WHITE STREET 徒然記

フォトグラファーの端くれである吉澤忍の気まぐれブログです。

所持している白鳥の写真集

2007-06-08 19:42:55 | Weblog
画像の写真集は以下の通り

「SWAN」(講談社刊) 嵯峨悌二
「白い旅人 ―白鳥の詩―」(文一総合出版刊) 大和田智枝子
「Swan Song」(小学館刊) 若本俊雄
「白鳥」(自費出版) 若本俊雄
「Swan」(青菁社刊) 鎌形久


嵯峨氏は1988年「LIFE」誌上で80年代のベストカメラマンに選ばれる等、「白鳥写真(そういう呼び名があればそうなるかな?)」の世界では有名な方である。
私は氏には2回ほどお会いした事がある。6年前の私の誕生日の事で、場所は屈斜路湖。
柔和な笑顔を絶やさない方であった。

若本俊雄氏は1991年に癌で亡くなっている。享年24歳。
迫りくる「死」というものに向かい合いながら撮った、将に命を削って撮ったともいえる写真群である。故人については私が中学生だった時にNHKスペシャルか何かで見た記憶がある。


これはとある方が言っていた白鳥写真についての評である。

嵯峨氏、大和田氏についてはすばらしい写真を撮ると絶賛。
故・若本氏については、「何回か見たら飽きる写真」と…。
あとは幾人かについても評していたが…。
御想像にお任せすることとしよう。

私は写真については「時分の花」だと思っている。
その人のその時における感じた事そのものであるとの意味でだが。





「時分の花」をGoogleで調べてみたら、次の一文が目に留まった。

能の風姿を花にたとえ、「その風を得て、心より心に伝わる花なれば、風姿花伝と名づく」とされた『風姿花伝』は、子どもの発達段階を踏まえた能の稽古の有りようを示した教育の書でもある。
 ここで世阿弥(1363?~1443?)は、稽古のスタイルを7歳、12~3歳、17~8歳、24~5歳、34~5歳、44~5歳、50有余歳に分けているが、成人までをみれば、これは今日の学校教育における初等・中等・高等の三区分にほぼ対応している。

 世阿弥は、数え年7歳で始めるに際し、「ふとし出ださんかかりを、うちまかせて、心のままにせ出すべし」と述べ、「さのみ、よき、あしきとは教ふべからず」といましめている。教えすぎや管理の致すぎがかえって子どもをだめにするというのである。
 12~3歳になると、「声も調子にかかり、能も心づく」頃となるから、少しずつ教える内容も多くする。この頃は、少年期の完成期にあたっており、「童形なれば、何としたるも幽玄」で声も立つから、「わろき事は隠れ、よき事はいよいよ花めけり」という状態になる。しかし、世阿弥によれば、この花は真の花ではなく、一時的な花、「時分の花」である。

次の節目となる17~8歳は、声変わりして、第一の花が枯れてしまう。体も大きくなり、いわゆる「腰高」になって、いままでのやり方では通用しなくなる。それで見物人にも笑われ、自信を失って、いやになる。だからここで「心中には、願力を起して、一期の堺(ママ)ここなりと、生涯にかけて能を捨てぬより外は、稽古あるべからず。ここにて捨つれば、そのまま能は止まるべし」という危機に立たされる。

 この危機を乗り越えて24~5歳になれば、声と身なりがしっかりして、生涯にわたる芸能が定まる初めとなる。このころの花を「初心」というのであって、いわゆる物事のやりはじめを意味しているのではない。

 世阿弥は、上手になりはじめた頃が最も危険な時期だと見ている。まわりから誉めそやされるままに、「時分の花」を「真実の花」と見誤り、咲き誇った花を枯らせてしまう。その花の種を取り、さらに優れた花を咲かせてこそ「誠の花」となるのであって、それが「初心を忘るべからず」ということの意味である。
 このように、世阿弥の発達論には発達段階の不連続性という新しい概念がもりこまれている。そのために誤解もされやすいが、自分の進むべき道が定まり、自信が生まれた時に油断が生じるという指摘は、発達が子どもだけのものではなく、大人にとっても大事なものであることを教えてくれる。(『風姿花伝』岩波文庫)■滝内大三■



幾人(私の母も含む)かが私に対してよく酷評や苦言を呈するのだが、それは「誠の花」を咲かせようと躍起になっている為なのだろうか?

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。