WHITE STREET 徒然記

フォトグラファーの端くれである吉澤忍の気まぐれブログです。

物欲おさまらず? その2

2007-08-27 15:12:34 | へうげもの
よく知る骨董屋さんがYahoo!オークションに出店しているものの中に興味深いものがあったので手に入れてしまった(画像)。

舞楽「蘭陵王」で使われる「陵王」の面である。

舞楽面は乾漆で出来ており、陵王の面は金箔が随所に貼られ煌びやかである。
しかし、この陵王は煌びやかではない。
理由は箱書にあった。

以下、箱書から抜粋。

當神宮所蔵国寶舞楽面を模写させしもの也
昭和十九年二月十四日
熱田神宮宮廳 (印)


現在熱田神宮に所蔵されている重要文化財の舞楽面を一木造で彫り、古びを施して作った模写品である。

昭和19年2月というと、当時の国宝・名古屋城名古屋大空襲で炎上した丁度1年前である。
名古屋城だけではなく、熱田神宮も一部空襲の被害に遭っている。

恐らく、そんな状況の中で神宮が宝物の安否を気遣って模写を頼んだものの一つがこの面なのであろう。

私が感じる「戦後」は…

2007-08-24 23:58:33 | Weblog
本当なら終戦の15日に日に書くべきことだったかも知れない。
しかし、つい今仕方まで「私は貝になりたい」を見ていた為、思わず筆が進んでしまっているといった次第だ。
 
勿論、私は戦時中・戦後の事は分かるはずが無い。
そりゃそうだ。戦後32年目に生を受けたのだから。

私が、戦後というのをはっきりと意識したのは高校3年生の頃だった。
本棚の大掃除をしている時だった。
書道の心得があった母方の祖父が残した戦前の発行であるかな文字の資料の中に1通の書類の切れ端があった。

それは、その祖父が昭和19年に書いた会社への上申書のようであった。
祖父は電信技士であった為、電電公社にいて戦場には赴かない立場の人間であった。
その書いている内容を分かり易く綴ると…

連日の仕事により、現場には疲労感が漂っています。
つきましては、タバコを数箱頂きたいのですが…


そういった書類が書の本に紛れて、40年近い時を経て現れたのだから提出される事は無かったのだろう。
祖父はその書類をしおりか、はたまた下書き用に挟んでいたのだろうか…

電信技士という立場であり、ある程度の情報が耳に入っていた祖父は
早い時期から日本は戦争に負けるとごく限られた周囲にはこぼしていたようだ。

戦後、祖父はそのまま電電公社に身を置き、定年退職後は書家として生きてきた。
祖父が遺した電電公社時代の資料が私にとっての戦争の遺産である。

本の紹介 ~1~

2007-08-21 22:39:38 | Weblog
いつまでこのコーナーが続くか分からないけれど
始めてみることにしよう。

今回は
「鈍翁・益田孝 上・下」(著:白崎秀雄 刊:新潮社 昭和56年)
「藤原銀次郎回顧八十年」(述:藤原銀次郎 著:下田将美 刊:講談社 昭和25年)

益田鈍翁こと益田孝、藤原曉雲こと藤原銀次郎共に茶人であり会社経営者であった。

鈍翁については昭和大茶会を催すなど秀吉以来の大茶会を催したとされる数寄者(すきしゃ)であったという。
盟友には三渓園で有名である原三渓こと原富太郎がいた。
藤原曉雲は鈍翁から王子製紙の経営建て直しを依頼され、それを見事なしえた人物である。和製カルロス・ゴーンと言った所だろうか。

明治後期~昭和初期においての大企業の経営者と言うのはなべて数寄に興ずる者が多い。

テニスの松岡修三の血筋に当たり、阪急・宝塚の創始者である小林一三こと逸翁逸翁美術館にコレクション)、東武鉄道の根津嘉一郎根津美術館にコレクションあり)、野崎廣太こと幻庵などなど…

先の著者である白崎氏は本書の中で
「数寄者は耳庵松永安左ヱ門のこと。東京国立博物館に寄贈したコレクションが多い)が最後」と記述している。
私としては最後の経営者茶人は松下幸之助氏であったような気がする。

これらの本は20年以上昔に亡くなった祖父が遺した本である。
これらの本を読んでいると、自分の為ではなく、日本という国を良くしていこうとする気概溢れる熱い経営者が多くいた事に驚かされる。

昨今の大企業の経営者に数寄と経営手腕の両方を兼ね備えた人物は見当たらないように感じる。
昨今のホリ○モンや村○ファンドやらをみてもそう思わざるを得ない。

久々の山行

2007-08-20 22:14:51 | Weblog
前回の日記に書いたように鈴鹿山脈系の御池岳に行った事の話を進めよう。


8月16日

AM4:30起床。AM5:00現地へ向けて出発。
AM7:30頃御池岳登山口着。

登山口からセミの声がこだまする。
ミンミンゼミ、アブラゼミ、中には空きを感じさせるツクツクボウシも聞こえる。

水場である長命水を過ぎた所で、マムシに遭遇!
30年生きて初めてのマムシとの遭遇…。
怖いと言うよりは興味深々。
行動を見ていると、シマヘビやアオダイショウのようにサササっと逃げない。
随分とゆったりと逃げる。

撮影をしつつ6合目に至る。5合目付近から森の雰囲気が明るくなり始めたが、6合目で一気に開ける心地がした。流石にカタクリ峠とは言ったものだ。林床は広げていて夏場の鋭い日差しがあちこちに差し込む。

山は全体的に石灰岩質で、岩も白いものが多く見受けられた。

8合目を過ぎた所で、森林限界に近づいてきたのかカバノキの類の低い木々が多くなる。
そんな中で撮ったのが今回の画像。
石灰岩の岩が見事にコケに覆われ、何とも神秘的であった。

頂上にはAM10:30頃着。
展望は周囲の木々に阻まれて望めないが、涼しい山風が体を通り抜けた。

AM11:30頃下山開始。ここでふと気付く。
登山靴が壊れていたのだ!(ぇ
底が剥がれるぐらいにベロンチョと(^^;)

この不安定な状況の下山なので随分気を使ってしまった。
お陰で膝に激しい痛みを伴った(8/20現在、痛みから完全回復)。

PM1:00に下山し終えた時は、壊れた靴でよく下山出来たもんだという安堵感と両足に激しい痛みを抱えていた。

気温が40℃を超えるとニュースなどで言っていた中での登山…
水の心配はあったが、思っていたよりも水を摂取する事は無かった。
暑さがピークになるPM2:00を避けれたのが良かったのかもしれない。

講演の後・・・

2007-08-18 11:42:55 | Weblog
11日に講演があってから日数が経った。

この2~3日は焦げ付くような暑さが続き、
焼き物の盛んな岐阜県多治見市では40℃を越えたというから驚きだ。
新聞の記事を見ていると、太平洋高気圧にフェーン現象が重なったのではないかと書いてある。

「生活費の為」の会社からお盆休みを11~19日に頂いたが、15日は出勤。
これは緊張感を持続するには良かったのかもしれないが、護国神社に赴けなかったのが残念だ。

2日前、鈴鹿山脈系の山である御池山に赴いた。
マムシに遭遇したり、ヒルに血を吸われそうになったりとハプニングが起きたが
約2年ぶりくらいになろうかという山行は新鮮であった。

詳細は月曜日にUPすることにしよう。

講演近し・・・ (講演のお知らせ)

2007-08-07 19:22:24 | Weblog
なごや環境大学共育講座の一環で
「心のアラスカ」実行委員会の活動から…

「写真で見た生命の不思議さを語る」
と題しまして
北海道を撮影する私と沖縄を撮影するカメラマン・花田竜一氏とのトークがあります。

場所:あいちNPO交流プラザ C会議室
日時:8月11日 PM2:00~PM4:00

当日は私若しくは花田氏の作品を抽選で各1名ずつにプレゼントという企画もあります。
是非、お足運びの程を。


画像:トークに使用する作品とプレゼント。トークに際して使用するチラシetc...

物欲治まらず?

2007-08-02 22:05:02 | へうげもの
2週間ほど前、古道具屋で思わず購入したものである。

辻石斎作 寿老棗

見た瞬間、惚れてしまって
茶道具コレクションの一つに収まった。

形(なり)といい、黒一色に太陽が出たかのような朱の赤い丸といい…
心を鷲掴みにされた。

簡易スタジオ撮影で撮影してみたのだが、周囲の映り込みが多少あるようだ。
漆物の撮影は「映り込み」があるから難しい。

しかし、この漆物の撮影をクリアできれば他が怖くないように思える。
ライトの配置に試行錯誤が続きそうだ。