今仕方、NHKアーカイブス
ハイビジョンスペシャル「里山・人と自然がともに生きる」
を見終えた。
これを見たいと思った理由は、撮影に木村伊兵衛賞受賞の写真家・今森光彦氏が監修しているからだ。
この番組の撮影に2年を費やしたそうだ。
映像として見ても、写真集「里山物語」同様、独特のカメラアングルから見た「今森ワールド」が展開していた。
見ていてふと気づいたことがあった。
番組の構成である。
春に始まり暑い夏、稲穂がそよぐ秋、そして白の世界に埋もれる冬…
その季節の移り変わりの中で繰り返される命達…
ここまでは「生き物地球紀行」等を始めとしたものと変わらない。
では、一体何が琴線を触れさせるのか??
考えてみる…
…
……
………
アッテンボローだ!!
デイビット・アッテンボローの展開に似ているのだ。
心の内に納得をしまっておくことにして、今日はこれで寝よう。
ハイビジョンスペシャル「里山・人と自然がともに生きる」
を見終えた。
これを見たいと思った理由は、撮影に木村伊兵衛賞受賞の写真家・今森光彦氏が監修しているからだ。
この番組の撮影に2年を費やしたそうだ。
映像として見ても、写真集「里山物語」同様、独特のカメラアングルから見た「今森ワールド」が展開していた。
見ていてふと気づいたことがあった。
番組の構成である。
春に始まり暑い夏、稲穂がそよぐ秋、そして白の世界に埋もれる冬…
その季節の移り変わりの中で繰り返される命達…
ここまでは「生き物地球紀行」等を始めとしたものと変わらない。
では、一体何が琴線を触れさせるのか??
考えてみる…
…
……
………
アッテンボローだ!!
デイビット・アッテンボローの展開に似ているのだ。
心の内に納得をしまっておくことにして、今日はこれで寝よう。
先の12月9日、名古屋能楽堂にて
茶の湯文化にふれる市民講座「茶室は語る」もてなしの心
に参加した。実は代理としてこの講座に参加したのである。
講師は茶室研究の第一人者である京都工芸繊維大学名誉教授の中村昌生氏
中村昌生氏プロフィール
1927年愛知県生.彦根工専(現滋賀大学)卒.京都工芸繊維大学名誉教授・福井工業大学名誉教授.著書『茶匠と建築』(鹿島出版会)『茶室の研究』(河原書店)『数寄屋古典集成』(小学館)『数寄の空間』(淡交社)ほか
実は、中村氏は私が卒業した高校の大先輩であった。
高校時代、既に茶の師匠である母を通して、中村氏の存在は知っていたのだが、出身校のOBだと知り、進路は高校当時は京都工芸繊維大学・工芸学部を目指していたのだが…
如何せん頭の悪かったせいで、進路を諦めざるを得なかった苦い思い出がある。
しかし、写真に出会ったのもこの頃。
高校3年生の時には「写真をやるなら沖縄か北海道に!」と決めていたので、希望通り北海道に行き、現在に至るのである。
話が脇道にそれてしまったが、本題に移ろう。
講座の内容は、勿論茶室についてなのだが、千利休の師である竹野紹鴎から利休、弟子の古田織部・織田有楽斎そして小堀遠州に至るまでの茶室の変遷についてである。
その変遷に至る各茶人の茶室の構成の仕方(構造)等から、どのようにして茶人が客をもてなしたか、その苦心・試行錯誤を中村氏の視点から語られた講座であった。
利休の究極は
1畳半という狭さで茶を喫すれば…
なのだが、それに対し、時の権力者の豊臣秀吉には不評で、2畳に作り直したとの記録があるらしい。
また、織田有楽斎も
「二畳半一畳半などは客をくるしめるに似たり」
更に有楽斎は
「惣じて茶道に大事の習と云事さらになし 皆自己の作意機転にてならいのなきを台子の極意とするぞ」
と語っている。
茶室の工夫は亭主の究極のパフォーマンスであり、ある種の「戦い」の舞台であったのが、この講座でわかったような気がする。
茶の湯文化にふれる市民講座「茶室は語る」もてなしの心
に参加した。実は代理としてこの講座に参加したのである。
講師は茶室研究の第一人者である京都工芸繊維大学名誉教授の中村昌生氏
中村昌生氏プロフィール
1927年愛知県生.彦根工専(現滋賀大学)卒.京都工芸繊維大学名誉教授・福井工業大学名誉教授.著書『茶匠と建築』(鹿島出版会)『茶室の研究』(河原書店)『数寄屋古典集成』(小学館)『数寄の空間』(淡交社)ほか
実は、中村氏は私が卒業した高校の大先輩であった。
高校時代、既に茶の師匠である母を通して、中村氏の存在は知っていたのだが、出身校のOBだと知り、進路は高校当時は京都工芸繊維大学・工芸学部を目指していたのだが…
如何せん頭の悪かったせいで、進路を諦めざるを得なかった苦い思い出がある。
しかし、写真に出会ったのもこの頃。
高校3年生の時には「写真をやるなら沖縄か北海道に!」と決めていたので、希望通り北海道に行き、現在に至るのである。
話が脇道にそれてしまったが、本題に移ろう。
講座の内容は、勿論茶室についてなのだが、千利休の師である竹野紹鴎から利休、弟子の古田織部・織田有楽斎そして小堀遠州に至るまでの茶室の変遷についてである。
その変遷に至る各茶人の茶室の構成の仕方(構造)等から、どのようにして茶人が客をもてなしたか、その苦心・試行錯誤を中村氏の視点から語られた講座であった。
利休の究極は
1畳半という狭さで茶を喫すれば…
なのだが、それに対し、時の権力者の豊臣秀吉には不評で、2畳に作り直したとの記録があるらしい。
また、織田有楽斎も
「二畳半一畳半などは客をくるしめるに似たり」
更に有楽斎は
「惣じて茶道に大事の習と云事さらになし 皆自己の作意機転にてならいのなきを台子の極意とするぞ」
と語っている。
茶室の工夫は亭主の究極のパフォーマンスであり、ある種の「戦い」の舞台であったのが、この講座でわかったような気がする。