今日は大学で残務をした後、一時、帰宅。
ジブリの風景を見るために。
ストックホルムのガムラスタンや、フランス・アルザス地方は留学中(8年前)に訪れたことから、懐かしい。
昨日のワインはアルザスだったのも功を奏したかな。
少々、情緒が沸き起こり、自分自身の生活を垣間見て、切なくなった。
その風景から起こる情緒は心の中に残っている。
僕は、デジカメもビデオももちろんもっているが、一人旅のときは、ほとんど持参しない。
昔から、写真が好きでない。
録画することも、とにかくきらい。
作品となれば何度でも見る。
風景を観る前に、写真をとる行為になってしまうのがいやだし、なんとなく、せわしくなるのがいやだ。目的が変わってしまう。
だから、身内にはいろいろいわれるが、記録より、自分の心で巻き起こる記憶を重視してる。
写真で見ても、行った人にしか、その感覚は起こらない。
地図を持ち、地図を見るのもあまり好きでない。
無駄な時間と空間をすごすのが好きだ。
自分の体で動いて確かめる。
それが、染み付いている。
それが原因で地図もなくホテルを探したりするから・・・いろんあ目に遭うが・・・
写真も一人旅では残らず。
友人と行っても、他人のカメラで撮ってもらうが、それを要求することもなし。
たぶん、古いこと(出来事)あるいは(自分)に興味がないのだと思うし、用意周到なことがいやなんだと思う。
そんな歌が「椎名林檎」の「ギプス」であったが。
「感覚」の世界
「ミラーニューロンシステム」などといわれるが、それも表面であり、肝心なことはみえないのだと思う。それは、新著のあとがきでも書いた。
見えるもの、聞こえるものに本質を求めると、さまざまな人間関係の障壁に出会う。学生たちもそうである。しかし、それも「経験」として培われるはずだと思う。
私の心の原風景である、「久万川」の土手に帰省したら行ってみようと思う。
ゲド戦記はジェノバが描かれているという。
2年前の第1回マスターコースの際には、ジェノバに降りついた。
母を訪ねて三千里のマルコが生まれ、母と離れた港がそこにある。
そして、また大学に戻ってきた。
よっぽど好きなんだろう・・・
ジブリの風景を見るために。
ストックホルムのガムラスタンや、フランス・アルザス地方は留学中(8年前)に訪れたことから、懐かしい。
昨日のワインはアルザスだったのも功を奏したかな。
少々、情緒が沸き起こり、自分自身の生活を垣間見て、切なくなった。
その風景から起こる情緒は心の中に残っている。
僕は、デジカメもビデオももちろんもっているが、一人旅のときは、ほとんど持参しない。
昔から、写真が好きでない。
録画することも、とにかくきらい。
作品となれば何度でも見る。
風景を観る前に、写真をとる行為になってしまうのがいやだし、なんとなく、せわしくなるのがいやだ。目的が変わってしまう。
だから、身内にはいろいろいわれるが、記録より、自分の心で巻き起こる記憶を重視してる。
写真で見ても、行った人にしか、その感覚は起こらない。
地図を持ち、地図を見るのもあまり好きでない。
無駄な時間と空間をすごすのが好きだ。
自分の体で動いて確かめる。
それが、染み付いている。
それが原因で地図もなくホテルを探したりするから・・・いろんあ目に遭うが・・・
写真も一人旅では残らず。
友人と行っても、他人のカメラで撮ってもらうが、それを要求することもなし。
たぶん、古いこと(出来事)あるいは(自分)に興味がないのだと思うし、用意周到なことがいやなんだと思う。
そんな歌が「椎名林檎」の「ギプス」であったが。
「感覚」の世界
「ミラーニューロンシステム」などといわれるが、それも表面であり、肝心なことはみえないのだと思う。それは、新著のあとがきでも書いた。
見えるもの、聞こえるものに本質を求めると、さまざまな人間関係の障壁に出会う。学生たちもそうである。しかし、それも「経験」として培われるはずだと思う。
私の心の原風景である、「久万川」の土手に帰省したら行ってみようと思う。
ゲド戦記はジェノバが描かれているという。
2年前の第1回マスターコースの際には、ジェノバに降りついた。
母を訪ねて三千里のマルコが生まれ、母と離れた港がそこにある。
そして、また大学に戻ってきた。
よっぽど好きなんだろう・・・