半農・半Xの生活

思いついたことを思いついた時に綴ります。

満蒙開拓平和記念館を訪ねて

2014年06月25日 08時00分20秒 | 日記
雨の週末、阿智村にある予てから行きたいと思っていた満蒙開拓平和記念館
を訪れた。当時の侵略政策に翻弄され、数多の人が非業の死という悲運を味
わった国策が満蒙開拓である。
五族協和・ 王道楽土などと聞こえの良いことを言い立てて、他国を侵略し、
地元の農民からなかば略奪した農地に貧しい農民等を移民させたわけだ。
軍事作戦上、ソビエトからの侵攻に備えと時間稼ぎのために、血気盛んな15
歳から18歳の子供を満蒙開拓青少年義勇軍という軍人に仕立て、ソ連国境
付近に入植させた。

こんな侵略が世界的に見て許されるべくもなく、破綻は目に見えていたのだろ
うが、そのことは国民にひた隠し、ソ連が侵攻する前に軍隊は我先に開拓移民
を棄てて逃げた。一方で残された移民の逃避行は壮絶を極めたらしい。
集団自決、恨みをもつ地元住民らによる虐殺、逃げる途中での衰弱死、病死、
特に幼子や乳飲み子を抱えての逃避行も凄惨を極めたらしい。
現地の人に預けたり託したりし、後に残留孤児として日本に帰国を果たした人
もいる。残留孤児を描いた山崎豊子の「大地の子」は有名である。
移民数32万人で帰国できたのは半数以下の11万人程度だったらしい。

とにかく、時の政府(軍部)は、甘言を用いて国民を瞞したこと、情報を隠した
こと、我先に安全なところに逃げたことなどは、安倍が、目指し、これからなる
であろう軍事国家の国家運営にそのまま当てはまりそうだ。そう言えば、安倍が
尊敬してやまない岸信介が、若手官僚だった頃に中心になって日本の資本を注ぎ
込み最先端の国家を捏造したのが滿蒙開拓であり、生前「満州国は私の作品」と
豪語していたらしい。

何れにしても、痛みが分からない安倍などは、一回この記念館に足を運び、戦争
の悲惨さを学んだ方が良いと思うが、無理な話か。
   
                  

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