壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

秋の夜を

2008年10月31日 15時04分52秒 | Weblog
        秋の夜を打ち崩したる話かな     芭 蕉

 「二十一日、二日の夜は、雨もそぼ降りて静かなれば」と、『笈日記』に前書がついているが、それは『笈日記』の編者支考がつけたものである。
 もっとも支考は、奈良以来ずっと芭蕉に付き添っているから、この句の作られた夜は、雨がしょぼしょぼ降っていたと信ぜられる。
 芭蕉の、意専・土芳宛ての手紙には、「秋夜」と前書がつけてある。

 元禄七年(1694)九月二十一日夜、大坂の車庸亭(しゃようてい)での七吟半歌仙の発句として作られた句で、季語は「秋の夜」。
 「打ち崩したる話」は、しかつめらしい話ではなく、うちとけた、にぎやかな、明るい談笑であろう。その「打ち崩したる」は、また、上の「秋の夜」を受けてもいて、秋の夜の静けさ、寂しさを破り、一座がにぎやかに、さんざめいている様子である。
 雨がしょぼしょぼと降る秋の夜の寂しさを打ち消し、固さをときほぐすように、一座の人々がにぎやかに談笑しているさまであるが、しかしふと気がつけば、まわりは暗い、さびしい秋の夜で、一座の中だけが明るく、華やかなのである。
 芭蕉が「秋夜」と前書をつけたのは、華やかな中に秋の夜のあわれが底にあると考えたからであろう。

 実はこのときの一座七人の中には、大坂の芭蕉門で多少の対立関係にあった之道(しどう)と酒堂(しゃどう)が居り、芭蕉は二人の間を取り持とうという気持もあって、こういう発句を詠んだのではと想像される。
 そう思えば、弾む談笑の中に加わりながら、しかし一方で二人の間を気遣う、覚めた心の芭蕉の胸中には、「秋夜」のあわれが沁みたことであろう。


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