mixiのニュースから。
「残酷」か「文化」か!? 今度は日本のイルカ漁に海外からブーイング
西オーストラリア州のブルーム町議会が、和歌山県太地町との姉妹都関係を停止する議案をこのほど可決。その理由が太地町で伝統的に行なわれてきたイルカ猟に抗議するためだという。自然保護と伝統的食文化が対立するという構図から「第2の捕鯨問題か!?」と話題になっている。
ことの是非はともかく、日本人の中でも「捕鯨問題は知っていたけどイルカまで食べるとは知らなかった」という人も多いはず。そもそも、鯨とイルカの区別は曖昧で、「両者はだいたいの大きさで呼び分けています。成体の体長が4m以上になるものをクジラ、それより小さいものをイルカと便宜上呼び分けることが多いです」(江ノ島水族館)。いずれにしても、水族館の人気者というイメージが強いイルカを捕獲して食べる文化が、実は日本に存在するのだ。
日本のイルカ漁の歴史は古く、石川県能都町真脇遺跡から300個以上のイルカ類の骨が出土されたことから、古くは縄文時代から行われていたともいわれている。現在は都道府県知事による許可制で、北海道、青森、岩手、宮城、静岡、和歌山、千葉、沖縄が許可を出している。全国のイルカ漁獲量は毎年1万5000頭~1万8000頭前後で「近年は漸減傾向にある(水産庁)」とのこと。「乱獲による個体数の減少を防ぐために自治体ごとに頭数制限を設けている(同)」ため、例えば静岡県で行われているのは、現在は伊東市のみ。こうした街へ行くと街のスーパーにイルカ肉が普通に売られていたりして、旅行者にとってはなかなかに衝撃的だ。食用に限らず各地の水族館に売却されることもあるといい、前述の和歌山県太地市のように中国へ1頭あたり500万円前後で売却し、市財政を支えてきた例もある。
それにしても、鯨であれだけの日本バッシングが起こるのだから、よりカワイイ度が高い(?)イルカの捕獲に批判が起こらないはずがない。「エルザ自然保護の会」(茨城県つくば市)はかねてから「動物の権利を守るための活動」(公式サイト)に熱心で、反イルカ漁の急先鋒としても知られている。自主制作DVD『日本のイルカ漁』(2000円)をwebで販売しながら、「日本のイルカ猟の残酷さ」(同)を世界中に広める運動を展開中だ。同会の公式サイトには、イルカ肉を扱っている一般商店の連絡先までが記されてあり、「手紙やメールを送って訴え、イルカ猟の中止を要請しましょう」と呼びかけている。
海外では2006年11月20日付の米紙ワシントン・ポストが、「日本で伝統的に行われているイルカ漁へ海洋学者からの批判が強まっている」とする記事を一面に掲載。反イルカ漁記事を初めて大々的に報じた。さらに07年には、国連がその年を「国際イルカ年」と宣言してしまったものだから、反対派の活動はヒートアップ。イルカ漁を行っている漁協や自治体への批判行動はここ数年ますます激しさを増していた。ブルーム町議会の議決はそんなさなかにおこったのである。
現地のメディアは、「太地町でのイルカ漁を隠し撮りしたドキュメンタリー映画『The Cove』がここ最近、アメリカやオーストラリアなどで上映されたことをきっかけに、イルカ漁批判が高まった」と報じているが、この映画を製作したのは、「エルザ自然の会」やアメリカ、スイスなどに拠点を置く6つの自然保護団体で組織する「Save Japan Dolphins.org(日本のイルカを救おう)」。事実、同団体の日本語サイトには「私たちは、太地町へ出かけていって、現場でイルカの大量殺戮を記録し、無料でその写真やビデオ映像をメディアに提供する必要があります」との声明が記されており、サイト内の「映像コーナー」で無料動画配信を行っている。
ためしに動画を覗いてみると、市場のような空間で絶命寸前のイルカがのたうち回る姿の映像が。たしかに見慣れていない我々にはなかなかに衝撃的だ。しかしながら、牛や豚、さらにいえば他の魚類の現場も"衝撃的"という意味では同じなはず。映像の感想をもって「残酷」と断じられるものではないだろう。いずれにしても、こうした動きが決議の強い後押しをしたことは間違いなく、捕鯨問題の例をあげるまでもなく、「鯨(イルカ)は友達」で自己完結してしまう欧米"信者"たちを理解させるのは至難の業だ。事態の今後の行方が注目される。
それはそうと、イルカってどうやって食べるのだろう。静岡県三島市の郷土資料館に聞くと次のように教えてくれた。
「このあたりでは主に味噌煮ですかね。ゴボウやにんじんと一緒に煮込みます。温まりますよ。漁が行われている地区ではイルカ供養碑をときどき見かけます。殺生の中でも感謝の念を忘れてこなかった土着の文化ですね」(同館)
イルカ大好き、動物大好きな方々も、まずはこの味噌煮を一口食べてみては?
(文=浮島さとし)
==============================
鯨類を食べる文化は今に始まったことではないデス。
この記事に書いてある通り、縄文時代辺りから始まったのではないかといいマス。
アイヌ民族、イヌイットの人達など伝統的に鯨類の猟をしていた(している)のもご存知かと。
日本には「食べ物に感謝する」事例が幾つかありマス。
・ご飯を食べる時の「いただきます」
・実りを感謝する「新嘗祭」
・塚や塔を立てて供養する
などなど。
アイヌ民族やイヌイットの人達にも
この事例に共通するものが見受けられマス。
何故感謝するのか・・・?
それは食べ物も「命」だからだと自分は思いマス。
写真家の宮崎学氏が著書の中で
「ぼくらは『死』を食べて生きてるんだ」
と申していまシタ。
ありとあらゆる生き物が
間違いなく「『死』を食べて生きている」のデス。
「死」を繋いで我々の「生」が成り立つのデス。
残虐かどうかは「人間側の主観」。
どうも自分には
このDVDを撮影した「エルザ自然保護の会」というのがエゴの塊の胡散臭い集まりに見えマス。
サイトも一通り見ましたが、自分を納得させる材料が乏しく感じられまシタ。
歴史を見ても欧米と日本を筆頭とした「海洋系モンゴロイド」とでは
鯨の立場は一目瞭然。
欧米では・・・
鯨油とヒゲの為に狩猟。肉は全部廃棄していた。しかも乱獲に等しい。
幕末にペリーが浦賀に来て「日米和親条約」を締結。他にオランダ、フランス、イギリスも同様に締結。
条約の内容には
「捕鯨船への燃料補給のために港を開港させる」というのがありまシタ。
次世代のエネルギーである「石油」が発見されるまで
欧米における鯨の乱獲が続けられたのは揺ぎ無い事実デス。
日本では・・・
鯨油は燃料だけではなく、稲の実りを良くするのに使われたり、
ヒゲは様々な道具に。骨も場所によっては資材になったりしマス。肉も余すことなく食べマス。
「恵比寿様≒クジラ」としたり、神格化されたり、塚や墓などが建立されたりと感謝される立場であったようデス。
寧ろ、海外に誇れる「感謝の文化」だと自分は思いマス!
今回、TOPの画像にしたのは
焼き物の唐津の一つ「皮鯨」(かわくじら)のぐい呑み。
口取りに描いた鉄釉とベースの唐津独特の風合いがクジラの皮に似たことから名づけられたようデス。
それ程、食べ物としても生活に密着していたものと考えられマス。
もし、「鯨類信奉者」やオーストラリアの人が茶席に来るようであれば
「皮鯨」の茶碗でもてなしてやろうかと(ゲヒヒヒ (「へうげもの」古田織部風に)
「残酷」か「文化」か!? 今度は日本のイルカ漁に海外からブーイング
西オーストラリア州のブルーム町議会が、和歌山県太地町との姉妹都関係を停止する議案をこのほど可決。その理由が太地町で伝統的に行なわれてきたイルカ猟に抗議するためだという。自然保護と伝統的食文化が対立するという構図から「第2の捕鯨問題か!?」と話題になっている。
ことの是非はともかく、日本人の中でも「捕鯨問題は知っていたけどイルカまで食べるとは知らなかった」という人も多いはず。そもそも、鯨とイルカの区別は曖昧で、「両者はだいたいの大きさで呼び分けています。成体の体長が4m以上になるものをクジラ、それより小さいものをイルカと便宜上呼び分けることが多いです」(江ノ島水族館)。いずれにしても、水族館の人気者というイメージが強いイルカを捕獲して食べる文化が、実は日本に存在するのだ。
日本のイルカ漁の歴史は古く、石川県能都町真脇遺跡から300個以上のイルカ類の骨が出土されたことから、古くは縄文時代から行われていたともいわれている。現在は都道府県知事による許可制で、北海道、青森、岩手、宮城、静岡、和歌山、千葉、沖縄が許可を出している。全国のイルカ漁獲量は毎年1万5000頭~1万8000頭前後で「近年は漸減傾向にある(水産庁)」とのこと。「乱獲による個体数の減少を防ぐために自治体ごとに頭数制限を設けている(同)」ため、例えば静岡県で行われているのは、現在は伊東市のみ。こうした街へ行くと街のスーパーにイルカ肉が普通に売られていたりして、旅行者にとってはなかなかに衝撃的だ。食用に限らず各地の水族館に売却されることもあるといい、前述の和歌山県太地市のように中国へ1頭あたり500万円前後で売却し、市財政を支えてきた例もある。
それにしても、鯨であれだけの日本バッシングが起こるのだから、よりカワイイ度が高い(?)イルカの捕獲に批判が起こらないはずがない。「エルザ自然保護の会」(茨城県つくば市)はかねてから「動物の権利を守るための活動」(公式サイト)に熱心で、反イルカ漁の急先鋒としても知られている。自主制作DVD『日本のイルカ漁』(2000円)をwebで販売しながら、「日本のイルカ猟の残酷さ」(同)を世界中に広める運動を展開中だ。同会の公式サイトには、イルカ肉を扱っている一般商店の連絡先までが記されてあり、「手紙やメールを送って訴え、イルカ猟の中止を要請しましょう」と呼びかけている。
海外では2006年11月20日付の米紙ワシントン・ポストが、「日本で伝統的に行われているイルカ漁へ海洋学者からの批判が強まっている」とする記事を一面に掲載。反イルカ漁記事を初めて大々的に報じた。さらに07年には、国連がその年を「国際イルカ年」と宣言してしまったものだから、反対派の活動はヒートアップ。イルカ漁を行っている漁協や自治体への批判行動はここ数年ますます激しさを増していた。ブルーム町議会の議決はそんなさなかにおこったのである。
現地のメディアは、「太地町でのイルカ漁を隠し撮りしたドキュメンタリー映画『The Cove』がここ最近、アメリカやオーストラリアなどで上映されたことをきっかけに、イルカ漁批判が高まった」と報じているが、この映画を製作したのは、「エルザ自然の会」やアメリカ、スイスなどに拠点を置く6つの自然保護団体で組織する「Save Japan Dolphins.org(日本のイルカを救おう)」。事実、同団体の日本語サイトには「私たちは、太地町へ出かけていって、現場でイルカの大量殺戮を記録し、無料でその写真やビデオ映像をメディアに提供する必要があります」との声明が記されており、サイト内の「映像コーナー」で無料動画配信を行っている。
ためしに動画を覗いてみると、市場のような空間で絶命寸前のイルカがのたうち回る姿の映像が。たしかに見慣れていない我々にはなかなかに衝撃的だ。しかしながら、牛や豚、さらにいえば他の魚類の現場も"衝撃的"という意味では同じなはず。映像の感想をもって「残酷」と断じられるものではないだろう。いずれにしても、こうした動きが決議の強い後押しをしたことは間違いなく、捕鯨問題の例をあげるまでもなく、「鯨(イルカ)は友達」で自己完結してしまう欧米"信者"たちを理解させるのは至難の業だ。事態の今後の行方が注目される。
それはそうと、イルカってどうやって食べるのだろう。静岡県三島市の郷土資料館に聞くと次のように教えてくれた。
「このあたりでは主に味噌煮ですかね。ゴボウやにんじんと一緒に煮込みます。温まりますよ。漁が行われている地区ではイルカ供養碑をときどき見かけます。殺生の中でも感謝の念を忘れてこなかった土着の文化ですね」(同館)
イルカ大好き、動物大好きな方々も、まずはこの味噌煮を一口食べてみては?
(文=浮島さとし)
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鯨類を食べる文化は今に始まったことではないデス。
この記事に書いてある通り、縄文時代辺りから始まったのではないかといいマス。
アイヌ民族、イヌイットの人達など伝統的に鯨類の猟をしていた(している)のもご存知かと。
日本には「食べ物に感謝する」事例が幾つかありマス。
・ご飯を食べる時の「いただきます」
・実りを感謝する「新嘗祭」
・塚や塔を立てて供養する
などなど。
アイヌ民族やイヌイットの人達にも
この事例に共通するものが見受けられマス。
何故感謝するのか・・・?
それは食べ物も「命」だからだと自分は思いマス。
写真家の宮崎学氏が著書の中で
「ぼくらは『死』を食べて生きてるんだ」
と申していまシタ。
ありとあらゆる生き物が
間違いなく「『死』を食べて生きている」のデス。
「死」を繋いで我々の「生」が成り立つのデス。
残虐かどうかは「人間側の主観」。
どうも自分には
このDVDを撮影した「エルザ自然保護の会」というのがエゴの塊の胡散臭い集まりに見えマス。
サイトも一通り見ましたが、自分を納得させる材料が乏しく感じられまシタ。
歴史を見ても欧米と日本を筆頭とした「海洋系モンゴロイド」とでは
鯨の立場は一目瞭然。
欧米では・・・
鯨油とヒゲの為に狩猟。肉は全部廃棄していた。しかも乱獲に等しい。
幕末にペリーが浦賀に来て「日米和親条約」を締結。他にオランダ、フランス、イギリスも同様に締結。
条約の内容には
「捕鯨船への燃料補給のために港を開港させる」というのがありまシタ。
次世代のエネルギーである「石油」が発見されるまで
欧米における鯨の乱獲が続けられたのは揺ぎ無い事実デス。
日本では・・・
鯨油は燃料だけではなく、稲の実りを良くするのに使われたり、
ヒゲは様々な道具に。骨も場所によっては資材になったりしマス。肉も余すことなく食べマス。
「恵比寿様≒クジラ」としたり、神格化されたり、塚や墓などが建立されたりと感謝される立場であったようデス。
寧ろ、海外に誇れる「感謝の文化」だと自分は思いマス!
今回、TOPの画像にしたのは
焼き物の唐津の一つ「皮鯨」(かわくじら)のぐい呑み。
口取りに描いた鉄釉とベースの唐津独特の風合いがクジラの皮に似たことから名づけられたようデス。
それ程、食べ物としても生活に密着していたものと考えられマス。
もし、「鯨類信奉者」やオーストラリアの人が茶席に来るようであれば
「皮鯨」の茶碗でもてなしてやろうかと(ゲヒヒヒ (「へうげもの」古田織部風に)