壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

南天の実

2008年10月27日 22時39分40秒 | Weblog
 「秋の日は釣瓶落とし」というが、その夕映えに、ふと気がついて見ると、もう玄関脇の南天の実が赤くなって、花の乏しくなった暮の秋を美しく彩っている。

        うつくしき夕映えのあり実南天     春 樹

 これから冬を越して、来る春の日まで、南天の実は、いつまでも褪せることのない紅玉の房で、われわれの眼を楽しませてくれるのだ。
 その間、幼稚園では、園児らのままごと遊びのご馳走にもなるだろうし、雪国では、雪兎のかわいい眼にもなることだろう。

 南天は、「難を転ずる」といって縁起のいい木とされ、庭園に植えられる。拙宅では、玄関の脇と裏口の脇に植えている。高さは二メートルほどだが、三メートルを超すこともあると聞いている。
 梅雨の頃、白い小さな花を穂状につけていた。それが、花のあと丸い小さな実をたくさんつけ、いま赤く色づいている。

 南天は、南天燭とも、南天竹とも、南燭とも、南天竺とも、いろいろに漢字を当てられる中国原産の植物である。
 白い実の白南天、淡黄色の潤南天、紫色の藤南天などがある。乾燥させた南天の実は、昔から咳の薬として用いられ、とくに白南天の実がよく効くとされている。

 この南天が、初めてヨーロッパに紹介されたのは、元禄三年(1690)に我国へ来た、オランダ人のケンペルによって描かれた、南天の花や葉の絵によったものという。また、十八世紀の末に、日本の植物を研究したツンベルグは、これに、ナンディナ・ドメスティカ・ツンベルグという学名を与えている。おそらくナンディナというのは、日本語のナンテンから取ったものであろう。
 事実、今から七百八十年ほど前に記された、藤原定家の日記『明月記』の寛喜二年(1230)六月二十二日の条には、
   「暮レニノゾミ、中宮ノ権ノ大夫、南天竺ヲ選バレ、前栽ニ之ヲ植ウ」
 とあるから、その頃すでに、南天が庭木として用いられていたことが知られる。


      南天に近づく日暮れ観世音     季 己