★白い雲低きに並び秋高し
★風そよぐ万代池の秋の色***
★布団かぶりて寝たる夜更けや虫の声
好きな句 *風そよぐ万代池の秋の色/河野啓一 やわらかな風が池にそよぎ、池も薄紅葉の景色を映しだしとても美しい景を見せてくれていますね。小口泰與
(好きな句) ☆風そよぐ万代池の秋の色/河野啓一☆大阪住吉区の帝塚山にほど近い万代池は都会の真中にあって、小さな憩いの池公園ですね!。若いカップルや地域老人には憩いの場所であり大変親しまれています。小さな池の周りにも小さな秋の到来が見えて素敵です。桑本
*風そよぐ万代池の秋の色/河野啓一 万代池は自転車で行ける距離にあり、子どもころはよく遊びに行った場所です。同じ池でも啓一様のような見方ができるとまた、違った池に感じるので不思議です。 秀之
会@t_yuki0124御礼 高橋秀之さま「万代池」の近くに住んでおられたのですね。わたしは学生の頃、通学路に近く親しみのある場所でした。嬉しいコメントを頂き誠に有難うございました。啓一
@kakan54 好きな句 ★虫の音の上に瞬く星座かな/有花 頭上の星座が空に瞬いて美しい夜、野には虫の音が満ちみちている。天と地を一体に詠まれた秋のロマンが素晴らしいと思いました。啓一
好きな句★台風の渦巻く中の孤島かな /下地鉄 印象深く拝見しました。何時も台風の進路にあたられる沖縄地方の皆さまの大変さを想います。下地様ならではの闊達な詠みかと存じました。河野啓一
以下kurokawaさんのブログより転写
「強さ」と「弱さ」を認識する、日本は変われるのか
会話を表示 会話を非表示 返信
リツイートの取り消しリツイート
削除 お気に入りお気に入りに登録
20分 河野啓一 @kakan52
@t_yuki0124御礼 高橋秀之さま「万代池」の近くに住んでおられたのですね。わたしは学生の頃、通学路に近く親しみのある場所でした。嬉しいコメントを頂き誠に有難うございました。啓一
会話を表示 会話を非表示 返信
リツイートの取り消しリツイート
削除 お気に入りお気に入りに登録
3.11から1年半がたちました。
あの大災害で世界が見たものは、巨大津波で多くの親族を失い、生活をすっかり失ってしまったとてつもない被害にあった人たちが、大きな悲しみの中で黙々として、大きな騒動もなく、自分たちで助け合う美しい姿でした。
福島原発事故でも、「フクシマ70」と言われたような現場の人たちの、自己犠牲の献身的な活躍に、ある種の感動を共有したのでは、と思います。
でも、あの大事件から1年半の時間がたって日本には何か変化の兆しが見えているのでしょうか?
私は、国会事故調の始まるチョット前の12月1日に、一緒に仕事をしているHiromi MurakamiさんとJapan Timesに、 "Fukushima crisis fueling the third opening of Japan"という意見を投稿しました。ちょうどTTPが話題になっていた頃でした。「日本の第3の開国はボトムアップからだ」というタイトルです。3.11をきっかけに多くの若者たちが新しい社会構築に活躍をはじめていますが、これらが新しい日本の、「第3の開国」のきっかけになってほしい、という期待です。国全体としては、世界が変化しても、いろいろな利害関係者との利害が複雑に絡まって、TTPや近隣諸国との関係などについての、国の政策がほとんど動かなくなっているからです。
日本の政産官などのリーダーのひどい有様は「3.11」ですっかり世界に知られてしまい、国家の信用は大きく損なわれてしまいました。
このタイトル「Third Opening of Japan」が何人かの目を引いて、3.11の1周年にあたる今年の3月11日に出版されたReconstructing 3.11(amazon) というeBook本に"History: Japan's third opening rises from black waters"(by Hiromi Mukrakami and Kiyoshi Kurokawa)というエッセイを掲載していただきました。
しかし、大災害から1年半がたち、復興へ向けて、特にフクシマでは何が起こっているのでしょうか?この日本人の辛抱強さなどが、大きなうねりとなって動き始めているのでしょうか?却って、福島、岩手などの現地で黙々と日常的に働いている方たちを見ると胸が痛みます。政治も、行政も、この多くの被害にあわれた方々の、あきらめにも似た従順性を利用している、というか、少々甘く見て、対策が遅れているのではないかと思えるこの頃です。
そんな時に同じような意見がNew York Timesにも掲載されていました。日本語は「変わり始めた日本人」ですが、英語では“In Fukushima, Surreal Serenity”として掲載されています。クミコ・マキハラさんの記事です。
毎週金曜日午後6時の官邸前での粛々とした「反原発デモ」は、従来と違った自発的な行動のようですが、このような権力に対する意見が目に見える形で出始めたのは、日本人がちょっと変わり始めている一つの証左かもしれません。
しかし、メディアの報道などを見ていても、政治の世界は相も変わらず小粒の権力闘争ばかりで、国家の行方も見えず、変わり映えがしません。政治の力の弱いことをよいことに、各役所は自分たちの「仕事(というか利権の維持)」を粛々と進めながら、何も変えようとしない、既存勢力の恐ろしいほどの抵抗が、変わる世界の情勢の中で、「変われない日本」「漂流する日本」の底流にあるように見えます。
なぜでしょう、どうしたらよいのでしょう。
それは、マキハラさんの記事の最後にあるように、「この国が現在取り組まなければならない難しい課題、それは賞賛に値する日本の人々の忍耐力はそのままに、国家や組織に対する健全な批判精神をどう育てていくか、という事...」なのでしょう。
★風そよぐ万代池の秋の色***
★布団かぶりて寝たる夜更けや虫の声
好きな句 *風そよぐ万代池の秋の色/河野啓一 やわらかな風が池にそよぎ、池も薄紅葉の景色を映しだしとても美しい景を見せてくれていますね。小口泰與
(好きな句) ☆風そよぐ万代池の秋の色/河野啓一☆大阪住吉区の帝塚山にほど近い万代池は都会の真中にあって、小さな憩いの池公園ですね!。若いカップルや地域老人には憩いの場所であり大変親しまれています。小さな池の周りにも小さな秋の到来が見えて素敵です。桑本
*風そよぐ万代池の秋の色/河野啓一 万代池は自転車で行ける距離にあり、子どもころはよく遊びに行った場所です。同じ池でも啓一様のような見方ができるとまた、違った池に感じるので不思議です。 秀之
会@t_yuki0124御礼 高橋秀之さま「万代池」の近くに住んでおられたのですね。わたしは学生の頃、通学路に近く親しみのある場所でした。嬉しいコメントを頂き誠に有難うございました。啓一
@kakan54 好きな句 ★虫の音の上に瞬く星座かな/有花 頭上の星座が空に瞬いて美しい夜、野には虫の音が満ちみちている。天と地を一体に詠まれた秋のロマンが素晴らしいと思いました。啓一
好きな句★台風の渦巻く中の孤島かな /下地鉄 印象深く拝見しました。何時も台風の進路にあたられる沖縄地方の皆さまの大変さを想います。下地様ならではの闊達な詠みかと存じました。河野啓一
以下kurokawaさんのブログより転写
「強さ」と「弱さ」を認識する、日本は変われるのか
会話を表示 会話を非表示 返信
リツイートの取り消しリツイート
削除 お気に入りお気に入りに登録
20分 河野啓一 @kakan52
@t_yuki0124御礼 高橋秀之さま「万代池」の近くに住んでおられたのですね。わたしは学生の頃、通学路に近く親しみのある場所でした。嬉しいコメントを頂き誠に有難うございました。啓一
会話を表示 会話を非表示 返信
リツイートの取り消しリツイート
削除 お気に入りお気に入りに登録
3.11から1年半がたちました。
あの大災害で世界が見たものは、巨大津波で多くの親族を失い、生活をすっかり失ってしまったとてつもない被害にあった人たちが、大きな悲しみの中で黙々として、大きな騒動もなく、自分たちで助け合う美しい姿でした。
福島原発事故でも、「フクシマ70」と言われたような現場の人たちの、自己犠牲の献身的な活躍に、ある種の感動を共有したのでは、と思います。
でも、あの大事件から1年半の時間がたって日本には何か変化の兆しが見えているのでしょうか?
私は、国会事故調の始まるチョット前の12月1日に、一緒に仕事をしているHiromi MurakamiさんとJapan Timesに、 "Fukushima crisis fueling the third opening of Japan"という意見を投稿しました。ちょうどTTPが話題になっていた頃でした。「日本の第3の開国はボトムアップからだ」というタイトルです。3.11をきっかけに多くの若者たちが新しい社会構築に活躍をはじめていますが、これらが新しい日本の、「第3の開国」のきっかけになってほしい、という期待です。国全体としては、世界が変化しても、いろいろな利害関係者との利害が複雑に絡まって、TTPや近隣諸国との関係などについての、国の政策がほとんど動かなくなっているからです。
日本の政産官などのリーダーのひどい有様は「3.11」ですっかり世界に知られてしまい、国家の信用は大きく損なわれてしまいました。
このタイトル「Third Opening of Japan」が何人かの目を引いて、3.11の1周年にあたる今年の3月11日に出版されたReconstructing 3.11(amazon) というeBook本に"History: Japan's third opening rises from black waters"(by Hiromi Mukrakami and Kiyoshi Kurokawa)というエッセイを掲載していただきました。
しかし、大災害から1年半がたち、復興へ向けて、特にフクシマでは何が起こっているのでしょうか?この日本人の辛抱強さなどが、大きなうねりとなって動き始めているのでしょうか?却って、福島、岩手などの現地で黙々と日常的に働いている方たちを見ると胸が痛みます。政治も、行政も、この多くの被害にあわれた方々の、あきらめにも似た従順性を利用している、というか、少々甘く見て、対策が遅れているのではないかと思えるこの頃です。
そんな時に同じような意見がNew York Timesにも掲載されていました。日本語は「変わり始めた日本人」ですが、英語では“In Fukushima, Surreal Serenity”として掲載されています。クミコ・マキハラさんの記事です。
毎週金曜日午後6時の官邸前での粛々とした「反原発デモ」は、従来と違った自発的な行動のようですが、このような権力に対する意見が目に見える形で出始めたのは、日本人がちょっと変わり始めている一つの証左かもしれません。
しかし、メディアの報道などを見ていても、政治の世界は相も変わらず小粒の権力闘争ばかりで、国家の行方も見えず、変わり映えがしません。政治の力の弱いことをよいことに、各役所は自分たちの「仕事(というか利権の維持)」を粛々と進めながら、何も変えようとしない、既存勢力の恐ろしいほどの抵抗が、変わる世界の情勢の中で、「変われない日本」「漂流する日本」の底流にあるように見えます。
なぜでしょう、どうしたらよいのでしょう。
それは、マキハラさんの記事の最後にあるように、「この国が現在取り組まなければならない難しい課題、それは賞賛に値する日本の人々の忍耐力はそのままに、国家や組織に対する健全な批判精神をどう育てていくか、という事...」なのでしょう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます