壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

一座建立

2008年10月28日 21時47分01秒 | Weblog
 下落を続けていた株価が、ようやく上向き始めたようだ。
 遠出をした帰り、日本橋に寄り、証券会社の電光掲示板を見つめていた。いかにも株を持っているふりをして。(でも、どう見ても株を持っているようには見えないか) 
 その足で、銀座の「画廊 宮坂」へ行き、楽しみにしていた『菅田友子 日本画展』を、舐めるように見せていただく。あげくに、図々しくも<オープニングパーティー>にも……。

 帰宅後、『広辞苑』で、「一座建立(いちざこんりゅう)」を引いたら、
   「猿楽などで、一座を経営して立ち行かせること」
 とあった。つぎに、「一座」を引いたら、
    ①第一の上席。上座。
    ②同じ座にすわること。同座。同席。
    ③その座席全体の人。満座。
    ④(説法・連歌・講演・講談などの)一回。一席。
    ⑤能役者・俳優・芸人などの一団体。
 と、多様な意味合いを持つ。

 「一座建立」は、本来は『広辞苑』にあるように、猿楽などで、一座を経営していくことを言った。
 今でも劇団などで「○○一座」という呼称を、見たり聞いたりする。さらに、お茶会で、「一座建立」という名称を用いる。
 一人で、一座建立が出来るであろうか。大勢の者が集まり、協力して初めて一座が建立されるのではないか。
 劇団の一座が、座頭(ざがしら)はじめ、舞台の奈落の底で働く無名の要員までが、エゴイズムを捨てて脚本に焦点を合わせてこそ、一座は成り立つ。それは、音楽の楽団にあっても同じことがいえよう。
 劇団でも楽団でも、その構成員が、観衆や聴衆の喝采をねらってするエゴ的なスタンドプレーは許されない。もしそれをあえてするなら、その当人の自殺行為となるだろう。全員が、お互いに自分も生き他を生かしていく“保ち合い”のこころがあって、はじめて「一座建立」となる。

 劇団は、いろいろな配役が協力して、一座が建立される。善人だけで一座が出来るものでもないし、悪人ばかりで建立されるものでもない。
 “保ち合い”とは、まことに風雅な呼び名だ。“保ち合い”というと、今では株式相場が変動せずにつづいている状態を言うが、本来は“もちあい”とも言って、互いに力を合わせて持つことを言うので、たんなる取引用語ではない。

 人生もまた、善人悪人によって、一座が建立されていく。
 舞台上でこそ、いがみあい・争い・わめき・怒るが、緞帳がおりて楽屋へもどれば、善人も悪人もないではないか。
 オープニングパーティーの善人の中に、一人くらい悪人ならぬ変人がいても、まあ、いいか……。


      煩悩のひとつふたつが花野道     季 己