壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

秋刀魚

2008年10月25日 22時07分15秒 | Weblog
 大型スーパーの「秋の駅弁祭り」で、駅弁を買った帰り、カメラをぶら下げた男女の集団と出会った。見るともなしに見ていると、みな戦前からの木造家屋が被写体のようだ。 
 このあたりは、昔は三河島といい、典型的な下町というより場末と言ったほうが当たっている。傾きかけた軒、玄関脇の雑然と並んだ植木鉢の花など、一人がカメラを向けると、すぐに他の人もカメラを向けシャッターを切る。
 どうして一つの方向からしかものを見ないのだろう、と自分のことは棚に上げて、その場を去った……。

 秋が深まるにつれ、市場に溢れるほどにとれるのが秋刀魚であるが、今年はどうであろうか。魚が苦手な変人には、興味がないのでわからない。
 ただ、ひとさまの句を拝見するのに、知識として一通りのことは承知していないと、失礼になると思い、勉強しているに過ぎない。

        あはれ
        秋風よ
        情(こころ)あらば伝へてよ
        ――男ありて
        今日の夕餉に ひとり
        さんまを食ひて
        思ひにふけると
         (中 略)
        さんま さんま
        さんま苦いか塩つぱいか
        そが上に熱き涙をしたたらせて
        さんまを食ふはいづこの里のならひぞや
        あはれ
        げにそは問はまほしくをかし

 あまりにも有名な、佐藤春夫の「秋刀魚の歌」の最初と最後の一節であるが、こんな句もある。
        
        男あり晩き夕餉の秋刀魚焼く     寛 彦
        秋刀魚焼く鰥(やもめ)に詩あり侘しとや     蓼 汀

 ‘秋刀魚’と書くように、サンマは秋の魚である。ことに東京では、五月の鰹と並んで、秋刀魚は、食膳になくてはかなわぬ秋の味覚、といわれている。
 夏の間は北海道方面に群れており、水温が下がると、三陸沖から太平洋岸を南下して、鹿児島あたりまで泳いでゆくという。
 秋刀魚は、十月、十一月の頃に脂ののりきった盛りの魚が、房総沖の網にかかって、関東地方の家々の食膳を賑わせる。
 関西では、サイラと呼ぶが、あまり南へ行くと、身がしまり過ぎて、脂も少なくなり、冬の干物にすることが多く、秋の関東ほど美味しい魚とはされていない。
 関東では、「サンマが出るとアンマが泣く」と言われるほど、栄養価が高く、値段は低い、庶民の魚として、大歓迎されてきている。

 通が言うには、秋刀魚は、鮎と同じく、少々苦味のある腸の風味が珍重されるもので、脂の多い腸を抜かず、そのまま炭火にかけて、じゅうじゅうと滴る脂にパッと焔が上がるような塩焼きを、大根おろしにお醬油をかけて食べるのが、野性味豊かなご馳走だ、とのこと。
 落語の「目黒の秋刀魚」は、まさにその大衆料理の真髄をついたものであろう。

        秋刀魚焼く煙の中の妻を見に     誓 子
        火だるまの秋刀魚を妻が食はせけり     不死男

 こんな風景は、今日のようなアパートやマンション暮らしでは、近所迷惑で、それも出来たものではない。
 秋刀魚は、江戸時代には季語とされていないようで、それほど尊重されなかったらしい。だが、毎年秋になると、鰯や鰊と同じように、季節の回遊魚として親しまれ、今もって衰えることはない。


      だしぬけに秋刀魚のけむり三河島     季 己