えみこママのブログ

こんにちは。お元気してますか?いつもいつもエネルギーを分けてくださってありがとうございます。おかげで元気ですよ~。

ゆうちゃんとのひととき

2019-06-05 08:34:53 | Weblog
エレクトーンのかわい子ちゃんを運ぶのに、息子に手伝ってもらったが、その時ゆうちゃんも来た。
作業が終わっても帰ると言わないので、おにぎりをにぎってもらった。

私がかわい子ちゃんの取説に見入っていたもので、ゆうちゃんはふにゃふにゃと泣き出した。
なんだよ!パパに迎えに来てもらうか?ときくと首を横に振っている。

ふにゃふにゃするんだったら帰りな!と言うと余計に泣いたので、息子に電話したら出なかったので買い物に行こうと誘った。

おにぎり食べないならその代わりにパンを食べなさい。今日はばあばんちは牛乳しかないからね。といった。

おそらくゆうちゃんは、ひょっとしたらチョコレートを買ってもらえるかもと踏んだだろう。

そのとおりにしてあげた。

もう、ニコニコして歩いていた。

買い物して帰ってからパンと牛乳を食べさせて、チョコレートを少し食べたあとお風呂に入った。

昼寝してなかったのか、お風呂から出たら眠そうにしていた。

今朝パパの車に乗って保育園に行くところだったが、泣いていた。
妹と家に居たかったのかな。

保育園に行けばゆうちゃんの居場所があるし、もう正規の年齢で入ったのだから体調が戻れば行かないとね。

保育園に着けばカッコ悪いから泣くのは止むだろう。

地球は回る。

ばあばも忙しい。
身体がついていかないよー!
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しのぎを削った女の戦いがあった

2019-06-05 00:23:49 | Weblog


どんな仕事や職場でもあることかもしれないが、私たちの場合は音楽教室と楽器メーカーの関係で、または音楽教室同士のしのぎを削った思い出がある。

ヤマハがエレクトーンという楽器を生み出したことで、ほんの少しでも鍵盤経験がある人は講師として引っ張りだこになった時代があった。

私たちはそのヤマハに良くも悪くも踊らされた。

よく言えば切磋琢磨した。

エレクトーンのアレンジコンペに夢中になり、音楽療育の勉強もやった。

今日、エレクトーンのかわい子ちゃんがうちにやって来た。結果的にはこれは息子に買ってもらったの。

下流老人だって、わかってるみたいね。

助かったわ。

それで時間になってもなかなか楽器店の車が来なかったので電話したら、一件狭山の方のお客様のところに寄ってからうちに来るらしかった。

いつもお世話になってる人だ。
だいぶ経ってから見えた。
狭山の方に回っていらしたのね?と聞いたら〇〇先生のお宅に届け物があったとのこと。

〇〇先生かあ、懐かしいなあ。

私40歳になってしまったわ…と言った時その先生は手でおいでおいでの仕草をしながら、ようこそ!40代にー、いらっしゃーい!とおっしゃったっけな。

あれからどーよ。
こんな歳になってしまったわ。

〇〇先生はもう20年以上も前にエレクトーンには見切りをつけて、大正琴の世界に飛び立った。
だいぶ私を誘ってくださって、一緒にやろうよと言ってくださったな。

私は白と黒の鍵盤がやはり好きだったからな。生徒もあの頃はまだ大勢いたし。

20年経って、どーーよ!

そうね。

下流老人になってしまったな。

〇〇先生は大正琴から、大正琴をバイオリンの弓で弾く事を考案して、ヤマハを従えて第一線を闊歩している。

私たちは〇〇さんの奥さんなんて呼ばれる前に、立派に男以上に働いてきたんだわ。
あの頃は音楽教室を主宰してる、やり手の女性がわんさかいた。

そして学び、社会にも貢献して自分磨きをした。

懐かしいな。

その〇〇先生は、みんなの憧れだった。

私はエレクトーン弾く人がいなくなっても、やるんだわと思っていた気がする。

それで今がある。

器用でない不器用な私がまだ、えっちらおっちらピアノとエレクトーンを続けている。

私は、これはこれで良かったの。

幸せだなと思う。

子供たちが幸せそうだからな。

これ以上何を望むか、わからないや。

だからまっしぐら、自分のやれる事、やりたい事をやっていこう。

二足のわらじの職場からは、あと5-6年は来てね。と言われている。

ひぇーー!


さあ、大変だ!

長生き、長息しなくちゃだな。

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