半農・半Xの生活

思いついたことを思いついた時に綴ります。

天は我に味方せずか?

2014年09月12日 07時49分17秒 | 日記
例の大気の状態が不安定という現象で、昨日の午後は雹混じり
の大雨で、当地の農家さんの農作物は相当な被害を被ったらし
い。我が家庭菜園もその被害から免れることは出来ずにこの頃
間引きをした大根などもぼろぼろにされてしまった。我家の趣
味の菜園と違い、プロの農家の皆さんは、収穫間近の巨峰、レ
タス、リンゴなど甚大な被害を聞くと心中察するに余りある。
天は皆に平等だとは言え、気まぐれなのには本当に困ったもの
だ。
     
                
     
               

今朝の朝飯前仕事

2014年09月10日 08時11分11秒 | 日記
秋の訪れとともに、夜明けが日一日の遅くなってきた。
5時だと薄暗く、5時半頃にやっと東の空が明るくなっ
てくる。
夏野菜も勢いがなくなり、収穫量、種類共に減ってき
た。とは言え毎朝、野菜の収穫をするようにしている。
まだ採れるのは、ピーマン、ナス、オクラ、インゲン、
キュウリもなるが、さすがに風前の灯火と言った様相
で、親しい友人達に別れを告げられているようで何と
も寂しい限りである。

そんな中、これから勢いを増してくるのが、大根達で、
種を播いてから20日ほど経過し、3粒づつ播いた種も一
斉に芽を出し、成長が著しいが、しっかりした大根を
作るために、大根達には可哀想だが間引きをした。3本
くっついて生えている中で1本だけ残すのだが、間引き
される方は、戦々恐々かも知れない。それでも、間引
きしたのもしっかりとおいしく頂くので、心配しなく
ても良いよなどと声を掛けつつ、作業をした。

               

いつまで続く憂鬱な日々

2014年09月09日 08時00分12秒 | 日記
どうやら、秋の花粉症のアレルギー症状が出て、目が痒く
ゴロゴロし、鼻からの喉にかけて痛く、身体もだるい。
早くも憂鬱な時期が到来した。

ところで、今日もまた、安倍の悪口で、安倍ファンには、
何とも申し訳ないがご辛抱を(笑)。

安倍という男、一度、総理の責任を放り投げた無責任な人
間であるが、復権した途端に、恐い物知らずで、何かが取
り憑いたようにやりたい放題の政権運営が続く。

小生は、第一次政権時に政権をぶん投げた時には、とにか
くホットしたものだ。なにしろ、教育基本法をはじめ様々
な悪報を制定し、美しい国、戦後レジュームからの脱却な
どなど何やら歴史修正主義が勢いづき始めた頃だったから
である。政権を放りだした時は、その勢いも一応頓挫し、
なにより、これで、彼の政治生命は潰え、政界から消え去
るものだと思った。

ところが、あの無責任な世襲政治屋は、政界から身を引く
どころか密かに捲土重来を期し雌伏の時を過ごしていたよ
うである。(笑)

しかし、何故その安倍が、再起を果たせたのか良くわから
ない。それ程に力のある人間なのか。それとも自民党には、
人材が不足しているということなのか。確かにまともな政
治家は見あたらないとは思うが。
そして、総理の再び就くなり、怪しげなアベノミクスを打
ち出した。これが、タイミング良くにアメリカの景気回復
ドル高に振れて円安と株高でアベノミクスの景気回復効果
は、国民はマスメディアによって簡単に信じ込んだ。
しかし、実際には円安で伸びるはずの輸出は伸びが見られ
ず、好況感を醸し出すために、年金やらの公的資金を注ぎ
込み株価操作をしているが、それとて政権維持のためであ
る。
そもそも、所得が増えていないのだから、アベノミクスの
波及効果も何もあったものではない。
そして、何よりもマスメディアを味方に付けると怖い物は
無い。利害関係が完全に一致したマスメディアには、何を
しても何を言っても糾弾されることがないのだ。

石破潰し、ガス抜き内閣改造直後の支持率調査では、読売、
日経は60%超えまで回復したとのことだが、いくら応援団
でもそこまで、やるかという感じだ。どういう調査をして
いるのか、本当にやっているのか俄に信じがたい。毎日の
47%あたりが妥当だろう。

ところで、GDPの数値は誤魔化しようがなく、国内消費
は一向に伸びていないらしい。御用評論家によると駆け込
み消費の影響がまだ続いているとのことだが、所得が増え
ないのに、余分な物を買う金も有るわけが無く、買う物も
無い状況なんだから、消費が伸びるわけが無いのは当然だ
ろう。

早晩、金融緩和のみの経済政策は、破綻をするだろうしし、
それによって、安倍辞任論が高まると密かに期待している
のだが、早くその日が来て欲しいものだ。
とは言え、ポスト安倍が誰になるのか、いずれにしても、
自民党から出るだろうから、今の自民党にはリベラルで力
がある人間はいないとなると、当分はアレルギー症状と同
時に憂鬱な日々が続きそうだ。

週末の農作業

2014年09月08日 09時59分39秒 | 日記
このところの天候は、不安定で不順である。
日照不足で、リンゴなどの果樹農家にとっては心配であろう。

この週末は、いつもの草むしりをした。雨や日照が無いためか、
むしった草も、枯れることなく、根付いてしまっている。
ネギの葉にサビが見られるので、ご覧のとおり、葉の1/3ほど
残してカットした。何と無謀なと思われる向きもあろうが、こ
れが意外と再生力があって、再びしっかりとした葉が再生され
て立派なネギになる。
           

娘が沖縄旅行で買って来た島ニンジンとヘチマであるが、ニン
ジンの方は何とか食べられるまでに成長したが、ヘチマの方は、
ツルは際限なく伸びるのだが、花が咲き、実がなる気配は一向
にない。やはり24時間通して25度以上確保出来る環境じゃ無い
と無理かも知れない。
       
            

今でも、「もはや戦後ではない」は無い

2014年09月02日 08時00分33秒 | 日記
岩波書店発行の「未来に語り継ぐ戦争」を読んだ。
戦争経験者と戦争を知らない世代の老若世代14人の対談を
まとめたものである。
例えば、むのたけじ×雨宮処凜、半藤一利×田口ランデイ、
品川正治×鈴木邦男などなどである。
共通して言えることは、加害者であり、そして悲惨な被害者
であった、あの戦争が、70年も経ったのに国として国民と
して総括できていないということである。
だから、戦争を知らない連中が、自衛のための戦争だったと
か、アジア諸国を欧米列強の支配から解放するために仕方な
くやった戦争だとかご託を並べるわけだが。
当時新聞記者であった、むのたけじ氏が国からの圧力の有
無を問われ、そんなものは無かった。当局の圧力よりも隣
近所の方が怖かったと言っている。無言の圧力によって、
自主規制をしてしまう。思うに、普通の国民にしてみれば、
憲兵よりも隣組の圧力の方が怖かったのかも知れない。こう
いう雰囲気は、国民の自主規制から自然に醸成されていった
ものだろう。
また、もう一つ別の見方から考えると、いくらだますものが
いてもだれ一人だまされるものがなかつたとしたら今度のよ
うな戦争は成り立たなかつたに違いないのである。
 戦争の総括の話に戻るが、国としての反省(権力者のみで
は無く国民も含めた)がされなかったから、共通認識が形成
されなかったから、今になって、あの戦争を美化するような
小説や、映画が戸惑いもなく賞賛されているわけだ。
終戦当時、多くの国民は、新憲法の下、戦争の恐怖と無言の
重い圧力から解き放された開放感で、反省などに気が回らな
かったのかも知れないが、このあたりにも押しつけられた
(与えられた)民主主義を深く考えることもなく、経済復興
のみに邁進したツケが今になって出ているがあまりにも大き
すぎる負債である。

日本が米国と戦争したことも知らない世代や、朝鮮、中国も
侵略したことも知らない連中、嫌中、嫌韓の行動の台頭に見
られるように、侮蔑する意識だけは、戦前から引き継がれて
いるのも皮肉だ。考えてみるに、日本に空前絶後の殺戮を行
った米国を畏怖し、脱亜入欧を掲げ、侵略で多大なる苦痛を
与えた、中国、韓国を毛嫌いするのだから、何ともおかしな
話だ。
やはり、日清戦争で、勝利し、近代化が日本よりも遅れてい
る中国、韓国を侮蔑する国民的意識が教育で形成されたのか
も知れない。

反省の話に戻るが、ドイツの場合は、ナチスの所為にしない
で、政治指導者達がしっかりと反省し国民にも共通の認識が
形成された。一方の日本は日本の場合は、中国、韓国で行っ
てきた残虐行為に心を閉ざし、子孫に語り継ぐこともせずに、
戦争経験者や語り継ぐ残された人も僅かになっている。この
期に及んでは、村山、河野談話を見直すなどと歴史の針を戻
すような馬鹿なことを言わないで、これを明確にして、都合
良く外交上の免罪符として使うのではなく、国民共通の認識
として、反省すべきは反省し、卑屈になるのではなく毅然と
した態度でお互いに対等な立場で、付き合っていくことが大
切だと思う。

以前にも触れたが、伊丹万作の「戦争責任の問題」を引くと、
『つまりだますものだけでは戦争は起らない。だますものと
だまされるものとがそろわなければ戦争は起らないというこ
とになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにし
ても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである。
 そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという
事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだ
まされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家
畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつてい
た国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが
悪の本体なのである。』