すとう信彦 & his band

社会起業家(チェンジメーカー)首藤信彦の日常活動とその仲間たち

同志 渡邉公則さんの死を悼む

2008-07-14 23:53:25 | Weblog
夕刻に民主党の10周年パーティがあり、公認予定候補として参加。ひな壇に舞台裏から入るのだが、会場が人また人でぎっしり。立錐の余地もないという言葉があるが、本当に多くの支持者の方がつめかけていた。乾杯のあと、知人をもとめて移動したが、もう動くだけで精一杯という感じだった。それでも「すとうさんじゃないですか?」と何度か見ず知らずの方から声をかけていただき感激。
そのあと、和歌山に帰る同じ予定候補の阪口さんと、NGOのメディア担当・記録担当としてパキスタン・東チモール・カンボジアなどで行動をともにしたビデオ作家の渡邉さんを偲ぶ会に出席。かって我々が集会をひらいた新宿のインドネシア料理屋に、各地で活動する友人が集まった。ジュネーブから電話をかけてきてくれた人もいた。いま、彼が作った映像を見ると、プロの技術を駆使ししかもNGOの目線でしっかりと国際選挙監視と現地社会の情況をとらえていることがわかる。死の原因は現時点では知りえないが、危険地帯で活動した同志の余りにも早い死を悼む。ただ思いをこめて合掌。

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12 コメント

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はじめまして (n-mizuno)
2008-10-12 19:39:43
渡邉公則さんと小学~高校まで一緒だった者です。
彼は亡くなられたのですか?
ホームページが落ちていたのでおかしいと思っていたのですが…
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渡邊さんを悼む (首藤)
2008-10-12 21:39:59
そのとおりです。ご家族が詳細を伏せられているので、それ以上のことはわかりませんし、それ以上のことをお聞きすることもしません。
小泉政権以降、日本の市民活動は極度の資金難で低迷し、市民社会の拡大とご自信のキャリアアップを重ねあわせていた渡邊さんも、苦しい状況に置かれたのではないでしょうか?あくまで憶測です。現地で犠牲となられ、メディアで大々的に取り上げられたかたもおられましたが、渡邊さんのようなひっそりとした死もまた市民活動家の死であると思います。無念の限りです。ただ、小生は彼の死を悼むばかりではないということだけお伝えしておきましょう。
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突然失礼します (酒井洋平)
2008-11-10 02:53:21
大学時代からの渡邊公則君の友人です。最近連絡が取れないためGoogleで名前を入力して検索したところ、ここにたどり着きました。彼の映像作品に音楽を提供したり、色々と表現活動について語り合って来た仲の者です。彼は、本当に亡くなってしまったのですか?
今の今までその事を知らず、動揺しています。せめて、ご供養のためお墓参りに行きたいと思うのですが、最後に連絡を取り合っていた4月頃には彼はgmailしか連絡先が無く、メールを送っても返信が無いため心配していたのですが・・・。
ご家族の連絡先をご存知でしたら、お知らせ頂けないでしょうか・・・。ショックで、震えが止まりません。

下記宛に、メールを頂けると嬉しく思います。お忙しいところ、お手数をおかけしますがどうかよろしくお願い致します。
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メールアドレス (酒井洋平)
2008-11-10 02:55:52
動揺のあまりメールアドレスを記入し忘れました
yhsk0213[a]gmail.com
[a]を@に置き換えて頂ければ幸いです。


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このままではおかない (首藤)
2008-11-10 23:37:13
酒井さん、死因など個人というよりご家族の心の痛みを考えるとそっとしておいていただきたいと思います。小生も人を何人か介して知った情報です。しかし、小泉政権の登場後、市民活動は極度に弱体化し、資金も行き詰まり、将来の展望も開けぬまま、市民活動家がつぎつぎと戦線を離れ、脱落しています。すべては金の問題とは申しませんが、収入の道がとだえれば、悲観は絶望となってしまいます。
若者を絶望への追いやった小泉政権と自民党、この責任はきっちりとってもらいましょう。
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哀悼 (本間)
2008-11-11 22:42:39
酒井氏同様に大学時代からの渡邊公則氏の友人です。
私は、肉親や友人等が次々と自死していった為に、供養と悪業断ちの行をしております。その矢先、また一人の親友が逝ってしまったこと、遺憾千万遣る方無い思いです。
渡邊君は宗教心にも篤く、共に都内のお不動巡りなどをしたこともありました。故にこそ、友人として線香の一つも供えたい、これは、友として、人として、当然のことです。自らのことも照らして考えるに、近しい友人の供養に対して、ご家族の心が痛むとは思われません。反ってこのままでは、政治的ベールに隠されたようで、故人も浮かばれないのではないでしょうか。
あらゆることを政治的問題に止揚されることは政治家として当然のことですが、一般市民にとって、一人の人間の死を悼むのは、それ以前のことだと思います。関係者各々が、夫々の思念において故人と心を通わせたいのであります。それは、畢竟は、何処においても出来ることかもしれませんが、墓参こそ追悼に相応しいと考えるのが人情ではないでしょうか。
場合によってはご遺族の了承を取った上で、近しい間柄だった者に、供養の道を作ってはもらえないものでしょうか? 情の通った一つの“市民活動”として、先生のご尽力ご期待申し上げます。
合掌
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ありがとうございました (酒井洋平)
2008-11-12 16:41:37
首藤様

ブログでのご返答、ありがとうございました。友人達の共動と自助努力により、ご親族と連絡が取れ、墓前でのお弔いをお許し頂く事ができました。本ブログにて偲ぶ会の記載が無ければ、私は彼の逝去を知る事も無く、安穏と日々怠惰に過ごしていたと思うと、ここに書いて頂けた事は非常にありがたく、感謝致します。

ご親族より、多少の詳細をお聞きすることができました。ここではその事について明らかにすることは不適切でありましょうが、小泉政治の影響や自民党政策云々の国内政治に止揚する範囲にはとどまらない、非常に大きな国家間の人権問題がその背景にあった事は間違いありません。

そういった問題に対する意識喚起、問題提起や解決提案も含め、今後のご活躍を心よりお祈り申し上げます。


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好きなことできて満足です (渡邉公則の父より)
2008-11-22 19:04:13
みんな大好きだよ〕公則 平成20年6月1日になくなりました。 法名 供奉院釈秀公居士になり あの世で皆さんの活躍を見守っていることだと思います。生前は大変お世話になりました、厚く御礼申し上げます、映像の記録が多少有ります。短い人生後半は 〔自然の雄大さ、その中の人間〕日本の自然をバックに撮影写真が有りました、若くして海外の体験が日本の 自然の素晴らしさに関心を持ったようです。
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ただ感謝 (首藤)
2008-11-23 22:26:42
お父様そして渡邊公則をしっかり心の中に記憶し続けていただける皆さん。ありがとうございました。小生は国会議員時代はともかく多忙で渡邊さんともほんの立ち話みたいな記憶の断片しか残っていないのです。それでもその断片を大事に保存していこうと思います。
しかし、私の立場すなわち教師として政治家として許せないのは、こうした有意の若者を絶望に駆り立てる環境であり、孤の死を全体の死にさせないために、その土壌改善に全力で取り組んでいく所存です。
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本間君に会いたい (高橋健一)
2008-11-29 16:40:25
僕は公則君の友人です。公則君と東京で会いました死の前日会う予定でしたが、会えませんでした・・・・・大変残念で、悔しいでした。本間君にメール見ました。私は今上海にいますので時間があったら会いたいと思います、中国で活動の協力したいと思いますの気楽に立ち寄ってください。
連絡先:高橋 健一(タカハシ ケンイチ)
日本:〒120-0005東京都足立区綾瀬1-3-8
TEL:03-6427-0355   FAX:03-6427-0356
中国:上海新村路1288-40-1501
TEL:021-66098276  FAX:021-66098279
携帯電話:090-8491-1072(日本) 
     86-13391144766(中国)
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