会津八一&団塊のつぶやき

会津八一の歌の解説と団塊のつぶやき!

会津八一 1551

2017-09-28 18:55:18 | Weblog
会津八一に関するブログ 467

最後の奈良見学旅行1  2014・7・18(金)

 恩師・故植田重雄先生の「會津八一の生涯」(1988年)を読んだのが、会津八一との出会いである。先生の本はほとんど読んだが学術書で難しい。そうした中で、感情が表に出て、情感豊かに書かれている「最後の奈良見学旅行」(秋艸道人 會津八一の学藝・補遺二 2005年)は印象に残った。そこには生身の先生がいたからである。
 最近、会津八一の第二歌集・山光集の歌の解説を進めているが、この補遺二と関連する。学徒出陣間際(昭和18年)の学生たちを連れたこの「最後の奈良見学旅行」を数回に分けて紹介する。現在の戦争への道を開こうとする愚かな選択を憂いながら。

 會津八一(秋艸道人)先生は、毎年美術科・史学科の学生のために、大和の寺や古美術の見学の旅行を行ってきた。しかし昭和十八年の秋のそれは、特別のものであったようにおもう。太平洋各戦域でアメリカは総反攻に転じ、ミッドウウェー海戦、ガダルカナルの激闘、アッツ島の玉砕等々日本は守勢に立たされていた。
 当時、貴族院議員であり、土佐の武市半平太の嗣子なる人が、まだ日本は敗北したわけではない、三十万人の学生の精鋭がいるではないか、これらをして国難に当たらしめ退勢を挽回しようと提案した。戦後は戦争責任を軍部にだけかぶせたが、政治家もなかなか率先してやったものだ。やがて「徴兵猶予の停止」が宣言され、学園の学問や研究の火は消えることになった。いわゆる学徒出陣である。雨の降る明治神宮外苑球場での、東條英機総理のもと、閲兵分列の壮行会が行われたのは十月十五日である。