壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

平山(ならやま)

2008年10月23日 21時53分05秒 | Weblog
                 笠 女 郎(かさのいらつめ)
        君に恋ひ いたもすべなみ 平山の
          小松が下に 立ち嘆くかも (『萬葉集』巻四)

   あなたに焦がれて、ひどくやるせないために、こちらの平山(ならやま)の
   小松原のところに立ちつくして、嘆息をもらしているばかりでございます。
 という訴えである。
 「訴ふ」は、感覚または心にはたらきかける意で、「歌う」と同義ではなかろうか。「小松が下に 立ち嘆くかも」というところが、ひどく、われわれの心を刺激するのだ。

 笠女郎の歌は、『萬葉集』中に二十九首あるが、すべて大伴家持に贈った歌である。この歌は、巻四にある、二十四首のひとまとまりの中にあるもの。

 平山は、いまの奈良山のことで、若草山の西の、かなり広い地域にわたっての低い丘陵地帯で、部分称として、佐保山・佐紀山がある。
 ‘ナル・ナロ・ナラ’とは、今でも、低く平坦な高地を意味し、平山(ならやま)の文字がそれを示している。平山の麓に開いたから、平城京であり、奈良なのである。
 佐保川が若草山麓をめぐって平地に出、奈良山の南を西流しているが、佐保川と奈良山のあいだが佐保の内と言われ、大伴氏その他の豪族・皇族の邸宅があった。
 だから、奈良山に立って南を見下ろせば、すぐ目の下に、家持の邸が見えたはずなのである。家持からすれば、この歌は、邸からすぐ仰がれる丘で、気強い女に立ち嘆かれたという圧迫感があったことだろう。

 「いたもすべなみ」は、『萬葉集』の中にも多くの用例があり、坂上郎女や家持も使っていて、常套文句であったと思われる。月並みな言葉を口にしているあいだに、「平山(ならやま)の」の固有名詞に行き着いて、作者の姿勢がきまってくる。下二句の正直で飾り気のなさが、続いてうちだされる。「平山の」が、すぐ「小松」を導き出すことは、「平山の小松が末(うれ)の」(巻十一)の例からも想像できる。

 笠女郎は、萬葉末期の女流恋愛歌人の代表であろう。相当な才女であるが、この時代になると、歌としての修練がすでに必要になってきているから、藤原朝あたりのものとも違って、もっと文学的にならんとしつつある。
 しかし、この歌のいかに快いものであるか、後代の歌に比べて、いまだ萬葉の実質の残っていることを思わねばならない。
 情熱的な表現の歌が多いが、同時に女歌の作歌技巧の習練を積んでいることを感じさせる。

 ところで、平井康三郎作曲の有名な歌曲「平城山」も、「ならやま」と読む。作詞は北見志保子で、磐之媛皇后御陵の周辺をさまよったときにつくった短歌七首のうちの二首に、平井が曲をつけたものという。
        人恋ふは かなしきものと 平城山に
          もとほりきつつ 堪へがたかりき
        古(いにしへ)も 夫(つま)に恋ひつつ 越えしとふ
          平城山のみちに 涙おとしぬ

 北見志保子も情熱歌人で、与謝野晶子に次ぐくらいの恋愛歌人でもあったようである。恋愛はさておき、早く、名曲「平城山」を自在に、篠笛で吹けるようになりたいものだ。高音が非常にむつかしいが……。


      火吹竹吹くにはあらず秋の雨     季 己