隅の老人のミステリー読書雑感

ミステリーの読後感や、関連のドラマ・映画など。

1818.運のいい敗北者

2018年01月19日 | リーガル
運のいい敗北者
The Case of The Lucky Loser
読了日 2018/01/19
著 者 E・S・ガードナー
E.S.Gardner
訳 者 高橋豊
出版社 早川書房
形 態 文庫
ページ数 296
発行日 1985/04/15
ISBN 4-15-070237-3

 

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れにいすみ市大原の瀧泉寺を訪れた際、帰途に立ち寄った古書店で見つけた1冊。
このところもっぱら図書館を利用することで、本を買うことは控えていたのだが、他所に出掛けた時の気のゆるみか、つい未読のぺリイ・メイスン・シリーズを見て、105円だからと買ってしまったのだ。
もちろんこの文庫も君津市立図書館にあるのだが、折角立ち寄った店で見つけたものだから、1冊くらい自分のものとしても良いのではないかと、内心で自分に言い訳をしながらの買い物だった。
本当は1冊くらい、あるいは100円くらい、と、そんなことが無駄遣いに繋がるのだということは、承知しており、そうした衝動に奔るのがいつでも貧乏暮らしになっている最大の原因なのだろう。頭のどこかで警鐘を鳴らしているが、この際無視する。

とまあ、そんなこんなで手に入れたいきさつは、ここに書いたような大げさなことではない、ということにしておこう。
僕の老後の唯一の楽しみである読書だから、105円で贖える幸せをあえて貶めることはない。何しろ、今はぺリイ・メイスン・シリーズを全作読み通そうという、大きな目標に向かっている最中だ。
それほど声を大にして言うことでもない! と、頭のどこかでいう声も聞こえるが、まあ良いではないか。

 

 

毎回毛色の変わったというか、奇妙と言えるような依頼人が訪れるのが、発端というこのシリーズの特徴だが、今回は若い女性の電話での依頼に、興味を惹かれたメイスンが裁判の傍聴に出掛けるというスタートだ。
前回の「餌のついた釣針」では、法廷場面がないにも関わらず、危うくぺリイ・メイスンが逮捕されるというところまで追いつめられる、そんな緊張感に溢れるようなストーリーだった。
だが、今回は半ばで裁判が始まるというサービス満点の内容だ。
傍聴した裁判で見たのは、若い新米弁護士のおぼつかないような、しばしば口ごもる弁論で、陪審員たちの失笑をかっていた。
メイスンは右隣の女性にどんな事件か尋ねたが、女性はツンとして応えなかったが、左隣の男性は「轢き逃げの故殺ですよ」と教えた。
休憩時メイスンは彼にアドバイスを与えて、その後は何とか失点を取り戻す状況となった。
被告テッド・バルフォアは、バルフォア財閥の総帥アディソン・バアルフォアの甥で、テッドはその後継者だった。メイスンはその巨大財閥の総帥の依頼で、青年弁護士・モーティマー・ハウランドと共同で、被告テッド・バルフォアの弁護をすることになるのだが・・・。
いつにもまして、波乱含みの法廷場面が展開することに。

 

 

は自分の老人ぶりを毎度書いているような気もするが、時々1階から2階への階段を昇っている時などに、突如として足に体重を支える機能が無くなって、崩れ落ちる様に階段を転落したらどうしよう。そんなことに思いが及ぶことが有る。
また、コーヒーの入ったカップ・アンド・ソーサーを持っている時、手の筋肉が活動を停止したらカップと受け皿、そして中のコーヒーごと床に落としてしまう、などという想像に陥る。
大昔の中国に杞という人が居て、空が落ちてきたらどうしよう、と憂いたのが基とされいている「杞憂」という言葉がある。時々僕は、それほど深刻に思っているわけではないが、前述のようなことをふと考えることが有って、そんなことは無いだろうと、すぐにそんな思いを打ち消すのだが、不確定要素の多いこの世の中、何が起きるかわからないという思いや、テレビのニュース番組などで筋委縮症などという病に罹った人を見ているから、僕だっていつそうした病に侵されないとも限らない。
そんな気持ちが多分僕の中のどこかに引っかかっているのだろう。杞憂ということで取り越し苦労で終わればいいが・・・。
寒くなると、外に出るのも億劫になって、身体を動かすことも少なくなり、引きこもりというほどではないが、一日中部屋にいるから、ついついマイナス思考になるのか?

 

 

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