隅の老人のミステリー読書雑感

ミステリーの読後感や、関連のドラマ・映画など。

1791.カレンダー・ガール

2017年10月30日 | リーガル
カレンダー・ガール
The Case of The Clendar Girl
読了日 2017/10/30
著 者 E・S・ガードナー
E.S.Gardner
訳 者 峯岸久
出版社 早川書房
形 態 文庫
ページ数 324
発行日 1981/08/31
ISBN 4-15-070226-8

 

上の著者名をクリックすると、今まで読んだ著者の作品一覧へ移動します。

 

平洋沿岸を通過しながらとてつもない雨や風をもたらした台風22号も、どうやら東の海上に去ったようだ。
気圧の配置や海水温の関係で、このところの台風は勢力が衰えることなく日本に接近して、甚大な被害をもたらす。
以前テレビでアメリカの科学者たちが、ハリケーンの進路を変えるために、核爆発を起こさせるとかの実験をすると言うような、番組をやっていたが、科学の発達も自然現象を相手に立ち向かうことは、容易ではないことが分かっただけだった。
少し前のことで、大半の内容は忘れてしまったが、台風が近づくたびに、僕はその時のことを思い浮かべて、科学の力で被害を最小にとどめることは出来ないのかと考える。しかし、天候が回復して澄み切った秋の空が顔を見せれば、そんなことも忘れてしまうのが、僕の残念なところだ。

 

 

第57作目のペリイ・メイスン・シリーズだ。21日、シリーズを読み始めた最初の、「恐ろしい玩具」から本書で4冊目となるが、法廷場面はすべて予備審問の様子が描かれており、大陪審へ行かない前に検察側の告訴が却下されるという結末になっている。
我が国とアメリカでは裁判の仕組みが異なるから、時々疑問に感じることもあるのだが、とにかく依頼人を信じて、あらゆる手を尽くして、時には法律すれすれと思われるような手段を講ずることもあり、それは結局被告となった依頼人の無実を信じてのことだ。
だが、明らかに被告の犯した犯罪を示す、状況証拠の多く存在する中でもメイスン弁護士は、どうして被告の無罪を信じ続けられるのか?そのあたりも読みどころの一つだ。
今回は冒頭で工事請負を生業とするアンスレイという業者が、役人である検査官から嫌がらせとしか思えない、工事のやり直しを命ぜられるなどの被害に、その筋の有力者に相談に行って、訴えるところから始まる。
アンスレイはその帰途に、有力者の屋敷に入ろうとする車と接触して、相手の車が横転するという事故に遭遇する。
運転者と思われる若い女は、車から投げ出されたが幸い怪我もなく、女に頼まれたアンスレイはアパートまで彼女を送ったのだが、翌日の新聞で有力者が屋敷内で射殺されたことを知る。
そして、彼はその殺人容疑者となり、ぺリイ・メイスンはその弁護を引き受けることになるのだ。

 

 

はこのシリーズ作品に限らないが、海外のミステリーを読んでいて、思わず声を出して笑ってしまうことがよく有る。
特にこのシリーズを続けて読んでいると、なんでメイスン弁護士は、こういつもいつも面倒な事件に巻き込まれるのだろう?いや、時には自分で面倒を起こしてしまうこともあり、「またか!」と思って思わず笑いたくなるのだ。
また、海外ミステリーの魅力の一つに、しゃれた会話がある。ところどころでたくまざるユーモアを交えた会話は、やはり国民性の違いからくるのだろう。時には、聖書とかギリシャ神話に絡む洒落などは、そうしたことに不勉強な僕には、理解の及ばないこともあるが、それでも雰囲気を味わうことは出来る。

今回は、いつも奇妙な依頼人がメイスンの事務所のあらわれるというタイプではなく、秘書のデラ・ストリートとともに、ディナーの後フロアショーを楽しみ、ダンスに興じていたところへ依頼人が割り込む、といったスタートだ。

アンスレイが主張するアパートまで送ったという女はアパートには住んでおらず、横転した車は盗難車だった。
ここでも、僕は「幻の女」を探すという一つのパターンを見つけるのだが、このシリーズ作品では、そうしたパターンは、何度も使われているが、もちろんそれがメインテーマではない。
その後に続く複雑な事件の要素の一つに過ぎない。
本作では売り物の法廷シーンは、全体の半分あたりから始まる。仇敵ともいえるハミルトン・バーガー検事を相手に回して、メイスン弁護士の反対尋問が、彼らを悩ます展開は次第に胸のすくようなシーンとなって、カタルシスを感じさせる、という言い方は少しおかしいが、到底不可能だと思われる被告の弁護を通して、事件の真相に迫るメイスン弁護士の、いつもながらの法廷闘争が、もやもやを発散させてくれるのだ。

 

 

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村

最新の画像もっと見る

コメントを投稿