夜にマイカル港北で話題作ミルクを観る。本年度アカデミー主演男優賞のショーン・ペンの演技はすばらしいというより、本当の人物が画面に出てきているみたいで気味がわるい。しかし、もとはマドンナのダンナだし、前作を見たのがDead Man Walkingで、ここでは少女暴行殺人で薬物を注入されて死刑になる、その死刑テーブルに歩いていく(dead man walking)死刑囚のアンチャンを見事に演じていたわけだから、この48歳のゲイの中年の悲しげに怪しく光る目つきも首の皺もすべて演技なんだろう。つくづく俳優というものの凄さ、すばらしさに感動。こういう社会性、政治性に立ちながらそれを超えたどろどろとした人間ドラマを見ると、逆に日本作品の「おくりびと」が賞をとった理由がよくわかる。ミルクという作品の重さと、現実の社会まで引きずっている課題の打撃に映画評論家も打ちのめされてしまうのだと思う。だからこそ、あの癒し系の山形の人情物語が賞に選ばれたのだと思うな。
実際、話題作で配給会社もさかんに大宣伝していたが、シアターには観客がたった7人しかいなかった。そして映画が終わって明るくなって周りを見ましたら、小生と若い女性一人しか残っていなかった。立場を忘れて、もうちょっとで、「今の映画どうでしたか、どう思いましたか」と話しかけてしまう誘惑に駆られた。別にどうということはないが、政治家や候補者はいつも地域の人との関係を気にする傾向があって、政治活動としては誰にでも声をかけるくせに、日常会話などでは妙に萎縮したりするときがあるね。
1970年代のサンフランシスコはよく覚えている。ヒッピー文化、ベトナム戦争後遺症、ニクソン大統領の辞任など社会が騒然となるなかで、アメリカの伝統的価値観と新しい文化とサブカルチャーとの葛藤が繰り広げられた。小生はちょうど大学院の博士課程にいて、研究者の道を選ぶか、ビジネスにもどるか、苦しい心の葛藤の時代だ。日本にはこの事件(ミルクの活動と死)などはほとんど知られていなくて、何か妙なことが起こっている程度の理解だったと記憶する。
この映画とオバマ大統領登場とがオーバーラップして語られるが、映画の中でも、ミルクが「hopeを持とう」、「アメリカンドリームを実現しよう」と訴えるシーンはまるでオバマ演説のようで驚かされる。要するにそうしたアメリカの現代社会の雰囲気が一方では映画「ミルク」を生み、他方ではオバマ大統領を生みだしたということだろうか。
政治家としては、周囲の圧力、三度の落選、絶望、友人の離反、当選後もやがて自分を殺すことになる政治家との駆け引きや妥協など、身につまされ、同時に学ぶシーンも多かった。
雨の中を車で帰宅途中、整理できない想いを鎮めようとロックをガンガンかけながら、いったいなぜあの時代に公民権運動を超えて民族マイノリティ、女性、ゲイなどの少数グループがつぎつぎと立ち上がっていったかを、ワイパー越しの情景を見ながらつくづく考えた。一つのヒントはおそらく、民主主義システムそのものが多数派を基軸にするために、少数派は常に無視される傾向が生じる。、それゆえにこそ、民主主義システムの健康な展開のためには、そうした少数グループが激しくその存在価値と意義を社会にアピールしなければならないということだろう。まあ、いずれにせよ、重いテーマだった。一晩寝て明日また考えてみよう。
実際、話題作で配給会社もさかんに大宣伝していたが、シアターには観客がたった7人しかいなかった。そして映画が終わって明るくなって周りを見ましたら、小生と若い女性一人しか残っていなかった。立場を忘れて、もうちょっとで、「今の映画どうでしたか、どう思いましたか」と話しかけてしまう誘惑に駆られた。別にどうということはないが、政治家や候補者はいつも地域の人との関係を気にする傾向があって、政治活動としては誰にでも声をかけるくせに、日常会話などでは妙に萎縮したりするときがあるね。
1970年代のサンフランシスコはよく覚えている。ヒッピー文化、ベトナム戦争後遺症、ニクソン大統領の辞任など社会が騒然となるなかで、アメリカの伝統的価値観と新しい文化とサブカルチャーとの葛藤が繰り広げられた。小生はちょうど大学院の博士課程にいて、研究者の道を選ぶか、ビジネスにもどるか、苦しい心の葛藤の時代だ。日本にはこの事件(ミルクの活動と死)などはほとんど知られていなくて、何か妙なことが起こっている程度の理解だったと記憶する。
この映画とオバマ大統領登場とがオーバーラップして語られるが、映画の中でも、ミルクが「hopeを持とう」、「アメリカンドリームを実現しよう」と訴えるシーンはまるでオバマ演説のようで驚かされる。要するにそうしたアメリカの現代社会の雰囲気が一方では映画「ミルク」を生み、他方ではオバマ大統領を生みだしたということだろうか。
政治家としては、周囲の圧力、三度の落選、絶望、友人の離反、当選後もやがて自分を殺すことになる政治家との駆け引きや妥協など、身につまされ、同時に学ぶシーンも多かった。
雨の中を車で帰宅途中、整理できない想いを鎮めようとロックをガンガンかけながら、いったいなぜあの時代に公民権運動を超えて民族マイノリティ、女性、ゲイなどの少数グループがつぎつぎと立ち上がっていったかを、ワイパー越しの情景を見ながらつくづく考えた。一つのヒントはおそらく、民主主義システムそのものが多数派を基軸にするために、少数派は常に無視される傾向が生じる。、それゆえにこそ、民主主義システムの健康な展開のためには、そうした少数グループが激しくその存在価値と意義を社会にアピールしなければならないということだろう。まあ、いずれにせよ、重いテーマだった。一晩寝て明日また考えてみよう。
しかし過去の3回の選挙の結果、当選挙区の自民党代議士がついに引退する事になりました。
ちなみに、前選挙前だと思いますが自宅を買い替え大きく・・。これは先生の努力によるものと、後は雑誌その他により当選挙区の次期有力候補であります。
その次期有力候補者と選挙民をつなぐ、費用が安くたまにはご意見いただけるありがたいブログです。よくよく考えて行動していただきたいと思います。先生は年末に綱島?街頭演説の際、酔っぱらいの若者からまれましたがそれに限りなく近いものと思います。よくよく配慮の上、行動していただきたいものです。
黄昏さん>前にも書きましたが、自分の意見を主張したいなら自分のブログを立ち上げるべきです。そんなやり方を続けていると、立派な主張でも見向きもされなくなりますよ。
要するに不動産や株や債券の値上がりが「アメリカンドリーム」だと喝破し、「経済力が唯一の価値基準であるアメリカ人の借金に支えられた浪費もこの事に支えられてきた」と述べている。
そんなアメリカ人がこの状況でもキャピタルゲインを求めてサブプライムローンで差し押さえられ叩き売られる住宅を買い漁る姿はさすがに「ベニスの商人」も呆れ顔だろう。
今年は差し押さえ物件が300万軒以上出るそうだから、きっと「ベニスの商人」は大喜びだ。
そんな「ベニスの商人」の親分オバマがウォール街からタンマリおねだりしてた事は書いたが、この親分はすっかり有名になった住宅金融抵当公社フレディーマックやファニーメイからも上院議員で2番目の多額な献金を貰ってる。
どうやら日本人の夢の中でのみアメリカンドリームは花開くのだろうか?
そんなアメリカで行われた減税について、麻生首相の経済顧問を気取ってるリチャード・クーが「ほとんど減税効果はありませんでした」と言ってた。
借金塗れでキャピタルゲインが大幅に目減りしたアメリカ人に減税効果なんてあるはずが無い。
要するに日本国民に減税したくない口実で、増税する時のショックを最小限に止めようという策略。
どこまでも能無し政治家と寄生虫役人は姑息なのである。
では、「裁判員制度」「個人情報保護法」「国籍法改定」等々国民生活に直結する問題について「国民的議論」はあったでしょうか?
「国民的議論」どころか、低俗テレビでは報道すらしなかった。ネットで「ポッポ」と呼ばれる人気者の鳩山幹事長が推奨する「外国人参政権」についても低俗テレビでは一切報道しない。要するに「国民的議論」をされると都合の悪い事についてはコントロールしてる訳で、その低俗テレビが「報道の自由」なんて言ってるんだから笑わせる。
「外国人参政権」について鳩山幹事長は「日本人は不寛容」とまで述べてるけど、日本人ほど寛容な民族はいない。これだけ能無し政治家と寄生虫役人にいいようにされても最大限その寛容さを発揮して耐えている。
ハリウッドが映画の街になったのは安い電気のおかげで、それはカリフォルニアが電化州だったからだ。
のちにこの完全電化州である事がエンロンによって大停電を引き起こされる。
それはさておき、ハリウッドの映画産業は初期の頃からユダヤ人に支配され、ユニバーサル・スタジオの創業者カール・ラムレー、20世紀フォックスのウィリアム・フォックス等々多くのユダヤ移民がこの産業に関わってきた。
ユダヤ人は宗教的保守性を持つ反面、リベラルな思想に守られてる側面も大きいからハリウッド映画界は昔から民主党リベラル派支持だ。
しかし、黒人差別と違い同性愛の問題は反キリスト教的側面があるので今でも差別は根強いものがある。
そう言えば、前回の選挙で自称レスビアンの日本の民主党候補者がテレビで彼女とキスしてたな。
ちなみにFDRの嫁さんだったエレノア・ルーズベルトもレスビアンだったが、FDRとの間に6人の子供をもうけ、FDRは映画「大統領の保養地」の舞台ウォームスプリングズで生涯を終える時は長年の愛人ルーシー・マーサーに看取られる事になる。
ショーン・ペンと言えば「オールザキングスメン」での偽善政治家の役はさらに良かった。どこぞの党の代表より偽善ぷりがどぎつくて「これぞ偽善政治家」という感じだった。
サンフランシスコはアメリカ最初の「悪徳の町」で、この町には不道徳なもの全てがあった。そのサンフランシスコを浄化したのが「市民ケーン」のモデルとなった新聞王ハーストだ。だからハーストはハリウッドには嫌われた。