壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

秋祭

2008年10月11日 21時06分26秒 | Weblog
 毎月、第二・第四土曜日の午後は、篠笛の稽古日である。
 日々、練習はしているのだが、いつまでたっても音が満足に出せない。正確にいえば、家で練習しているときには、結構よく音が伸びているのだ。それが、カルチャーの教室に行くと、ガチガチに緊張して肩に力が入っているのが、自分でもよくわかる。口元はわなわなと震え、音も童謡小学唱歌。
 いつになったら平常心で吹けるようになるやら、ひたすら稽古に励むしかないのか。

 笛に付き物といえば、祭であろう。俳句では、ただ「祭」といえば、祭礼に関係のある言葉の多くとともに、夏の季語とされている。
 豊作祈願の感謝の意味の祭は、「秋祭」という。このほか『歳時記』には傍題として、「村祭」・「里祭」・「浦祭」・「在祭」が載っている。
 黄金色の稲穂の波に、鎮守の杜の白い幟がよく合う。

   村の鎮守の神さまの
   今日はめでたいお祭日
   どんどんひゃらら、どんひゃらら
   どんどんひゃらら、どんひゃらら

 むかしの小学唱歌に懐かしい、笛や太鼓の音が、朝から野山に響いて、心も浮き立つばかり。
 都会のお祭といえば、賑やかなのは決まって夏祭。秋の例祭といえば、厳粛な儀式ばかりが執り行なわれる所が多いようである。
 氏子の生活と密接に結びついている田舎の小さな社のお祭は、やはり稲の取り入れも終わって、身も心も豊かになった秋のものである。

        豆腐屋が寄付を集めに秋祭     みどり女
 いろいろと境遇の違う人たちが、雑然と入り混じって暮らす都会の夏祭は、一部の人たちの楽しみで、あとの人たちは、毎年の寄付に閉口しているといった有様。
        
   年も豊年満作で
   村は総出の大祭

 同じような環境によって、同じ農業や漁業を営み、大自然の四季の移り変わりとともに歩調を合わせ、喜びも悲しみも共にする農山漁村の人々にとって、秋の祭は、村中総出の楽しみなのである。

        満汐の向ふの町の秋祭     汀 女
 川を境に向うは町、こちらは人家もまばらな集落であっても、一つの鎮守のお祭ともなれば、呼吸を合わせて、家々には御神燈がかかげられ、浮き立つ気分は一つになる。

        漁夫の手に綿菓子の棒秋祭     三 鬼
 冬を控えて漁の忙がしい時ではあっても、お祭の日ばかりは、一軒残らず網を干し漁を休む。朝から酌み交わす祝い酒に、日焼けした渋紙色の顔を、胸元まで赤くほてらせて……、そんな漁師の手に、社の境内で買った綿菓子の棒だけが残っている。
 西東三鬼のこの句は、大野林火の「暮れて知る葛西の町のあきまつり」と共に、秋祭の句の最高峰であると思う。 


      秋まつり天保銭をうらがへし     季 己