこりけり     さかえ
 この句にピッタリの風景が、いま銀座・画廊宮坂で開催中の「山高 徹 展」の作品の中にある。
 爽やかな秋の空気にふさわしい光景、その描かれた風景の中から金木犀や銀木犀の浄らかな香りがただよい、しみじみと秋を味わわせてくれる。
 もう1、2度、個展会場へ出かけ、どっぷりと「秋」に浸かるとしよう。

 燕は、桜の咲く頃に日本にやって来て、秋草の花が千種に匂う頃、遠く海を渡ってフィリピンやニューギニア地方へ帰ってゆく。
 四、五月の苗代、六月の田植え時、水も沸く七、八月の田草取りから、黄金波打つ九月まで、燕は、すっかり稲作の状況を見届けて、南の国へ帰る。
 毎年、同じ家に来て、同じ軒端に巣を営むといわれる燕は、日本の土地とそこに住む人々の生活に、無関心であるわけはなかろう。

 昔から燕は、益鳥の筆頭に数えられ、特別に保護され、燕も人を恐れず、家の軒下で安心して雛を育てる。言葉の通じない人と鳥であっても、お互いの愛情には何か温かい血の通うものがあるのだろう。

 最近のように、高層建築が林立する都会では、燕もさぞかし生活が苦しかろう。中には大都会の消防署内に巣をつくり、話題になったこともある。
 生ゴミの氾濫から急増した烏の暴力には、困りきっているに違いない。
 地方の過疎と、都市人口の空洞化も、燕たちにとっては異様なものと見られるだろう。あらゆる交通機関の高速化と、乗り物の氾濫も、燕たちの神経をすり減らしていることと思う。

        秋燕にしなのの祭湖荒れて     多佳子
 秋燕(しゅうえん)とは、渡り去るまでの燕をいい、時期になってもなかなか帰らずチラホラと目につくものを残る燕という。

 シベリアの東部・朝鮮・中国などの各地から南へ帰った燕たちと、日本から帰った燕たちとが、それぞれの土地の変わりゆく情報をお互いに交換して、さぞかし、お互いに愚痴をこぼしていることであろう。
 インドネシアやマレーシア・フィリピン・インドなどの町々には、毎年、電線も低く垂れ下がるほどの燕が群がり止まって、各地からの土産話に花を咲かせているに違いない。


      修行まだ残る木犀にほひけり     季 己