WHITE STREET 徒然記

フォトグラファーの端くれである吉澤忍の気まぐれブログです。

守・破・離

2006-11-21 20:37:04 | Weblog
守・破・離
とは一体? と思う方がいるかもしれない。
この言葉は利休の茶の心得と言われるものなのだ。
引用される歌があり…

「規矩作法 守りつくして破るとも 離れる時も本を忘るな」

師の教えを「守り」、
その教えから脱却し(破り)、
新しい境地に達する(離れる)。
だがその教えの根本を忘れてはならない。


…というのが大まかな解釈である。

今の自分は「守」「破」を往ったり来たりしており、まだまだ道の途中である。


また似たような言葉で「温故知新」と言うのもある。
先人の教えに新しい事を見出す。

先人に畏敬を払う。
これは人間として生きる以上大事である。

風の匂いに・・・

2006-11-16 23:46:36 | Weblog
風の匂いに冬がはらみ始めてきた。
もう1枚上に羽織らねば朝が辛い頃合になってきた。

さて…
冬が近いと言う事で、季節に沿った話題を進めることにしよう。
今回UPした写真は竹である。

竹は冬に刈り取られ、様々な道具になる。
一昔前ならば日用品の殆どが竹で出来ていたのではないだろうか?

現在、里山と呼ばれる所で竹による被害があるという。
竹が土地を覆いすぎて山々の栄養を吸ってしまい、木を枯らすらしい。

先述したように竹は日用品を作る上での材料であった。プラスチック等の石油製品に取って代わり竹の需要が低くなってきた。それ故、必要とされなくなった竹がじわりじわりと繁殖してしまうのだ。

竹の成長速度は他の木々に比べると異常に早い。
千家十職の一つ、竹細工師の黒田正玄氏がこんな様なことを言っていた記憶がある。著書かTV番組か忘れてしまったが…

「竹は木であり草である。春にタケノコが生えたと思うと1年であっという間に竹になる。煤をかければ1000年をも耐えうる丈夫な材になる。」


「my箸」というを持つことが昨今よく聞くようになってきた。
森林伐採を食い止め、環境保全にも繋がると言われている。
確かによい運動であると思う。
しかし、考えるに「使う材」を間違えている故に森林伐採が食い止められないのではないか?と私は思う。

今回のテーマである「竹」、林業を営む過程で出る「間伐材」
江戸時代に至っては家屋を建てたときに出来た木っ端ですら割り箸の材料になったという。

そう、我々日本人が誇るべき「MOTTAINAI」の精神を考えれば、生産・消費のバランスが取れる環境保全できるはずなのである。

割り箸が「悪」ではなく、使う材を間違えているから「悪」に見えるのである。
あとはコストの問題だ。そこら辺はエコノミストと呼ばれる人に託すとしよう…

憶良症候群

2006-11-08 20:48:03 | Weblog
憶良症候群

なんじゃそりゃ? と思う人がいるかもしれない。
それもそうだ。「私自身が作った造語」であるからだ。
その中身を少し解説していこう。

憶良とは万葉集に垣間見ることのできる歌人・山上憶良の事である。
その万葉集の中にある憶良の有名な歌がある。

「銀(しろがね)も金(くがね)も玉も何せむに まされる宝子に如(し)かめやも」(万葉集巻五 八〇三)

先生等にくだらない事で学校に文句やクレームを言って、さも子供の味方だと勘違いしている過保護の見当違いな親の事を私は揶揄をこめて憶良症候群と呼んでいるのである。尤もこの歌の解釈を曲解している親を指すとも言える。



実際に万葉集巻五を開いてみると…


子等を思(しの)ふ歌一首并(ならび)に序

釈迦如来、金口(こむく)に正に説きたまわく、衆生を等しなみに思ふこと、羅睺羅(らごら)のごとし。又説きたまわく、愛(うつく)しみは子に過ぎたるは無しとのたまえり。至極も大き聖すら、尚し子と愛しむ心あり。況(いわ)むや、世間の蒼生(あをひとぐさ)、誰か子を愛しまざらむ。

瓜食めば 子等(こども)思ほゆ 栗食めば ましてしのはゆ いづくより来たりしものぞ まなかひに もとな懸りて 安眠(やすい)しなさぬ

反歌
銀も金も玉も何せむにまされる宝子に如かめやも


憶良は純粋に子を思う、また気にかける純朴な父親像であるようだ。
1000年以上の昔の親父が今より立派な育て振り(「万葉集」(唄:植木等) よりそのまま抜粋)。

昨今は幼児虐待育児放棄、耳を覆いたくなるような悲惨な事件が多い。
故に今、今だからこそ改めて憶良の歌を見、口ずさむと遥か1000年の昔の人間愛に共感を覚える。

また、親子愛の絆の強さを動物達から見出した言葉も見受けられる。
「焼け野の雉子(きぎす)」といって、キジは野火で身に危険が迫ろうとも、卵を見捨てずに共に焼け死ぬと信じられていたようだ。
先人達は自然を観察して人間の持つ「情」と重ね合わせる事が出来るほどの観察眼を備えていたようだ。

私の場合はキジではないが、白鳥達からその「親子の情」の一部を見させてもらっている。

(ふと改めて文章を読んでいたら一部分が中日新聞の「中日春秋」と重なる部分があったようだ… 酒の酔いに任せた文章故に似た文章が出来てしまったのかも知れない(^^;))

東京紀行

2006-11-07 18:25:32 | Weblog
先だっての11/3~5の3日間、東京へ行ってきた。

目的は東京都写真美術館の主催する「自然を見つめたフォトコンテスト2007」に出展する写真の最終選考である。
アドバイスをもらったのは毎度毎度お世話になっているデザイナーのTAKAさんである。

出展できるのは1点なので、持っていった3点の内の1点を… ということである。
今UPしている写真は出展を見送った写真である。

1枚は「心のアラスカ」プロジェクトの代表を務めるM氏の所にある写真、
もう1枚は今年の正月に撮影したモノクロの白鳥である。

さて…
何を出したかはお楽しみの方向で。


この東京行きで、私の大学時代からの友人であるひじり~氏が何やら日記で書いているようである。詳しくはリンク参照。