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むさしの墨友会

現代書道の父、比田井天来先生の門流である桑原翆邦先生の門人の吉野大巨先生を師として、書を愛好する仲間の会です。

お屠蘇気分もぬけて(萬鶴)

2011-01-18 | 書道

1月も半ばとなり、お屠蘇気分もすっかりと抜けました。

雙暢展記念誌の色紙も書き終え、ホッとしています。

 

 

正月に食べ過ぎたあとは、七草がゆですね。

先人の知恵に敬服いたします。

 

 

東鶴さんも紹介していた、「武蔵野吉祥 七福神めぐり」も10日で終了いたしました。

大勢の参加者があったと聞きます。

七福神は、七難七福という言葉が語源とされ、日月の難、星宿の難、火災の難、水害の難、風害の難、干ばつの難、戦乱盗賊の難の七難がたちどころに消え七福が生ずると、ものの本に書かれていました。

寿命(寿老人)、有福(大黒天)、人望(恵比寿天)、清廉 (布袋和尚)、威光(毘沙門天)、愛嬌(弁財弁天才天)、大量(福禄寿)

 これが七福神です。

 
 

さて、ここからが雑学ですが、仏像の位をご存知ですか?

 

先ずは、天(弁天・吉祥天・天狗)です。


「天狗になる」とはここからの由来だと思います。

まだまだ序の口、私は天狗になるほど自慢できるものはありません。

 

 

天狗の上位は、明王(普代明王・仁王)でしょう。


みなさんも山門の入口で、こん棒を持ち荒々しい姿でにらみつけ、威圧的な様相で人を従わそうとしている像を見たことありますよね。

 片方は口を開き“あ”「阿」。もう片方は口を閉じて“うん”「吽」。

二つが合わさって「阿吽」の呼吸です。

 

 

私は性格的に穏やか(自分で言うのはおこがましいですが)ですので、仁王さんにはなれません。

酔って帰ると、時たま家に仁王さんがいる時があります。(山の神?ですかね)

 

 

 

「菩薩」(日光菩薩・月光菩薩)です。


修行中の菩薩は美しい顔で、躍動感があり豪華な衣装や飾り品を身につけています。

ある意味では外観の様相で人を引き付けているのでしょう。

私は華美なものは持ち合わせがありませんが、理解できるような気がします。

年金をいただいていますので、それなりに生活しています。



 

 一番上は「如来」(阿弥陀如来)です。

悟りを啓(ひら)いた如来は布一枚をはおる姿。

半眼で人々を静かに見つめている。

心で人を引き付けている。

 

心で人を引き付ける?

(これは難しい!)

 おごってくれるなら、付いて行くのが私の性格です。

                   

 さて、みなさんはどこの位ですか?


時には天狗になり、そして、仁王のように威圧的な態度に出ることもありますか?


更に、菩薩のように外見的なもので人を引きつけようとする気持ちになったことはありますか?



飾らず布一枚羽織っただけで、心で人を引き付けるような如来の域に達することは、どれほど修行をつむのでしょうか?

 

「漁夫の利」と「棚からぼた餅」が、私の座右の銘になっています。

 

萬鶴がご紹介する雑学でした。




 

 

 

今年の冬は寒く、布一枚をはおるだけでは風邪を引きますので、私は如来にはなれません。