ハンニバル・ライジング Hannibal Rising |
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読 了 日 | 2020/07/29 |
著 者 | トマス・ハリス |
訳 者 | 高見浩 |
出 版 社 | 新潮社 |
形 態 | 文庫2巻組 |
ページ数 | 246/261 |
発 行 日 | 2007/04/01 |
ISBN | 978-4-10-216706-9/707-6 |
国の新たな感染者数が千人を超えたといったテレビのニュースが大々的に報道されたが、そんなことはGoToトラブル(正式名称はこちらの方ではないかと思うが…)、いや違ったGoToトラベルを始める前に分かっていたことではないのか?
経済活動は暮らしの上でも重要な要素だが、健康的な生活があってこそで、そんなことを言い始めると、鶏と卵の関係を思い浮かべるが、どうも偉いお方たちの施策は理解に苦しむことが多くなってきている。そんな気がするのは僕だけではないだろう。ではどうしたらいいのか?テレビ局も多くの市民が納得できる方策を示せるような、専門家を迎えて具体策を論じたらいいのではないか。
いや現在テレビは各局が見つけてきた専門家による、百花繚乱ならぬ百家繚論と言った感じで、いろいろ対策が論じられているようだ。だが、緊急事態宣言の下、我々が最大の努力―それは自粛生活以外の何物でもなかったが―で感染増加を抑制してきたのではなかったか?
そんな国民の努力を台無しにするような施策が、再びコロナウィルスの感染増加を招いたのではないか?どうもそんな気がするのだが如何なものか?
積ン読本の中に本書2巻組が混じっていた。夢中で読んだシリーズ作品の一つなのに、積ン読になっているなど、信じられない思いだが、たまにはこういうこともある。僕の好みとはそんなものかと反省するが、決して軽んじていたわけではない。
僕の事だから多少割り引く必要があろうが、今まで見た映画の中で『夜の大走査線』に匹敵する傑作だと思っているのが、『羊たちの沈黙』だ。
ジョナサン・デミという監督を初めて知った作品でもあり、その映像美と言うより映像処理と言ったほうがいいだろう。僕はその手腕に驚き、続けて2度映画館に足を運んだものだった。
そして、これほどの映画になった原作に、期待するなと言うほうが無理だったのだ。それほどの思いを持って臨んだ原作は、もちろん映画に負けず劣らずの傑作だったのだが、読んだのはもうはるか昔となってしまった。なにしろ、69番目の事。2000年9月と言うから、まだこの読書記録を始めたばかりの頃だ。
だが、名作の続編があると知って読んだのは翌年4月だった。『ハンニバル』と言う第2作(正確には第3作だ)も、映画化されて期待に胸を弾ませ臨んだが、リドリー・スコット監督による作品は、期待通りとはいかなく、ちょっとした違和感を残す内容だったと記憶している。
れでも何回か見直すうちに、慣れと言うか次第にその違和感も薄れてきたが、レクター博士とクラリスとの関係は、前作『羊たちの沈黙』との違いが―クラリスを演ずる女優の違いもあり仕方のないこともあるが―明らかで、また続けてハンニバル・レクターに扮したアンソニー・ホプキンス氏の名演が、空回りしている印象もぬぐえない感じだったのだ。 今見直してどうか?という思いもあるが、それほど見直してみる気分にもなれないことから、前作のあまりにも偉大な作品と言うことで、比較される不利な状況が印象を変えているのかもしれない。
どうも映画の感想ばかりになってしまった。
原作を読んでいる限りは、そうした印象は全くなかったのだが、名作の映像化は難しいということなのか?
今回の内容はハンニバル・レクターがいかにして、現在の人格を形成したのかという、過去に遡って境遇が彼に与えた諸々を描いている。
彼が怪物と呼ばれるに至った要因は、一つではないがその一番は幼い妹の残酷な死だ。 戦争の傷跡が彼に与えたものは、元々彼の脳内に有った冷静沈着と言った性格を、一段と発展させて復讐劇へと進展させるのだ。
こうした一人の少年が持てる才能を進化させると同時に、あらゆる知識をその脳に詰め込んで、成長していく姿は次第に、胸中にワクワクした感情を芽生えさせる。
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