半農・半Xの生活

思いついたことを思いついた時に綴ります。

すること為すこと全てが政権維持の為と思えばよい

2016年03月05日 09時27分40秒 | 日記
沖縄県と国の訴訟合戦がひとまず休戦ということになった。
昨日の翁長知事と安倍の握手は忌み嫌う者同士が要求されて
とったポーズで現状はなにも変わっていない。
そもそも、20年前の普天間基地の危険除去が辺野古移設に結
びつくのはあまりにも短絡的であり、沖縄に寄り添うと言う
ならば、これ以上沖縄に新基地を造らないことではないのか。
危険除去の方策としては、移設か削減になろうが、ここは削
減すべきだろう。
かつて米国は国外例えばグアムに移設しても問題ないと言っ
ていた記憶してえいるが、そこを日本の安保村が強引に引き
留めたわけで、沖縄に7割と集中している基地のうちの普天間
が無くなっても抑止力に問題はないだろう。沖縄の基地が抑
止力というよりは、殺戮のためのベースキャンプという意味
合いが強い。ベトナム戦争しかりイラク侵略戦争しかり、
罪無き市民の命を引き替えに自国の軍需産業を肥え太らせる
ような大義無き殺戮のための沖縄基地ではないのか。

死者の返り血を浴びないまでも血なまぐさい残臭がまとわり
つく爆撃機や戦闘機が悠然とある姿をみて本土の人間は怒り
を覚えないのか。沖縄の問題は、日本の問題と考えないのか、
沖縄の反基地を叫ぶ人に向かって非国民などと誹謗して恥ず
かしくも心も痛まないというのか。

いずれにしても、今回の和解で政府が歩み寄ったポーズをと
ったものの、あくまでも選挙対策であり、夏の参院選が終わ
るまでの数ヶ月の工事の遅れは織り込み済みであろう。
しかも辺野古移設は進めると言っているわけだから、再び泥
仕合になるのは、目に見えており、司法を通じて沖縄をねじ
伏せる結末が待っている。

今の政権がとる政策全てが、ムードづくりだけで実態が伴わ
ない。
アベノミクスは如何なる数字を以て来ても民主党政権時代よ
りも全てにおいて悪化しており破綻していることは明らかな
のに、国会では質問者を愚弄しつつ、詭弁を弄して誤魔化し
や瞞しが常套である。相手を言い負かすことが答弁だと勘違
いしており、このことからも例のロボット発言が出たのだろ
う。
この口からでまかせのこの出鱈目をマスメディアは糺すどこ
ろか礼賛のオンパレードで見ている側も怒りを越えて脱力感
に襲われる。このマスメディアの政権と一体となった宣伝活
動で見事に騙される主権者国民が多く、支持率は常に高止ま
りである。

甘利の疑獄事件もいつの間にか甘利辞任が美談にすり替わり、
問題の悪辣さを伝えようともしない。これも官房機密費に集
る鮨友だからこその忖度だろう。

今は、先の戦争突入前の世相に似ていると言う人もいるが、
不景気、貧困、格差、虐待、人々の心は荒み始めている。

鼻濁音について

2016年03月04日 10時08分20秒 | 日記
以前に鼻濁音について言及したことがあったが、最近、特に美しい
日本のNHK(笑)のアナウンサーが鼻濁音を使えておらず、TV,
ラジオの番組を見聞きしていて、中高年の小生は、常に気色悪い思
いをしていた。そこで、たまりかねて最近になってNHKに具申し
た。
そして、来た返事が以下のものである。



鼻濁音のことで、厳しいご注意をいただきました。
ご叱声ありがとうございます。
私どもとして、現在鼻濁音について考えていることを述べて、ご理解
を賜りたいと思います。
お客様ご指摘の通り、本来、鼻濁音は共通語を美しく聞かせる要素に
なってきました。
従って、採用直後の研修をはじめ、鼻濁音の教育は続けています。
しかしながら、率直に申しまして、残念ながらなかなか実行を伴い難
い状態になっていると認識しています。
それは、一般的には若い年代では、鼻濁音がほとんど衰微してしまい、
決して日常的では無くなっているからです。
ことばは生きもので、時代や世代とともに変化しています。
特に話しことばは、このところ以前とは比べものにならないほどの速
度と量で変化をしています。
こうしたことばの変化の多くは、歴史的にみても若い層に始まり、少
数から多数へと変化してきました。
鼻濁音の衰微も、この変化の中で起きています。
勿論、放送にアナウンサーとして携わるようになった以上、一般の人
とは違い、意識を変えて鼻濁音を身につけて欲しいとは願っています。
しかし、アナウンサーとなる前は、極普通の若者として生活してきた
彼らにとって、鼻濁音はいまや、じつに特殊なもので、馴染みの無い
ものです。
様々な例外を含みつつ、鼻濁音にも基本的な約束ごとがありますが、
その法則ともいえる約束ごとを「いち」から覚えなければならない状
態になっています。
その結果、教育すると逆に過剰な鼻濁音になることがしばしばあるく
らいです。
一方で、彼らと同年代で、音声表現の面で社会的に強い影響力を持つ、
役者やタレント、歌手をみてみますと、やはり鼻濁音は極めて衰退し
た状態です。
よく、「学校で習っただろう」というご指摘をいただきますが、現在、
学校教育の場でも、きちんと鼻濁音を操り、教えられる先生は少ない
のが現状です。
家庭においても、きちんと鼻濁音を話している方は少ないと思われま
す。
鼻濁音の衰微は急に始まったのではなく、こうした積み重ねで今に至
っていると思います。
現在では、声楽の世界を除き、世の中全体が似たような状態にあるの
ではないでしょうか。
私どものアナウンサーの鼻濁音に関する状態は、こうした背景があっ
てのことです。
この中で、NHKアナウンサーだからと鼻濁音を本来あるべき姿のま
まに維持するためには、それこそ一大目的と考えて、人手と手間を割
かない限り、難しいといえます。
残念ながら鼻濁音をそのように位置づける余裕は、今の私どもには、
無いと考えています。
私どもとしては、今後も鼻濁音に関して、教育を続けていくことに変
わりはありません。
しかし、残念ながら、ご期待に沿うほどには鼻濁音を放送で維持する
ことは難しいと受け止めています。
お気持ちは理解できますが、鼻濁音そのものの位置づけをご理解下さ
い。



この返事は以下のように要約される
①教育はしているが、鼻濁音に慣れていない彼等・彼女等が習
得するのは極めて困難である。
②時代の趨勢で、今は鼻濁音に廃れてしまった。
③今後も教育はするがあまり期待しないで欲しい。
④どうか我慢して下さい。


磨りガラスを固いもので擦るような気色悪い思いが永遠に続くと思うと
何とも憂鬱である。