昨日のめぐみ在宅でのデスカンファの事例は、先月私がケアマネでお見送りをした独居の方でした。
一緒に頑張ってくれたヘルパー事業所のサービス担当責任者の方も来てくれました。
今後、増えて行くであろう天涯孤独、独居での看取りをするにあたって、どのようにしていったらいいのか、何が課題なのか、また生活そのものを支えるヘルパーさんから見た問題点はなにか、などに焦点をあてて話し合いました。
冒頭、小澤先生が『「デスケースカンファレンス」ではなく「メモリアルカンファレンス」と呼んでいるところもあるますが、どっちがいいんでしょうね。』とぼそっと呟きました。
確かに、「デス」は死そのものでダイレクトですが、「メモリアル」・・・
すぐ近くにそういう名前の葬儀社があって、なんか抵抗が・・・
ほかの人たちも「・・・」って感じで、そのまま次の話題に行ってしまいましたが、どうなんでしょうね?
医療者側からいえば、まぎれもない「デスケース」なのでしょうが、時に御家族もお招きしての、ここでの振りかえりに、ご家族は抵抗感を持たないのでしょうか?
なんでも横文字じゃなくて、亡くなられた方への関わりを、振り返るためのこのカンファを、もっときれいに表現できないものかな?と思ったりして・・
とはいえ、ボキャブラリーの少ない私では、思い当たる言葉もなく、やはりデスカンファになってしまうんでしょうが・・
で、今回ヘルパーさん側からの反省や今後の課題などを話してもらいました。
ひとつは、頻回な終末期の訪問にあたって、ヘルパーのレベルに個人差がある事が問題と感じたそうです。
ターミナルの患者さんに接する機会があって、きちんと向き合えて接せられる人と、経験が不足していて、どう対応したらいいかよくわからない人がいるという格差に、事前に全員で「準備」をする必要性を感じたというのです。
今どのような状態で、これからどう変わっていくのかがわからず、自分たちとしては「まだ、もう少し時間がるのではないか。」と思っていたのに、あっという間に病状が急変してしまった事に、とてもびっくりしたと言いました。
連絡ノートや、訪問先での接点では、看護師から病状経過を伝え、なにかあればいつでも連絡を取れる状況にはなっていましたが、末期癌の場合、多くはかなりギリギリまで、自立されているため、歩けなくなってからのスピードに戸惑っていたようでした。
病気や年齢などにもよって、個人差はありますが、ヘルパーさんたちが意識的に接し、経験値をあげて学んでいくことが大切だと思いました。
そのためには、事業所自体が意識的に、モチベーションを高くもっていかないと、ただただ「怖い。」とか「不安」とか「あれもできません。これもだめです」と言うことになり、ひどい時はとなりのおばちゃん状態になってしまいます。
今回、以前も一緒に独居の方をお見送りしたこの事業所をお願いして正解でした。
新人さんにはちゃんと経験値の高い方がついていましたし、ケアもよくやってくれました。
自律の強い方でしたので、ぎりぎりまで自分でなんでもしていました。
ふらふらの状態でも買い物に行き、一口も喉を通らなくても、自分で野菜を煮込んでいました。
トイレも、亡くなる2日前まで抱えられながらも行っていました。
常に、枕元にお酒の瓶と煙草を置いて、一口も飲みこめない状態でも、「燗をしておいてください」と言った人です。
それに対しても、否定をせず、本人から「もう出来なくなったので、お願いします。」と言う言葉を待って、ご希望に沿って行ってくれました。
「思いに沿う。」ことと好き勝手にさせる事は違います。
「清拭も、料理もさせてくれないので困ります。」と言う話は、この場面では通じません。
その空気を読めないと、サービス業者はプロではないですよね。
もう一つは、こんな過酷で負担の大きい仕事を、夜間まで誰がするのか、と言う事です。
当然人材確保は難しく、この事業所も先日夜間の対応が困難になりました。という通知を出したばかりです。
訪問看護の24時間も同じです。
人の善意だけでは、継続は無理です。
それなりの経費と人材育成がなされなければ、3Kだ5Kだと言われるこの仕事を、受け継いでいく人なんかごくわずかですよね・・・
それだって、どこまで、身体が持つのか…使い捨てじゃあ困ります。
ここをどうするのか、ここは国のレベルで考えてもらいたいですね。
それから、家はあるけれど最低年金程度で、生活保護には至らないが、サービスを必要なだけ使えるほどの余裕がない場合は、どうすればいいのか・・・
「家を担保にお金を借りる。」事も出来るのだそうですが、本人がそう簡単に同意するのか??
安心センターは手続きばかり大変で、ハードルも高くて、時間もやたらかかるので、身寄りがない、または絶縁状態の場合は、行政書士さんにお願いして後見人などのサポートをしてもらう。と言う話もでました。
このケースは、区の担当者がいまだに縁戚を探しては、残ったお金の管理をお願いすべく、交渉中です。
こういう場合(絶縁中の親族がいる場合)すみやかに後見人などをつけるには、何が一番イイか、どなたか教えてください。
・・と、長くなってしまいました。
明日はまた、寒いそうです.
皆様お気をつけて。
一緒に頑張ってくれたヘルパー事業所のサービス担当責任者の方も来てくれました。
今後、増えて行くであろう天涯孤独、独居での看取りをするにあたって、どのようにしていったらいいのか、何が課題なのか、また生活そのものを支えるヘルパーさんから見た問題点はなにか、などに焦点をあてて話し合いました。
冒頭、小澤先生が『「デスケースカンファレンス」ではなく「メモリアルカンファレンス」と呼んでいるところもあるますが、どっちがいいんでしょうね。』とぼそっと呟きました。
確かに、「デス」は死そのものでダイレクトですが、「メモリアル」・・・
すぐ近くにそういう名前の葬儀社があって、なんか抵抗が・・・
ほかの人たちも「・・・」って感じで、そのまま次の話題に行ってしまいましたが、どうなんでしょうね?
医療者側からいえば、まぎれもない「デスケース」なのでしょうが、時に御家族もお招きしての、ここでの振りかえりに、ご家族は抵抗感を持たないのでしょうか?
なんでも横文字じゃなくて、亡くなられた方への関わりを、振り返るためのこのカンファを、もっときれいに表現できないものかな?と思ったりして・・
とはいえ、ボキャブラリーの少ない私では、思い当たる言葉もなく、やはりデスカンファになってしまうんでしょうが・・
で、今回ヘルパーさん側からの反省や今後の課題などを話してもらいました。
ひとつは、頻回な終末期の訪問にあたって、ヘルパーのレベルに個人差がある事が問題と感じたそうです。
ターミナルの患者さんに接する機会があって、きちんと向き合えて接せられる人と、経験が不足していて、どう対応したらいいかよくわからない人がいるという格差に、事前に全員で「準備」をする必要性を感じたというのです。
今どのような状態で、これからどう変わっていくのかがわからず、自分たちとしては「まだ、もう少し時間がるのではないか。」と思っていたのに、あっという間に病状が急変してしまった事に、とてもびっくりしたと言いました。
連絡ノートや、訪問先での接点では、看護師から病状経過を伝え、なにかあればいつでも連絡を取れる状況にはなっていましたが、末期癌の場合、多くはかなりギリギリまで、自立されているため、歩けなくなってからのスピードに戸惑っていたようでした。
病気や年齢などにもよって、個人差はありますが、ヘルパーさんたちが意識的に接し、経験値をあげて学んでいくことが大切だと思いました。
そのためには、事業所自体が意識的に、モチベーションを高くもっていかないと、ただただ「怖い。」とか「不安」とか「あれもできません。これもだめです」と言うことになり、ひどい時はとなりのおばちゃん状態になってしまいます。
今回、以前も一緒に独居の方をお見送りしたこの事業所をお願いして正解でした。
新人さんにはちゃんと経験値の高い方がついていましたし、ケアもよくやってくれました。
自律の強い方でしたので、ぎりぎりまで自分でなんでもしていました。
ふらふらの状態でも買い物に行き、一口も喉を通らなくても、自分で野菜を煮込んでいました。
トイレも、亡くなる2日前まで抱えられながらも行っていました。
常に、枕元にお酒の瓶と煙草を置いて、一口も飲みこめない状態でも、「燗をしておいてください」と言った人です。
それに対しても、否定をせず、本人から「もう出来なくなったので、お願いします。」と言う言葉を待って、ご希望に沿って行ってくれました。
「思いに沿う。」ことと好き勝手にさせる事は違います。
「清拭も、料理もさせてくれないので困ります。」と言う話は、この場面では通じません。
その空気を読めないと、サービス業者はプロではないですよね。
もう一つは、こんな過酷で負担の大きい仕事を、夜間まで誰がするのか、と言う事です。
当然人材確保は難しく、この事業所も先日夜間の対応が困難になりました。という通知を出したばかりです。
訪問看護の24時間も同じです。
人の善意だけでは、継続は無理です。
それなりの経費と人材育成がなされなければ、3Kだ5Kだと言われるこの仕事を、受け継いでいく人なんかごくわずかですよね・・・
それだって、どこまで、身体が持つのか…使い捨てじゃあ困ります。
ここをどうするのか、ここは国のレベルで考えてもらいたいですね。
それから、家はあるけれど最低年金程度で、生活保護には至らないが、サービスを必要なだけ使えるほどの余裕がない場合は、どうすればいいのか・・・
「家を担保にお金を借りる。」事も出来るのだそうですが、本人がそう簡単に同意するのか??
安心センターは手続きばかり大変で、ハードルも高くて、時間もやたらかかるので、身寄りがない、または絶縁状態の場合は、行政書士さんにお願いして後見人などのサポートをしてもらう。と言う話もでました。
このケースは、区の担当者がいまだに縁戚を探しては、残ったお金の管理をお願いすべく、交渉中です。
こういう場合(絶縁中の親族がいる場合)すみやかに後見人などをつけるには、何が一番イイか、どなたか教えてください。
・・と、長くなってしまいました。
明日はまた、寒いそうです.
皆様お気をつけて。
成年後見ですが,親族に申し立てる人がいない場合,市長申立という方法があります。横浜市は,他自治体に比べると,対応が良いようです。また、生活保護の方には,費用を支援する仕組みもあります。
成年後見は,判断能力の減退から来る不都合を支援するものなので,ここであがっている方が対象にはならない様に思います。任意に,生活支援の代理を委任するということになります。
成年後見についてのお話など出来ますので,ご相談ください。営業みたいでもうし訳ありません。
ぼくは、かかりつけ社会福祉士という仕事の仕方を目指して活動しています。
判断能力のある人は、後見人は対象外なんですね。
任意契約での代行業務と言うのが、死後の財産管理も含むのでしょうか?
また、まったくお金がなければ、生保でいいのですが、小さくても持ち家があって、年金がごくわずか、または無くて少ない貯金の切り崩し、などの場合が一番困ります。
家を担保とか、貯金を使いきって、と思う私たちの思惑は、ご本人にしてみれば、納得しがたい事もあり、難しいですね。
任意契約での代行は、いくらくらいかかりますか?
やはりそこですね。避けられないことです。具体的には,相談しながら,状況に応じてとなります。月1回の訪問であれば,10500円からとなります。経済状態によっては,減額も検討できます。死後については,遺言書の作成と遺言執行者を決めることになりますが,そちらは法律家が良いと思います。但し,費用もそれなりとなります。相続に争いがないなどであれば,相談も可能です。判断能力が亡くなることに備える「任意後見」という方法もあります。こちらは,後見の予約のようなもので,任意後見人と,後見の内容をあらかじめ定めておきます。どういう介護を受けたいなど,公正証書にします。
一般論ですので,何がお手伝いできるか,相談できればと思います。
大和市の居宅介護支援事業所オー・ハッピー・デイまたは、さがみ野国際社会福祉士で検索して頂くとご連絡いただけると思います。
死後の事も、まるめでやってもらえるのが、一番ありがたいのですが・・・
そうもいかないのですね。
区役所の担当者は、今日も残った財産管理を引き受ける親族を、一人一人電話であたっています。
今後、何かありましたらご相談するかもしれません。
よろしくお願いします。