会津八一&団塊のつぶやき

会津八一の歌の解説と団塊のつぶやき!

会津八一 1538

2017-09-14 22:31:37 | Weblog
会津八一に関するブログ 454

放浪唫草・第46首(会津八一) 2014・5・30(金)

 木葉(このは)村にて(第4首)   解説

  こころ なき おい が いろどる はにざる の
         まなこ いかりて よ の ひと を みる 

     (心なき老が彩る埴猿の眼怒りて世の人を見る)

 「こころなき」は“無心なる。素朴なる。”自註鹿鳴集。情趣を解さない、無風流である、よりこの言葉を使ったと思われる。“こころなき身にもあはれは知られけり鴫(しぎ)立つ沢の秋の夕暮れ”(西行法師)

会津八一 1537

2017-09-14 00:26:57 | Weblog
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放浪唫草・第45首(会津八一) 2014・5・26(月)

 木葉(このは)村にて(第3首)     解説

  ほし なめて かず も しらえぬ さにぬり の
         ましら が かほ は みる に さやけし

  (乾し並めて数も知らえぬさ丹塗りの猿が顔は見るにさやけし)

 一面に並ぶ猿の顔は赤、八一は赤を印象的に使った歌が多い。

会津八一 1536

2017-09-12 19:05:30 | Weblog
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放浪唫草・第44首(会津八一) 2014・5・22(木)

 木葉(このは)村にて(第2首)     解説

  かはら やく おきな が には の さむしろ の
            かぜ に ふかるる さにぬり の さる

   (瓦焼く翁が庭のさ莚の風に吹かるるさ丹塗りの猿)

 心と体の病を癒す目的もあった八一の九州の旅だが、ここでは穏やかな安堵が感じられる。木葉猿は無病息災、子孫繁栄の守り神という。

会津八一 1535

2017-09-11 18:15:54 | Weblog
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放浪唫草・第43首(会津八一) 2014・5・17(土)

 木葉(このは)村にて        解説

 肥後国木葉村に木葉神社あり 社頭に木葉猿といふものを売る素朴また愛すべし われ旅中にこの猿を作る家これを売る店のさまを見むとて半日をこの村に送りしことあり

  このごろ の よる の ながき に はに ねりて
           むら の おきな が つくらせる さる

   (この頃の夜の長きに埴練りて村の翁が作らせる猿)

 心が沈みがちな九州の旅で自ら「戯歌」と言った歌6首を作る。八一は郷土玩具にも造詣が深かった。 

会津八一 450

2017-09-10 19:15:28 | Weblog
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放浪唫草・第42首(会津八一) 2014・5・13(火)

 自性寺(じしようじ)の大雅堂にて(第4首)    解説 
      
  いにしへ の ひと に あり せば もろともに
         もの いは まし を もの かか まし を

  (古のひとにありせば諸共にもの言はましをもの書かましを)

 池大雅に対する最大級の賛辞と言える。

会津八一

2017-09-09 23:21:07 | Weblog
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放浪唫草・第41首(会津八一) 2014・5・7(水)

 自性寺(じしようじ)の大雅堂にて(第3首)    解説
     
  なほざり に ゑがきし らん の ふで に みる
           たたみ の あと の なつかしき かな

  (なほざりに描きし蘭の筆に見る畳の跡のなつかしきかな)

 畳の目の跡を南画の中に見る書家会津八一の眼。
 蕪村は和紙を畳の上に直において描き、岩肌の感じを出したと言う。

会津八一1532

2017-09-08 19:55:04 | Weblog
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放浪唫草・第40首(会津八一) 2014・4・29(火)

 自性寺(じしようじ)の大雅堂にて(第2首)   解説

  いにしへ の くしき ゑだくみ おほ かれど
        きみ が ごとき は わが こひ やまず

 (古の奇しき絵だくみ多かれど君がごときは我恋ひやまず)

 池大雅こそ私が認める稀なる芸術家だと言う。

会津八一 1531

2017-09-07 18:48:36 | Weblog
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放浪唫草・第39首(会津八一) 2014・4・25(金)

 自性寺(じしようじ)の大雅堂にて (第1首)  解説

 自性寺は豊前中津町にあり 池大雅(いけのたいが)かつて来りて滞留したりと称し寺中の二室を大雅堂と名づけその襖(ふすま)に彼の書画大小二十余点を貼りつめたり まことに西海の一勝観なり しかるにこの寺今はさだまれる住職もなきばかりに衰へて袴はきたる青年ただ一人ありて見物の客の案内などするのみ そのさま甚だ旅懐をいたましめたり
 彼     池大雅(1723-1776)。今に及びて最も人気ある
       南画家。本名池野秋平。別名は三岳道者、霞樵(かしょう)。
 貼りつめ  作者が、これらの歌を詠みてより、久しからずして、この
       墨蹟を、悉(ことごと)く剃刀(かみそり)かなどにて、襖より
       切り抜きて盗み去りしものあり。それより後今日に至るも、
       遂に行くところを知らずといふ。因(ちなみ)にいふ、昭和
       五年(1930)平凡社発行の『書道全集』第廿一巻には、
       これらの墨蹟のうち五点を掲載せり。
               (八九、九〇、九一、九二、九三頁参照)
       
  むかしびと こころ ゆららに もの かきし
         ふすま に たてば なみだ ながるる

   (昔人こころゆららに物書きし襖に立てば涙流るる)  

 人をあまり褒めない八一だったが、池大雅は評価した。

会津八一 1530

2017-09-06 23:30:47 | Weblog
会津八一に関するブログ 446

放浪唫草・第38首(会津八一) 2014・4・21(月)

 耶馬渓(やまけい)にて(第11首)    解説

  たにがは の きし に かれ ふす ばら の み の
               たまたま あかく しぐれ ふる なり

   (谷川の岸に枯れ伏すバラの実のたまたま赤く時雨降るなり)

 印象的な赤、バラの実を配して、「耶馬渓にて」11首を終わる。

会津八一 1529

2017-09-05 23:07:09 | Weblog
会津八一に関するブログ 445

放浪唫草・第37首(会津八一) 2014・4・17(木)

 耶馬渓(やまけい)にて(第10首)   解説

  あき さらば やまくにがは の もみじば の
       いろ に か いでむ われ まち がて に

 (秋さらば山国川のもみじ葉の色にか出でむ我待ちがてに)

 次に私が来るのを待って耶馬渓の紅葉は色づくだろうと詠む。

会津八一 1528

2017-09-04 19:07:02 | Weblog
会津八一に関するブログ 444

放浪唫草・第36首(会津八一) 2014・4・12(土)

 耶馬渓(やまけい)にて(第9首)    解説

  やまくに の かは の せ さらず たつ きり の
            たちかえり つつ みむ よし も がも

  (山国の川の瀬さらず立つ霧の立ち返りつつ見むよしもがも)

 耶馬渓を去ろうとする八一は何度もこの素晴らしい渓谷を見る方法が無いかと詠う。

会津八一 1527

2017-09-03 19:32:39 | Weblog
会津八一に関するブログ 443

放浪唫草・第35首(会津八一) 2014・4・8(火)

 耶馬渓(やまけい)にて(第8首)  解説

  しぐれ ふる やまくにがは の たにま より
           ゆふ かたまけて ひとり いで ゆく

  (時雨降る山国川の谷間より夕かたまけて一人出でゆく)

 2泊した耶馬渓を出て、孤客はさらに九州の旅を続ける。

会津八一 1526

2017-09-02 17:00:10 | Weblog
会津八一に関するブログ 442

放浪唫草・第34首(会津八一) 2014・4・4(金)

 耶馬渓(やまけい)にて (第7首)  解説

  むか つ を の すぎ の ほこふで ぬき もちて
            ちひろ の いは に うた かか まし を

    (むかつをの杉の鉾筆抜き持ちて千尋の岩に歌書かましを)

 杉の木を引き抜き、巨大な岩に歌を書きたいと言う。

会津八一 1525

2017-09-01 19:02:40 | Weblog
会津八一に関するブログ 441

放浪唫草・第33首(会津八一) 2014・3・30(日)

 耶馬渓(やまけい)にて (第6首)   解説

  あさましく おい ゆく やま の いはかど を
           つつみ も あへず このは ちる なり

  (あさましく老いゆく山の岩角を包みもあへず木葉散るなり)

 老いたる人に似た岩、落ち葉がその岩を隠せないと言う。八一の視点と表現の素晴らしさを想う。