会津八一に関するブログ 469
最後の奈良見学旅行2 2014・7・22(火)
愚かな戦争は未来を担う学生たちも戦場に駆り出した。「戦後は戦争責任を軍部にだけかぶせたが、政治家もなかなか率先してやったものだ」植田先生の眼は鋭い。
最後の奈良旅行は戦地に赴く学生たちとの別れともいえる。多くの学生は八一の鹿鳴集を携えて出征したと言う。
奈良見学旅行は、いろいろな行事を避けたためにおくれ、ようやく十一月十一日に行われることになった。芸術科の学生だけでなく、奈良美術に興味を持つ学生はだれでも参加してよいということである。それは間もなく入隊し、戦地に赴く学生たちに、美の故郷である奈良とその仏像を観てほしいという、會津先生のおもいやりであったとおもう。しかし、あわただしい入営間近の旅行である。郷里に帰り、身辺を整理したり、親戚知人への別れの挨拶もひかえていた者にとって、全日程をこなすことはむつかしかった。だから、十一日から二十二日までの全日程を、はじめから終りまで旅行したのは、ごく少数で、大方は五、六日、あるいは三、四日、道人の一行に加わり、途中で別の自分の選んだ寺社を旅する者、随時参加して道人に別れの挨拶をして帰郷するものなどまちまちであった。それも時局の厳しさを反映するものである。
最後の奈良見学旅行2 2014・7・22(火)
愚かな戦争は未来を担う学生たちも戦場に駆り出した。「戦後は戦争責任を軍部にだけかぶせたが、政治家もなかなか率先してやったものだ」植田先生の眼は鋭い。
最後の奈良旅行は戦地に赴く学生たちとの別れともいえる。多くの学生は八一の鹿鳴集を携えて出征したと言う。
奈良見学旅行は、いろいろな行事を避けたためにおくれ、ようやく十一月十一日に行われることになった。芸術科の学生だけでなく、奈良美術に興味を持つ学生はだれでも参加してよいということである。それは間もなく入隊し、戦地に赴く学生たちに、美の故郷である奈良とその仏像を観てほしいという、會津先生のおもいやりであったとおもう。しかし、あわただしい入営間近の旅行である。郷里に帰り、身辺を整理したり、親戚知人への別れの挨拶もひかえていた者にとって、全日程をこなすことはむつかしかった。だから、十一日から二十二日までの全日程を、はじめから終りまで旅行したのは、ごく少数で、大方は五、六日、あるいは三、四日、道人の一行に加わり、途中で別の自分の選んだ寺社を旅する者、随時参加して道人に別れの挨拶をして帰郷するものなどまちまちであった。それも時局の厳しさを反映するものである。