Simplex's Memo

鉄道と本の話題を中心に、気の向くまま綴ります。

「検証・『雪印』崩壊 その時、何がおこったか」を読んで

2006-02-15 21:22:22 | 読書録(その他)
この本を読んでいて、テレビで見ていた光景が思いうかぶ。
記者会見を一方的に打ち切り、移動を始めた社長の一言。
「私だって寝ていないんだ」。
この一言に対して報道陣は「こっちだって寝ていないんだ」と応酬する。
約6年前のこんなやり取りがあったことなど、半ば忘れかけていた。

牛乳製造ラインの汚染を原因とする集団食中毒、そしてグループ企業の牛肉偽装事件で信頼を文字通り「地に落とした」、雪印乳業。
その経過をつぶさに綴った本書を読んでいると、軽い疲労感すら覚えてきた。

6年経った今の視点で本書を読むと、あることに気づく。
問題が明るみになった時の雪印乳業のトップの対応の拙さ、情報がトップに上がらなかったことの意思伝達の問題。
これ、当時に限った話ではなく、最近だと尼崎脱線衝突事故発生時のJR西日本の対応にも同じことが言える。
同じ「製造業」ということで考えると、三菱ふそうの組織的なリコール隠しなどもそうだ。
結局、時は流れても問題を起こす企業の根本は変わっていないということだろうか。

そして、集団食中毒事件で店頭から「雪印」の牛乳が姿を消した直後に発生した「雪印食品」の牛肉偽装事件。
これで「雪印」というブランドに対する信頼は消え失せてしまったように思う。
しかし、もっと深刻なのはこの後も同じような事件が続いたことだろう。

また、企業再生の過程でも雪印乳業が自由に動けなかった所に、この企業の不自由さ、悲惨さを見る思いがした。
経営再建の過程で外資との提携を模索した雪印に対して、政治家と農林水産省が「国内農業保護」を旗印として反対した。
実のところ、その旗印の裏にあったのは「省益」だったのだが、これによって外資との提携が断たれた雪印乳業は自らの資産を切り売りして対応せざるを得なくなった。

これらを「自業自得」と切って捨てるのはたやすい。
しかし、この一連の事件で仕事を失った人たちの苦闘、「雪印」というブランドに寄せる地元の信頼、それらに対するトップの鈍感さが大変印象に残った。
本書の紹介文の最後は「日本の劣化」という言葉で終わっている。
本書で「日本の劣化」をかいま見ることはできたが、その様相は止まるところを知らず、マンションの強度偽装に見られるように一層深まっているように感じることが多い。
結局、様々な事件から我々は何を学んできているのだろうか。
そんな思いが読後感を更に重苦しいものにした。

<データ>
「検証・『雪印』崩壊 その時、何がおこったか」
北海道新聞取材班
講談社文庫
定価 590円(本体)

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