半農・半Xの生活

思いついたことを思いついた時に綴ります。

自業自得

2013年07月12日 09時27分39秒 | 日記
どうやら、日本の終焉となる7月21日に向けて、時限爆弾の秒針の如く
刻一刻と時が刻まれている。
この選挙が、今後の日本に行方を大きく左右するターニングポイントに
なるかも知れない。
近い将来、あの時に取った無知や無関心から来る行動から取り返しのつ
かないことになってしまい、後悔先に立たずという思いをする人も少な
からずいるかも知れない。しかし、多くの国民がマスメデイアの評論よ
ろしくアベノミクス(アホノミクスと識者に呼ばれている)が評価され
たんだと感じるだけかも知れない。或いは、ねじれが解消されて良かっ
たなどと思うかも知れない。そのことの重大さに気づきもせずに。

コイズミ構造改革の郵政選挙よりはるかに重要な選挙だと言うのに、
ほとんどの国民は、能天気に構えており、やがて訪れるであろう様々な
棄民政策による困窮であったり、懐古主義的で王政復古的な憲法であっ
たり、地域のコミニュテイーの消滅だったり等々、気づいて慌てふため
いても二進も三進も行かない状態に陥いることが想像できないのだろう。

毎度、書いていることだが、この国の国民は、既得権益者がやろうとし
ていることに対して、真剣に考えられないし、此の国の行き先、延いて
は自分や家族の将来のことなど考えられないのだろう。

ここへ来て、全てのお任せの弊害が出ている。政治家にお任せ、行政に
お任せ、司法にお任せ、彼らの為すことにあまり関心や疑問を持たずに
やってこれた右肩あがりの経済成長の時代は、自分達が毀損するものに
頓着しなくてもそれは良かったかも知れない。ましてやマスメデイアは、
既得権者の代表であり、プロパガンダである訳で、マスメデイアが垂れ
流す情報を金科玉条のごとく何の疑いも持たずに信じ込み洗脳され続け
てきたツケがきている。

「ギブミーチョコレート」の時代から、米国の為すこと全てに畏敬し、
憧れの存在で、追いつけ追い越せでやってきた。先の大戦で非戦闘員の
30万人以上が虐殺された相手であるにも関わらず、戦争を早期に集結さ
せるためには、あの原爆投下は仕方なかったなどと言い出す始末である。
実際は、蔑むべく劣等国日本人、イエロー・モンキー達の住む国だから、
米国の都合や思惑で投下された、原爆なのに。テレビ、スポーツ、セッ
クスの3Sで洗脳、去勢され国民の矜恃や誇りさえ持てずに今に至って
いる。
未だに、あの負け癖や卑屈なまでの米国への忖度で、彼らとの交渉では、
負け犬よろしく尻尾を巻き、振り、国民が手にすべき巨万の報酬や財産
を彼の国の富に付け替えてきた。
以来、市場原理、グローバリズムなるものの波に抗うことも出来ずに、
結いの文化に見られるような、共生の文化を失いつつあり、正に壊国に
向かっている。
「日本を取り戻す」などと、意味不明なことを宣っているが、彼は、彼
らは何をだれの為に取り戻そうと言うのか。よもや、「日本を米国に差
し出す」の誤りではないことを祈る。
 
内田樹氏のブログに脱グローバリズムについて目から鱗の記事があった 
ので長いですが以下に転載します。

 (以下転載)
今、私たちの時代はグローバリズムの時代です。世界は急速にフラット
化し、国民国家のもろもろの「障壁」(国境線、通貨、言語、食文化、
生活習慣などなど)が融解し、商品、資本、人間、情報があらゆる「ボー
ダー」を通り越して、超高速で自由自在に行き来しています。このままグロ
ーバル化が進行すれば、遠からず国民国家という旧来の政治単位そのもの
が「グローバル化への抵抗勢力」として解体されることになるでしょう。
国民国家解体の動きはもうだいぶ前から始まっていました。
医療・教育・行政・司法に対する「改革」の動きがそれです。これらの
制度は「国民の生身の生活を守る」ためのものです。怪我をしたり、病
気をしたり、老いたり、幼かったり、無知であったり、自分の力では自
分を守ることができないほど貧しかったり、非力であったりする人をデ
フォルトとして、そのような人たちが自尊感情を持ち、文化的で快適な
生活を営めるように気づかうための制度です。ですから、これらの制度は
「弱者ベース」で設計されています。当然、それで「儲かる」ということ
は本質的にありえません。
基本「持ち出し」です。効率的であることもないし、生産性も高くない。  
でも、この20年ほどの「構造改革・規制緩和」の流れというのは、こう
いう国民国家が「弱者」のために担保してきた諸制度を「無駄づかい」で
非効率的だと誹るものでした。できるだけ民営化して、それで金が儲かる
システムに設計し直せという要求がなされました。その要求に応えられな
い制度は「市場のニーズ」がないのであるから、淘汰されるべきだ、と。  
社会制度の適否の判断は「市場に委ねるべきだ」というこの考え方には、
政治家も財界人もメディアも賛同しました。社会制度を「弱者ベース」か
ら「強者ベース」に書き替える動きに多くの国民が喜々として同意署名し
たのです。  
それがとりあえず日本における「グローバル化」の実質だったと思います。
社会的弱者たちを守ってきた「ローカルな障壁」を突き崩し、すべてを「市
場」に委ねようとする。  
その結果、医療がまず危機に陥り、続いて教育が崩れ、司法と行政が不可
逆的な劣化過程に入りました。現在もそれは進行中です。この大規模な社会
制度の再編を通じて、「健常者のための医療、強者のための教育、権力者に
仕えるための司法と行政」以外のものは淘汰されつつあります。
驚くべきことは、この「勝ったものが総取りする」というルール変更に、
(それによってますます収奪されるだけの)弱者たちが熱狂的な賛同の拍手
を送っていることです。国民自身が国民国家の解体に同意している。市民た
ち自身が市民社会の空洞化に賛同している。弱者たち自身が「弱者を守る制
度」の非効率性と低生産性をなじっている。倒錯的な風景です。 「みんな」
がそう言っているので(実際には自分の自由や幸福や生存を脅かすようなも
のであっても)ずるずると賛同してしまう考え方というものがあります。
マルクスはそれを「支配的なイデオロギー」と呼びました。グローバリズム
は現代における「支配的なイデオロギー」です。
人々はそれが自分たちの等身大の生活にどういう影響を及ぼすのかを想像し
ないままに、「資本、商品、人間、情報があらゆるローカルな障壁を乗り越
えて、超高速で全世界を飛び交う状態」こそが人類がめざすべき究極の理想
だと信じ込んでいます。どうしてそんなことが信じられるのか、僕にはよく
わかりません。  
高速機動性が最高の人間的価値だとみなされるような世界においては、機動
性の低い人達は最下層に分類されることになります。
この土地でしか暮らせない、この国の言葉しか話せない、伝統的な儀礼や祭
祀を守っていないと不安になる、ローカルな「ソウル・フード」を食べてい
ないと生きた心地がしない……そういったタイプの「地に根づいた」人たち
は、グローバル社会では最底辺の労働者・最も非活動的な消費者、つまり
「最弱者」として格付けされます。能力判定の基準が「機動性」だからです。
グローバル化というのは「そういうこと」です。自家用ジェット機で世界中
を行き来し、世界中に家があり、世界中にビジネスネットワークがあるので
「自分の祖国が地上から消えても、自分の祖国の言語や宗教や食文化や生活
習慣が失われても、私は別に困らない」と言い切れる人間たちが「最強」に
格付けされるということなのです。  
もちろんそんな非人間的なまでにタフな人間は現実にはまず存在しません。
でも、それが「高速機動性人格」の無限消失点であり、グローバル社会にお
ける格付けの原基であることに変わりはありません。 あるグローバル企業の
経営者が望ましい「グローバル人材」の条件として「英語が話せて、外国人
とタフなビジネスネゴシエーションができて、外国の生活習慣にすぐ慣れて、
辞令一本で翌日海外に飛べる人間」という定義を下したことがありました。
まことに簡にして要を得た定義だと思います。これは言い換えると、その人が
いなくなると困る人がまわりに1人もいない人間ということです。
「グローバル人材」であるためには、その人を頼りにしている親族を持って
はならないし、その人を欠かすことのできないメンバーに含んでいる共同体
や組織に属してもならない。つまり、その人が明日いなくなっても誰も困らな
いような人間になるべく自己陶冶の努力をしたものが、グローバル企業の歓迎
する「グローバル人材」たりうるわけです。  
これは「地に根づいた」生き方のちょうど正反対のものです。「地に根づいた
人」とは、その人を頼る親族たちがおり、その人を不可欠のメンバーとして機
能している地域の共同体や組織があるせいで、「私はこの人たちを置き去りに
して、この場所を離れることができない」と思っている人間のことです。
そういう人間はグローバリズムの世界では「望ましくない人間」であり、それ
ゆえ社会の下層に格付けされることになる。  
繰り返し言いますけれど、どうして日本人たちがこんな自分たちに圧倒的に不
利なルール変更にうれしげに賛同したのか、「支配的なイデオロギー」の発揮
する魔術的な効果ということ以外に私には理由が思いつきません。
(転載おわり)


いずれにしろ、いずれ批准されてしまうであろうTPPによって市場原理主義の
餌食にされる社会的共通資本の破壊によってこの国は、貧困大国への凋落の道を
歩まされることになる。それは、被虐的な言い方だが、自業自得というこ
とだろう。



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