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むさしの墨友会

現代書道の父、比田井天来先生の門流である桑原翆邦先生の門人の吉野大巨先生を師として、書を愛好する仲間の会です。

こひの歌二首...(東鶴)

2011-01-15 | 書道


まずは 百人一首の中で 中納言敦忠の歌をとりあげてみました。

「あ日(ひ)みての のちのこころニ くらふれ盤(は) むかしはもの越(を)  おもはさりけり」
(拾遺和歌集 恋の一)


この歌の通解は次のようになります。

" 深く恋い慕いながらも逢うことのなかった時分はああ逢いたい、逢ったらこの

胸の苦しさも無くなるだろうと悶えたが、逢ってみると一層思いが募るばかりで、

今の悶えにくらべると逢わない昔は物思いしないのと同じことだったなあ。 "

竹田悦堂著 「かな書道の学び方」



かつて この歌について 作家田辺聖子氏が深読みの解釈をしていたのを思い出します。

彼女によると「昔はものおもいしないのと同じことだったなあ。」の部分は
同じなのですが、その前段が少し違っていて
逢いみた後の方が 良きにつけ悪しきにつけさまざまな おもいに駆られて、
結局以前の方が 何も考えていないに等しかったのでは...となるのです。
恋愛観の男女差とでもいいましょうか 深く考えさせられる歌と解釈ですよね。



一方、こんな歌も...





「あふことの たえてしなくは なかなかに ひとをもみをも う羅(ら)三(み)さらまし」
中納言朝忠 (拾遺和歌集 恋の一)

通解は次のとおりです。

" 恋人同士に若し逢うということがなかったならば、恋人をも自分をも恨むことはないであろうに、
なまじいに逢うということがあるから却って恨むのだ。 "
竹田悦堂著 「かな書道の学び方」

「あひみての....」と何か相通ずるところがあるかも知れませんね。

いつのまにか耳順を越えた私にははるか遠い昔のことで
良くは思い出せませんが...。