蛤のふたみにわかれ行く秋ぞ 芭 蕉
『おくのほそ道』は、この一句で終わる。「……旅の物うさもいまだやまざるに、長月六日になれば、伊勢の遷宮おがまんと、又舟にのりて」と前文があり、この句を置いている。大垣に集って芭蕉の無事を喜んだ弟子たちへの別れの挨拶である。
長旅の末、ここ大垣の人々にあたたかく迎えられたが、今また自分は、
伊勢の遷宮を拝そうという心に惹かれ、蛤が蓋と身に引き裂かれるよう
な思いで、伊勢の二見をめざし再び旅立とうとしている。いよいよその
別れに際してみると、周囲の風物には秋の行く気配がひとしお感じられ
て、流転のおもいを新たにすることである。
『おくのほそ道』のあの長い旅をひとまず終えて、ゆとりのある気持ちで伊勢に向かおうとしているのだ。伊勢への道は、これまでの旅とは打って変わって、勝手知ったる道でもあり、二十年に一度という遷宮を拝もうというのであるから、それにはおのずと心のはずみも湧く。大垣に心を残しながら、伊勢に惹かれてやまない心の動きがここにはある。
そうしたゆとりとはずみとは、自然と句の発想の上にも影を落とし、興じた句調が生まれてきている。
「蛤(はまぐり)」といったのは、西行の
今ぞ知る 二見の浦の 蛤の
貝合せとて おほふなりけり (『山家集』下)
があったからであろう。
「蛤のふたみ」と「蛤」を枕詞のように使って、和歌で「ふた」にかかる枕詞「玉櫛笥(たまくしげ)」を「蛤」と言い換えたところが俳諧。櫛笥とは、櫛などの化粧道具を入れておく箱のことで、「玉」は美称。
この句で「ふたみ」、「行く」が掛詞であることはいうまでもない。
以上のように、枕詞・掛詞ふうの措辞になっているが、これは意識的に修辞的技巧を凝らしたというよりは、困苦に満ちた長旅の果ての自在な心から、口をついておのずと現れてきたものであろう。
この句を、作品『おくのほそ道』に即して言えば、冒頭の「草の戸も住替る代ぞ雛の家」をうけて、万物流転、人生は無限に続く旅であるとの思いがこめられていることになろうし、「行く春や鳥啼き魚の目は泪」に対して、首尾相応じた見事な結構を完成し、作品をしめくくっていることになるのである。
ただし、「行く春や」の句は、事実としては旅行の門出に当たって作られたものではなく、元禄六年ごろ『おくのほそ道』執筆の際に、「行く秋ぞ」の句に呼応させて作られたものと考える。
縄文のヴィーナスの眼も秋深む 季 己
『おくのほそ道』は、この一句で終わる。「……旅の物うさもいまだやまざるに、長月六日になれば、伊勢の遷宮おがまんと、又舟にのりて」と前文があり、この句を置いている。大垣に集って芭蕉の無事を喜んだ弟子たちへの別れの挨拶である。
長旅の末、ここ大垣の人々にあたたかく迎えられたが、今また自分は、
伊勢の遷宮を拝そうという心に惹かれ、蛤が蓋と身に引き裂かれるよう
な思いで、伊勢の二見をめざし再び旅立とうとしている。いよいよその
別れに際してみると、周囲の風物には秋の行く気配がひとしお感じられ
て、流転のおもいを新たにすることである。
『おくのほそ道』のあの長い旅をひとまず終えて、ゆとりのある気持ちで伊勢に向かおうとしているのだ。伊勢への道は、これまでの旅とは打って変わって、勝手知ったる道でもあり、二十年に一度という遷宮を拝もうというのであるから、それにはおのずと心のはずみも湧く。大垣に心を残しながら、伊勢に惹かれてやまない心の動きがここにはある。
そうしたゆとりとはずみとは、自然と句の発想の上にも影を落とし、興じた句調が生まれてきている。
「蛤(はまぐり)」といったのは、西行の
今ぞ知る 二見の浦の 蛤の
貝合せとて おほふなりけり (『山家集』下)
があったからであろう。
「蛤のふたみ」と「蛤」を枕詞のように使って、和歌で「ふた」にかかる枕詞「玉櫛笥(たまくしげ)」を「蛤」と言い換えたところが俳諧。櫛笥とは、櫛などの化粧道具を入れておく箱のことで、「玉」は美称。
この句で「ふたみ」、「行く」が掛詞であることはいうまでもない。
以上のように、枕詞・掛詞ふうの措辞になっているが、これは意識的に修辞的技巧を凝らしたというよりは、困苦に満ちた長旅の果ての自在な心から、口をついておのずと現れてきたものであろう。
この句を、作品『おくのほそ道』に即して言えば、冒頭の「草の戸も住替る代ぞ雛の家」をうけて、万物流転、人生は無限に続く旅であるとの思いがこめられていることになろうし、「行く春や鳥啼き魚の目は泪」に対して、首尾相応じた見事な結構を完成し、作品をしめくくっていることになるのである。
ただし、「行く春や」の句は、事実としては旅行の門出に当たって作られたものではなく、元禄六年ごろ『おくのほそ道』執筆の際に、「行く秋ぞ」の句に呼応させて作られたものと考える。
縄文のヴィーナスの眼も秋深む 季 己