前進あるのみ

真面目で何事にも一生懸命に前向きにをモットーに頑張るのみ!

もうすぐ・・・

2010年09月29日 | Weblog
暑い暑いと言っていた今年の夏。
ギラギラといつまで照りつけるねん!って怒りたくもなった酷暑もやっとのことで通り抜け、
ようやく秋らしくなってきた。
間違いなく季節は進んでいる。

日に日に日没時間は早くなり、青々としていた山の木になんとなく元気がない。
朝晩、まだ蒸し暑さを感じるときもあるけれど、それでもヒンヤリするときもあり、油断
していたら風邪を引きやすい傾向に・・汗
居間でうたた寝していて起きたら寒い!と思うときも何度かある。
半袖で寝ていて起きたら腕が冷たくなっているときもある。

そして今回投稿した写真は、牛滝のお寺の入り口にある大きな木。
何本もの大きな木々の葉が折り重なるようにそびえ立つ。
この木々も秋が深まるにつれ、徐々に紅葉し始め、見事なまでの茶褐色になる。
そう、もう時間の問題なのである。

毎年私達サイクリストあるいは登山に訪れる人を魅了させる紅葉。牛滝の紅葉を見る為
わざわざ遠方から訪れる人も少なくない。
暑い暑いと言われた夏が少しずつ遠ざかり、一歩・又一歩と着実に秋が深まりつつ
あるのはなかなか風流だね。
四季がはっきりと分かれている日本。私はその日本という国が大好き。
日本に生まれて良かった。
そして、大阪の城下町、岸和田に生まれて良かった。

一つの季節が過ぎ、又新たな季節が始まった。
そして私の挑戦は終わりを告げない。

今年、ヒルクライムというレースに目覚めた私。目覚めたといってもただ、登りのレースを
走ってみたい・・と思って新たな挑戦をしようと思い立っただけなんだけど・・・汗
けど、今年はあまりレースの感覚がなく、ろくに練習もしていないために、結果は
残せてはいない。鈴鹿も散々だった。汗
そして年齢は間違いなく一つ歳を取り、体力の衰えは免れない。そこをどうしてちょっと
でも食い止められるか?
いつまでも走っていたい。いつまでも健康であり続けたい。

寒い冬が過ぎ、暖かくなるごとに、よっしゃ!ガンバロ・・・という意気ごみだけは沸く
ものの、少しずつ身体がいうことを効かなくなっていってるような気がする。
いつまでも若くはないんだね。気だけは若いけど・・・

寒い冬の間、葉っぱ一つない木に暖かさが加わり、徐々に芽がついてきて、若い新緑の
葉っぱが生まれ、夏の太陽を浴びた元気一杯の青々とした葉が、徐々に秋に近づくに
つれ、その青々とした色に徐々に元気がなくなり、やがて散ってしまう。
季節って動いてるんだね。と同時に私達も動いている。この貴重な時間を大切にしたい。
貴重な時間でやれるべきことをし、走れるだけ走りたい。
いつまでも元気に走り続けたい。

日曜練で久々に行った牛滝の木々を見てこんなことをマザマザと考えてしまった私。
さ~明日も雨だけど仕事頑張ろう。
月末で今日も残業だったけど明日も残業の予定。
気合入れなきゃね。


快晴の元日曜練後の葛城山

2010年09月27日 | Weblog
唯一の貴重なお休みの日曜日。
普段平日より日曜の方が早起き・・というのはサイクリストの証?笑
寝苦しい熱帯夜から一転、油断していたら朝にはサムッ!と感じるまでになってきた。汗
皆様、こんな季節は油断してると一気に風邪引いちゃった・・・とならないように自己管理、
気を付けましょ。
体力を付ける意味でも、自転車にまたがって風を感じながら快適なサイクリングを楽しみましょ。

ということで私も久々に日曜練のチーム練に参加。喜

祭り明けだからさぞ参加人数は多いだろう・・とふんでいた予想はちょっと外れた。汗
思ったより待機しているメンバーは少なかった。ファミマで何人か合流して再びスタート。
私達二人を入れて9人だったかな?

その中で初めて走るメンバーが1人・・・
アウターおやじさんがお仕事で長く参加できていないのだけれど、その弟さんが何と
最近チーム練に参加していたのは驚きだった。よく似ているため、道で会ったとしても
すぐにわかった。実は以前何度か道で会ったことがあり、上○自転車店長からも
噂は聞いていた。お兄さんとほんと瓜二つだ・・・と:・ お兄さんをもう少し身体を大きく
した感じ。
何度か話したことはあったけど、一緒に走れるとは思っておらず、いつか一緒に走りたい
と思っていたけど、私達がしばらくチーム練に参加していない間にメンバーの仲間入りを
果たしていてくれたみたいで、嬉しかった。
これからも一緒に走りましょう。そして是非アウターおやじさんも・・・喜




ほの字の里で合流したK西さんもこれから一緒に走る。
最近ロードを新しく購入したN本さんも一緒に走る。
そして熊取からわざわざチーム練に参加して頂いているミサ○さんも
元気良く一緒に走る。喜

いつも思うけど、やっぱり1人でも多くのメンバーと一緒に走れるのが何より
嬉しいよね。喜

この日は朝から快晴だったけど、空気がカラッとしていて少し肌寒ささえ
覚えるような気候だった。




小休憩後、着々とペダルを踏みながら私達は牛滝山へと目指す。
ゆっくりと、しかし確実にペダルを踏みながら・・・・

大好きな牛滝へと上がってくる。
ん~~ 本当に気持ちいい~~~




メンバーも続々と上がってくる。
というものの、K西さんとアウターおやじさんの弟さんは実は2回目の登頂。
やっぱり基礎体力のしっかりとしたお二人さんは速い!
弟さんは、聞く話によると自転車暦は3年だという。ワッ!私の方が長いやん。汗
しかし、やっぱり色々走り方を研究しているだけあって、色んな走り方をして、速い方法を
見つけ出していたらしい。
登りもしっかりとした足取でスイスイと登って行く。
ワー 凄いなー・・・と私は思った。
これからも一緒に走りましょう。喜



そしてチーム練を終え、他のメンバーはそのまま家路へと帰っていき、葛城参加表明を
いただけたのは今回初めて一緒に走ったアウターおやじさんの弟さんだけだった。喜
これから何て名前で書こうかしら・・・?又考えよう。汗

実はチーム練で塔原を走っていたとき、モトワ○さんと細○さんにすれ違う。
私の方が下りでわりとスピードが出ていたけどすぐにモトワ○さんだと判った私は、
手を振りながら後で葛城に行く~~~と叫んだのをしっかりと聞いていてくれ、葛城に
先に上がってまっててくれた。喜

聞くと、土・日のいずれか、あるいは両日葛城に登っているという。
そう、昔から私達が葛城に登ると、90~95%の割合で山頂で会うのだ。
私達は前に登ったのいつやったっけ?というぐらい期間があいていたが、モトワ○さんは
しょっちゅう登られているという。凄いよね。

久々の葛城、登っているときはしんどいけどなぜか登っているという実感があり、ちょっと
嬉しかった。出来るだけ足を廻すように廻すように、軽いギアで無理なくペダルを廻す。
久しく登っていなかったけど、凄く身体が重いわけでもなく、無理なくペダルを廻せたのは
ちょっと嬉しかった。けど、来週ヒルクライムレースだというのに、1回だけ葛城登っただけで
レースに出ていいものだろうか?とちょっと違和感がありながらも、祭りやなんやかんやで
登る機会がなかったから仕方ない。むしろ、別に上位を狙うわけでもなく、生駒を登れると
いう楽しみで行くんだからまあいいっか・・・とちょっと開き直ったり・・・笑


そして皆で明るく記念撮影。




この後、モトワ○さんと細○さんは粉河からもう1本上がるため、一旦下山していった。

お気を付けて~~~と挨拶して頑張れエールを送る。

まさにその直後だった・・・
ちょっとしたハプニングが・・・・
ちょうど二人の姿が見えなくなった瞬間・・・・



いきなり、パヒュ~ンという音。
ん?何?
もしや・・・・? 弟さんの自転車の方で音が鳴った気がして、すぐにタイヤを確認。
あら;;; パンクだった・・・・

見るとちょうどリムと当たるギリギリ端っこのチューブからのパンクだった。
旦那が言うには微妙なラインでちょっとだけチューブがタイヤと当たってたのだろうとのこと。
パンク修理の際、空気を入れるときにちょっとでもチューブが噛んでいたらバーストの原因と
なる。走っているときは圧がかかるため、熱が発生してパンクしにくいけれど、ちょっと休憩
してチューブが冷えてくると圧も低くなり、そのときにバーストするのだという。

これまで何度か走っている途中でのバーストは見たことがあった。
私自身は何か踏んでパンクすることは何度か経験している。
そして、弟さん曰く、ロードで葛城に縁がないという。というのも、まだロードでは6回ぐらいしか
登っていないらしいんだけど、そのうち、3回葛城でパンクしているという。驚
これまた驚きだね。
けど、これに懲りずに又一緒に登りましょう。




そして、さすが通勤でマウンテンを使用し、今までも何度かパンクを経験していると
いうだけあって、ササッとパンク修理をする手際よさ。
私も見習いたい。
自分自身でパンク修理をするとなると、実に20分か25分はかかる。
チューブを入れて空気を入れていくと、段々圧が高くなるため、空気が入りにくくなり、
女性の手ではなかなかパンパンにならない。

男の人はその点、しっかりと力を入れて手際よく出来るからいいよね。

バルブを折らないように近くであった適当な石とスポンジをあてがい、スッと空気を
入れていたから凄い。

旦那が空気を入れるときは、適当な高さの鉄の支柱を見つけ、そこにあてがって
バルブを固定して身体全体の力で空気を入れる。
ホホ~ こういう入れ方もあるんだなーと私は弟さんのパンク修理を見ながら次回の
参考に・・・エヘヘ!
けど、パンク修理したときにうまく適当な石やスポンジがあるといいけど・・・汗

何でも人のやっていることって見ながら参考にできるのも自転車ならではの魅力だね。
自分ではわからないことでも人のやっていることを見ながら知らず知らずに習得して
いける。
そう、漕ぎ方や走り方など、色んな方法で皆ペダルをこぐ。その中で自分もいかに
楽にこげるやり方を習得できるかが大きな鍵となるのだ。



と、いいことばっかり並べて書いたけど、結局しんどくなったらはちゃめちゃな走り方に
なるのが私なんだよね。
登りでもこんな漕ぎ方、あんな漕ぎ方が理想だ・・と頭でわかっていながら、結局
しんどくなってきたらとにかく進めばいい・・みたいに、がむしゃらにこぐだけしか
できない。
これじゃ冷静に考えられないよ。苦笑
勾配の緩いところでゆっくり自分の走り方を見極めるのが大切なんだよね。
そう考えると葛城じゃ、ちょっと走り方を研究しながら・・・と思うのは無理がある。

平地ならいつでもどこでも考えられるけど・・・汗
とにかく前の人から離れず、スリップストリームに入ることが楽をしてハイスピードを
維持できるのはわかっているから、そのことだけを考える。私は前の人の右肩から
すぐ前を確認しながら走るように心がける。
車が来ていてどうしても真後ろを走るときは少しだけ感覚を空けるようにしている。
ま、とにかく平地ならすぐ前の人を利用して走り続けると楽なのさ。

そしてこのあと、無事私達は家路に着きましたとさ。


すっかり秋めいて・・・テンプレートも秋バージョン

2010年09月25日 | Weblog
せっかくの天気のいい土曜日・・・
けれど向かうのは会社・・・そう、土曜だけど今日は仕事だった。
けど、日曜も天気がいいとみて、許そう。笑

久しくチーム練に参加していない。というのも、先週は祭り、その前は鳥羽志摩線大会で伊勢志摩
に行っていた。その前は鈴鹿後の親睦会が土曜日にあり、日曜は寝ていた。
ということで、明日は久々のチーム練。喜

その次の週はヒルクライムレースで生駒に行くため、又参加できず・・・
というものの、最近全然走ってもおらず、ほんまにヒルクライムに出るん?って感じの勢い
なんだけど・・・
なんか、今年はこんなんばっかり。
レースに出るためエントリーはするものの、ろくにトレーニングもせず出るため、散々な結果
に・・・汗

ははは、のんきなもんさ。笑 

けどね、明日は最低一回は登っておかないと・・・と思い、これまた久々の葛城にチーム練の後
登るのさ。今ごろあがいても仕方ないんだけど、形だけでも登って、脚の感覚を見ておきたい。

おっと下の写真は・・・笑 
ステムにレッサーが私のトレードマーク。喜
lesser pandaが異常なまでに好きな私は、全ての自転車のステムにつけている。喜



だから葛城でステムにレッサーのぬいぐるみをつけているのを見たら是非声かけてね。喜
これが合図で声をかけてきてくれる人も多いんだけど・・・目立つんだろうね。
そして、明日はチーム練でいつものコース走ってから牛滝から葛城登るよ。

来年は、ちとレースも考えてエントリーしないと・・・汗 
それにレースに出るんだったら恥ずかしくないようにトレーニングして出ないと・・・
今年は色々とイベントを入れすぎて、焦点が合わなかったってのもあるんだけどね。
忙しすぎて・・・汗

けどね、生駒ヒルクライムや熊野古道を考えているのは、あらゆるところを走りたいから・・・・って
いうのが一番の理由なんだけど・・・ほんと、こういうイベントでないと、普段走りに行くことって
出来ないでしょ。
登れば感動があり、景色を堪能できる喜びがある。それにこれからの時期、最高に
自転車日和が続く。これは登らずにはいれないよね。
速く走るのが目的じゃなく、色んな素晴らしい所に走りに行くことこそ、本当の幸せを味わえる
ような気がする。




その一番の発端となったのが葛城山なんだよね。
地元のサイクリストさんたちは、今日は誰と遭えるかなー・・というのを目的として登ってこられる
人も多いはず。
中には本当にトレーニングとして1秒でもタイムを縮めようと必死で登ってこられる人もいる。
目的は様々だけど、登るということに魅力を感じているということに関しては共感があるはずだ。

ちなみに明日もお互いの実家に行って仏さん参りをするから、登ってもそんなにゆっくりも
できないんだけど、登ってお会いできた暁には宜しくお願いします。喜
楽しみ。登るの・・・喜


ちなみに明日はロードで登って、来週のヒルクライムに備え、その後はしばらくマウンテン
出動かな。


彼岸参り

2010年09月24日 | Weblog
暑さ寒さも彼岸まで・・・

昔の人はよく研究してるね。驚  
ことわざや、昔の人の暦や気候を当てるのってほんと、その通りだよね。

いつまでも残暑が厳しく、まだまだ真夏・・・と思っていたこの2~3日とは一転、
いきなり寒いぐらいになるんだもん。身体がついていかない・・・驚

それにしても極端だよね。 
水曜はまだ蒸し暑く、冷房を入れていたと思ったらいきなり涼しくなるんだもん。
こんなときは風邪に要注意だよね。汗

そして、祭りも終わり、20日の祝日、敬老の日に旦那の両親を連れて、海南に
あるお寺及びお墓のある流木に一緒に行った。
実は海南のお寺は私は初めて同行した。

実はその昔、まだ旦那が生まれる前、一人目の子供を授かった旦那の母親。
産まれて産声をあげることなくこの世を去ってしまったらしい。泣
その後、父親が心臓の病で手術をし、医療ミスで出血が止まらず危ないときが
あったという。そのとき、海南にあるお寺に参ったらいいと聞き、参ると
あら不思議、あれだけ出血の止まらなかった非常事態にピタッと止血したという
凄い力のあるお寺なのだ。そのお寺に、亡くなったお子さんのお地蔵さんが
奉られているのだという。きっとそのお地蔵さんがお父さんを守ってくれたのだと
言う。私はその話を聞いたとき、守られる人はちゃんと守ってくれるんだなーと
思った。
以来、親は毎年海南のお寺にお参りするという。その親が、だいぶ歳もとってきて、
行くのがしんどくなってきているとのことで、私達が連れて行ってあげることに
なったのだ。義父を救ってくれた守り神・・・神社じゃないから神じゃないよね。汗
義父は何度も危険なところを危機一髪のところで救われているという。
心臓が悪く、ペースメーカーを入れているが、その入院した晩に脳梗塞を煩い、
もしその日、入院していなかったら助かっていなかった可能性が高いという。
その他も色々、数分のところで命を助けられたというのが何回もあったという。
助けられてるんだなーとちょっとびっくり。

そして義両親と旦那と4人でそのお寺に到着。
入り口前には階段があり、ここを登っていったらお寺がある。
皆でその階段を登る。




古くからあるお寺だという。

入り口には日限地蔵尊と書かれている。
何と読むのか最初わからなかった。
“ひぎり”って読むんだって。知らなかった・・・珍しい字だよね。

たくさんのお地蔵さんが祭られているお寺。




そして、ここをお参りしてからちゃんと流木にある旦那の実家のお墓参りもした。
親もたいそう喜んでくれた。

この前の日、義母と色んな話をしたんだけど、口には出さないけれど
義父も私のことをすごく気に入ってくれているらしい。
いい人に嫁にきてもらった・・といつも喜んでる・・と・・・・喜
私には直接言ってはくれないんだけど、家でいつも義父は話をしているん
だって・・・照

前に義両親を旅行に連れて行ってあげたこともあった。そのことも凄く
やっぱり嬉しかったんだろうね。
これからも親孝行しないと・・・喜

自分の親も日に日に年老いていくのがわかる。特に父親は既に普通に歩けず、
歩行器を使ってやっとのろのろ歩くようになっている。母親が大変だ・・・汗
昔、おばあちゃんが生きていたころ、よく、歳は取りともない・・・と言っていた。
自分も日に日に歳を感じるようになっているから、やっぱり周りの人も歳を
感じているのは当然なんだけど、やっぱり若い方がいいよね。汗
これは仕方ないんだけどね。汗

要は、自己管理をしっかりと、いつまでも若く元気であり続けたいね。
がーんば!
気だけは若くあり続けなければ・・・・苦笑


19日、日曜日のだんじり祭り

2010年09月22日 | Weblog
晩のだんじりを堪能した翌日も私達は太鼓や笛、そして青年団のそーりゃー・そーりゃーという
掛け声の聞こえる町へと足を運ぶ。

とは言うものの、朝からは宮入のため、昼ごろまで家でゆっくりしていた私達。
昼ごはんを家で済ませてからゆっくりと駅の方に向かう。昔は商店街で待っててもよく
だんじりが来たけど、今は臨海の方がよくだんじりが通ることを知っている私達はすぐに
臨海の方へと向かっていった。

土曜はカンカンの大阪側で見たけど、日曜日はランカン橋(堺町)の方で見ることにする。
ここはあっちからもこっちからもひっきりなしにだんじりが通って面白いのだ。

太鼓の音と共に威勢良く掛け声を上げながら真っ直ぐこちら方面へと向かってくる
だんじり。
やっぱり間近で見るだんじりは迫力があって面白い。





かと思えば、後ろからだんじりが左方向へと曲がる準備をしながら来るだんじりもある。
大北町のだんじり小屋がこのすぐ近くにあるため、休憩をしにこちらに来て、休憩が
終われば又走りに行く。

私達は同じ所で見ているんだけど、あっちからもこっちからもだんじりが来るのが面白い。
それにやりまわしも見れる。威勢良く走る姿も見れる。



別所のだんじりが右から左へ真っ直ぐ直進。
本来ならば前に人だかりが出来るのだけれど、このとき、別所が真っ直ぐ行ったあと、
別のだんじりが直進予定だったため、人が前に来ないように制御されていたため、
綺麗に写真を撮ることができたのはラッキーだった。喜
普通はだんじりのそばには凄い人だかりが出来ているのが常である。





そして直進するだんじりの向こうに見えるだんじりは、これからこちらに真っ直ぐくる
だんじりが待機している。
臨海はこんな感じでひっきりなしにだんじりがウロウロしているのだ。
だんじりの後ろには後ろ梃子の担当の人が紐を持っていつでもだんじりを廻すタイミングを
計っている。

向こうで待機しているだんじりは、別所の隣の町、藤井町のだんじりだ。





別所のだんじりが右へ綺麗にやりまわしをして走り出す。
うまくだんじりが撮れたと思ったら、交差点に待機している南と書いたはっぴの人たちが・・汗
これは南町の追い役の人たち。
いわゆるキャッチマンと言って、常にカーブのところで遠心力によって飛ばされる後ろ梃子の
人たちを助ける役目の人たちが、こうして交差点のところに立っているのだ。







そしていきなりドドーンとアップの写真・・・笑
だんじりばっかり撮ってるから、たまには私達も映ろうとカメラを伸ばして写真をパチリ。
別所のTシャツを二人とも着ている。喜





Tシャツの後ろはどうなってるか?というと・・・
下の写真が後ろ姿からの写真。
白で崩した字で書いているのは別所町・・・という字。
これを着ると別所の一員になっているような気がする。
各町それぞれ、Tシャツを用意しており、どこの町の人が一目でわかるようになっている。

勿論、見物人全てがこれを着ないといけないわけではない。
あくまでも自由だよ。
これを着ていると、堂々とその町のだんじりの後ろをついていけることは嬉しいことだね。
旦那は走ると足が痛くなるため、あんまりついて走らないけどね。
ちなみに自転車ではいくら走っても足に負担はないらしい。



この日、最終日というだけあって、中北町と下野町は夕方6時を廻っても
まだいつまでも曳いていた。原則5時で昼間の曳行(えいこう)は終わりなんだけど、
昼間は最後ということもあって、名残おしそうに何回も廻ってきていた。

そして、だんじりを見終わったあと、春木の旦那の実家におよばれに行った。

なんと又豪勢な弁当を用意してくれていた。
結構するんじゃないかな?
簡単なものでいいのに・・・汗

おいしく頂いた。




こうして、今年も祭りは終わった。
10月も実は上の祭りがあるんだけど、あんまり見に行かないんだよね。
走る・・・が勝ったりして・・・笑

この次のレポは彼岸のときのレポ。
旦那の両親を海南と流木に参りに車で連れて行ってあげた。
ちょっとした親孝行・・・・

では又ね。


夜のだんじり

2010年09月20日 | Weblog
晩御飯は私の実家で姉妹・親戚勢ぞろいでワイワイ賑わったあと、又夜のだんじりの街へと
繰り出していった私達。

昼間の活発さとは違って、夜のだんじりは決して走らず、ゆっくり歩いて街を優雅にちょうちんを
吊るしてゆっくり太鼓を鳴らす。
和泉市のだんじりは走るんだよ。曲がるときにやりまわしをするのを初めて見たときは
びっくりしたものだ。駅前を曲がるときに、笛のピピ~~~~ッという合図とともにいきなり
走り出すのを見たときは、なんか新鮮さを感じたね。
けれど、岸和田は決して走らないんだよね。

ゆっくり確実に一歩一歩進む登りのときの自転車みたいに、ゆっくりと歩く。





私達もゆっくりと岸和田商店街の方に歩いて行く。
ここならあらゆるだんじりが通るからだ。


実は、昼間はよくだんじりを見に行くんだけど、夜は滅多に行かなくなった。
けど、今年は何年かぶりに見に行った。
ちょっとだけ見て写真を撮りたかったからだ。本当言うと昼間のだんじりの方が好き。

町によっては、夜のだんじりの屋根の上にはたくさんの子供が乗っていることもある。
決して走らないから安全なのだ。

そしてそうこうしているうちに今年、新調(しんちょう)した下野町(しものちょう)の
だんじりがゆっくりと来た。あ、これは写真を撮っておかないと・・・・
と、しっかりカメラに収める。
さすが新しいだけあって、ちょうちんも凄く綺麗だった。

鳴り物(笛や太鼓など)も昼間の青年団と違って、小学校ぐらいの子供がだんじりの中に
いるのがわかるでしょ。将来、しっかりと青年団を勤めるであろう子供が夜のだんじりの
主役となるのだ。
こうして小さい頃からだんじりと慣れ親しんでいるのだ。
子供から大人まで一丸となって祭りを盛り上げるのだ。





何台か通りすぎたあと、我が町のだんじり、別所町が姿を現す。
滅多にとらないだんじりの後ろの写真をカメラに収める。
昼間の綱は小学校高学年にならないと持てないけれど、晩は小さい子供も大人の
サポートを受けながら綱を持たせてもらえる。
岸和田の子供はだんじりと共に大きくなるのが当たり前なのだ。

昔は14・15日と決まっていた。そのときは、14日が平日でも学校自体が休みになった。
今は土・日だけれど・・・
で、私達岸和田市民は、どこの小学校も14日は休みになるものやと思い込んでいた。
初めて実はそうではなかったということは、高校になってから知ったぐらいだった。
そう、中学校までは9月14日は全部休みだったから、不思議なことはなかったのだ。
高校は大阪府立の高校だったから、そこで別の友達と会話しているときに知ったのだ。驚



別所のだんじりの後をついていき、前に出て写真をパチリ。
やっぱり、自分の町にだんじりがあるのとないのとでは、親近感が違うよね。
というのも、やっとのことで別所にだんじりが戻ってきたから・・・・

絶対、私が小さいころにだんじりがあったら、曳いていただろうと思う。
残念ながら小さいころは、町にだんじりはなく、ただ見ているだけだった。
岸和田だんじり祭りはほんと有名にはなったものの、まだ町にだんじりがない町だって
あるんだよ。男の人は、違う町に曳きに行ったりしてるけどね。




テレビでも大々的に放送されるようになった有名なお祭り。
その分見物客も多くなり、道路規制がより厳しくなったのは事実。
安全を考えてのことだろうけど、ちょっと規制が厳しくなりすぎちゃう?と思うときは多々ある。
ま、仕方ないんだろうけど・・・汗

そして、日曜日も又岸和田だんじり祭りを見に行くことになった私達。
この3連休は見事自転車に乗らなかった。
20日は20日で彼岸の入りだったこともあり、春木(旦那の実家)の両親と共に
海南市と流木のお墓に参った。

この次は、日曜のだんじりのレポするからね~~~ 
ではでは。


18日、土曜日のだんじり祭り

2010年09月19日 | Weblog
年に一度の有名なお祭り。
300年以上の歴史のあるお祭り。

岡部長泰公が京都伏見稲荷を城内三の丸に勧請し、米や麦、豆といった穀物の豊作(五穀豊穣)
を願って稲荷祭りが始められたとされるお祭り。
それが300年以上たった今でも盛大に太鼓や笛を鳴らしながら雄大に駆け巡る。
子供から青年団、後ろ梃子である30人組や、追い役、50人組などといった年齢により各
担当者が割り振りされながら場所が変わって、ポジションが決められる。
それぞれ与えられた指名をしっかりとこなし、特に青年団に至っては、正に縦社会と言っても
過言ではないぐらい恐ろしいほど息を合わせるために、一致団結する。
前梃子の役割も重要で、綱元責任者や屋根の人の合図のタイミングなど、ぴったりと息を
合わせないと、見せ場のやりまわりがうまくいかない。

前置きの説明はこれぐらいにしておいて・・・っと・・・・
まずは土曜日に見に行ったときのレポを一つ・・・

実は朝からも見に行ってたけど、朝は春木のパレードを遠くから見ていたため、写真は
撮らず・・・
昼前に岸和田駅前商店街に移動し、うまく前の方を位置取る。
しかし、背の高い人が何人かいたため、なかなか肉眼ではっきり見えなかったのが、
悔しい。
そうこうしているうちにパレードが始まった。

そう、今年のパレード一番のりは大工町(だいくまち)から始まった。



次から次へとだんじりがやってくる。
並松町とかいて”なんまつちょう”と読む。
下の写真のようにのぼりを用意している町もある。
並松町のだんじりもまだ新しく、他の町のだんじりより横幅が広く、どっしりとした安定感がある。
見てても重たそうだけれど、その分しっかりしたやりまわしができ、安定した走りをする。




下の写真は藤井町のだんじり。
パレードのときは、後ろに何やらちょうちんと写真の載ったものを掲げて歩いてくる青年団。
いや、後ろ梃子の人か?
パレードのときは各町ごとに色んなものを掲げて走る町がある。中には仮装して走る人もいたり
して面白い。基本的にはハッピ姿だ。



何台か通り過ぎたあと、おっと、私の町のだんじりが・・・・
独身のときの町、別所町(べっしょちょう)のだんじりがくる。喜
各町のだんじりにはマトイがあり、どこの町のだんじりが来たかというのが一目見てわかるように
なっている。いわば、町のだんじりの目印となるもの。このマトイが、綱の先頭で動いているのだ。

小さい頃から慣れ親しんでいるだんじりの為、遠くからでもマトイを見るだけでどこの町のだんじりが
来たかというのはすぐにわかる。あるいは、前からくるハッピを見ただけでもすぐにわかる。





何?何?爆発?驚 大変・・・
いやいや、違う違う!これはパレードのときに合図と共に青年団が一斉に持っているクラッカーを
引いてパンパンと音をたてて打ち放つ物。
これを合図に持っている団長の名前の入った垂れ幕を屋根に乗っている人が二人で一斉に下ろし、
そして太鼓の音が鳴り響く。これぞ祭りだーって感じでね。喜

前では市長が団長に花束を渡し、胴上げだってされるんだよ。


子供や青年団、後ろ梃子の人たちが一斉に、”そーりゃー・そーりゃー”という掛け声を掛け合う。




そして垂れ幕を片付け、皆一斉に綱を手繰り寄せ、だんじりを引っ張っていく。
商店街をつきぬけ、突き当たりが駅のため、右に左へとやりまわしをして、一斉に走り出す。




中には風船を一斉に解き放つ町もあったりで、なかなか綺麗で風流だね。
いつも思うんだけど、この上に上がった風船はいずれ割れるんだけど、破片はどこに
行くのだろうか?と考えるのは私だけ?笑

綺麗に青空を駆け上る・・・まではいいんだろうけど・・・現実を考えれば・・・この後この風船の
かけらは何キロも先で落ちて行くのだろうか?と考えてしまう。

ま、パレードならではの光景かな。喜




下の写真は商店街をやりまわしして、一斉に動き出す筋海町(すじかいちょう)のだんじり。
このときには勢いよく走り去ってしまう。
屋根の人はバランスを取りながらうまく踊る。

小屋根の人はだんじりの向きを見ながら、内輪で合図する。後ろ梃子の人は小屋根の人の
合図で梃子をとり、うまくだんじりの向きを合わせる。すごい連携プレイ。



パレードが無事に終わり、私達は商店街から移動して臨海に出る。
カンカン場の大阪側手前の中央分離帯のある所でだんじりを見ることにする。

下の写真は今年だんじりを新調した新しいだんじりの下野町(しものちょう)のだんじり。
写真ではわかりにくいだろうけど、とにかく彫り物が深いというか、鮮やかで繊細だ。
下野町は今年マトイも新しいものに変わっていた。



下の写真は我が町、別所町のだんじりの後ろ姿。
屋根の人が着ているハッピに一文字ずつの印字。これはその人の名前の頭文字を
取っているらしい。
町によっては引いている人と同じハッピを着ている町もあるし、屋根の人だけハッピが
違う町もあったりで、各町によって様々。中には浴衣を着て踊る屋根の人がいたりだってする。




この写真の向こう側がかの有名なカンカン場。ここは一番の見せ所ということもあり、どこの町も
ここに行きたがるため、だんじりがしまいに団子状態になる。
商店街の方に行くと、又下まで下がってくるのがしんどいため、皆、手前の小門(こかど)の交差点で
曲がって又すぐにここに戻ってくる。
このときもこの後ろに実はもう2台、だんじりが待機していた。

警察の人も一日中立ってないといけないから大変だろなー。
中央分離帯の手前は緊急車両(救急車など)を通すため、一般の人は入っていけないように整備
されているのだ。とはいうものの、写真を撮ったりするときは手前まで行ったりしたけどね。



そして、1日目の曳行(えいこう)←だんじりを引くこと・・は、終わった。
これから晩に向けて、ちょうちんをつったり、夜の準備にさしかかるのであった。

そのレポは又今度。
ではでは。


年に一度の・・・

2010年09月18日 | Weblog
一年の中で、唯一2日間だけ、私が自転車よりも優先することがある。

ずっと自転車が一番だけど、この日だけは自転車はおいといて、見に行くものがある。

小さい頃から慣れ親しんできたもの。

小さい頃はうちの町にはなかったもの。

40年ぶりにある町から中古のものを買ったもの。

そう、私が生まれ育った土地にある、300年以上も続いている街総出でにぎわう有名なお祭り。

何を隠そうそれはだんじり祭りである。

この日ばかりは、自転車はおいといて岸和田商店街やカンカン場に足を運ぶ。

昔からずっと9月14・15日だったけど、15日が祝日でなくなった影響もあり、引き手が
少なくなった影響で土・日(日は毎年変わる)ように変更された。
その祭りが、今日と明日の2日間である。
当然今年も見に行った。
写真一杯撮ってきたけど、まだアップしてないから又アップするね。
ちなみに上の写真は去年撮ったもの。
うちの町のだんじりである。

今日の晩は私の実家で姉妹・子供・親戚勢ぞろいでにぎわった。
明日は旦那の実家でおよばれ・・・喜


詳しいレポは又今度・・・
明日も見に行ってきまっす。


鳥羽志摩線でGETした物

2010年09月16日 | Weblog
苦しさの中に感動を覚え、暑さと奮闘しながらも自分に打ち勝った優越感に浸りながら、又
来ようね・・・と言い合った仲間たちとバイバイし、無事に帰宅した私達。

最後の抽選会でゼッケン番号下一桁が4の人は下の写真の発泡スチロールの懸賞をもらう。
旦那が当たった。
何やろ?何やろ? ひょっとしたら伊勢海老ちゃうか?と旦那。
ワー、それやったら嬉しいなー・・とちょっと期待してしまう私。
もらうときにスタッフに尋ねると、さざえらしい。
ワッ!さざえ・・・伊勢海老ちゃうんや・・・とちょっと残念に思いながら、どうやって
料理しよう?と真っ先に頭で悩む。
とりあえず持って帰る。

実は旅館で出てきたときには食べず、旦那に食べてもらった。今思えば、あげずに自分で食べたら
良かった・・・汗





貝は形が結構グロテスクで、昔は食べず嫌いだった。アサリやシジミ、ハマグリなど・・・
ある日、何かのきっかけでちょっと食べてみよう・・と勇気を出して口の中へ・・
見た目よりおいしい・・・意外と食べれるやん・・・
と、その日から貝類も一部を除いては食べれるようになった。ちなみに牡蛎は今でも駄目。
けど、サザエは普段あまり目にしない。昔、一度食べたっきりだった。

帰ってふたを開け、中身を確認。大きいサザエが6つ入っていた。
旦那がカラの蓋をツンツンとつつく。するとどうだろう・・・生きているのがわかる。
なんと、ピュッと少し奥に動くではないか。面白い。
少しの間、触って遊んでいた。笑

この日は遅かったため、翌日の食卓に姿を現すことになる。




一夜明けて仕事から帰ってきた私は、さっそく冷蔵庫からサザエを取り出し、網焼き、
つまり壷焼きにする。
火でグツグツ焼く。すると貝は、熱いよ~熱いよ~と言わんばかりに、不思議な音が・・
ピュ~・・・ぴゅ~・・・とそれぞれの貝から音が出る。そして開いていた貝の蓋が
閉じていく。そしてさらに火を通すと、中からグツグツと液が沸騰してくる。
このサザエは旦那と仲良く3つずつ頂いた。

生で見るとグロテスクな形をしているが、火を通し、食べたらおいしかった。
しょうゆを少しだけたらして味付けして食べた。




そして参加者全員にもらえるTシャツが下の写真。長距離ランのイベントの参加賞に
Tシャツがつきものだと思うのは私だけだろうか?GF吉野でもGF福井でも参加賞は
Tシャツをもらった。だんだん増えていくね。笑 喜 夏はTシャツが圧倒的に多いから
嬉しいのだった。

ローマ字でtobashimasenと書いており、自転車のマークも入っているなかなか粋な
はからいのTシャツだった。黄緑で色もいい。又着よう。




そして下の写真のひじきのふりかけは、やはり伊勢でのイベントならではの参加賞って
感じだね。

右の鰹節は私が抽選で当たったもの。
味噌汁のダシに使うといいダシが出ておいしそうだね。
いずれにせよ、主婦には嬉しい頂き物だ~ね~ きっと女の人は喜んでるんじゃない?



そして何より嬉しいものが、苦しく挫折しそうになりながらも、自分にムチ打って
全てを走りきった証である完走証。
これは値打ちあるよ。最初から厳しいコースとわかっていたらそれなりの覚悟をして
取り組んだんだろうけど、何せこんなに厳しいコースだとは思ってはおらず・・・汗

GF吉野160km完走できたときもたいがい嬉しかったけど、鳥羽志摩線はほんと暑さとの
戦いも余儀なくされたため、こちらの大会も辛かった。
吉野での経験を元に、塩は積極的になめていたものの、やっぱりきつかった。

この完走証を見ると、そのときの思いがよみがえってくる。
きつく、厳しいコース。けど、それがあるからこそ、自分を磨くことができ、又チャレンジ
してやろう!と思えるのかもね。喜





きついコースであればあるほど、走り応えがあり、自分の足で走りきったときの感動や
喜びは計り知れないものがあるのは、皆よくわかっている。
だからこそ、あえてしんどいことにチャレンジする。もっときつい山にもチャレンジしたいと
思い、もっと長距離を走りたい・・とも思える。

私達は常に感動、そして自信をつけるために走り続けているのかもしれない。
ほんと、雨で走れなかったりするときほど、ストレスを感じるときはないもんね。汗
走れると幸せを感じる私。まさに自転車中毒なのさ。喜


鳥羽志摩線大会 走行125km その3

2010年09月15日 | Weblog
長く続くアップダウンの道、そして暑さとの戦いで途中くじけそうにもなった鳥羽志摩線大会。
数々の苦難を乗り越え、補給もして再度ゴールに向けてひた走る。
折り返し地点を過ぎ、今度は今来た道をもう一度引き返すことになった私達。

色んな道を行きたいと思ったけれど、良く言えば一度走ってどんな所かを知っている道を
走るときって、何となく気が楽になり、走りやすい。
そして展望台が山場だけれど、一番きついとされる峠も越え、海洋センターに戻る道も
アップダウンが多いとは言え、幾分楽になる。

それを知っている私は、なぜか元気良くスタートし、旦那も追い越し、ハイスピードで走る。
なぜか後半の方が調子が上がってくるではないか。驚 一番前で引きながら、
アップダウンの道をクリアしていく。自分でも足取が軽いのには驚く。あれだけ展望台に
登るときはヘロヘロ状態だったというのに・・・驚
最近朝走り出しの時ってほんと脚が動かず、無理矢理動かそうとして返って疲れてしまう
ときが多い。今回もそんな感じだったのか?
休憩し、胃に食べ物を入れて走り出すと、あれまー不思議!別人になったかのように
元気を取り戻したのには驚く。

エイドステーションで補給するため、休憩。
そのときも元気そのものでカメラにピース。




水分補給はまめに取るように心がけた私達は、次のエイドステーションでも止まって
しっかりと水分を取り入れる。暑さで汗になって出ていくため、水分を充分取っても
あまりトイレに行きたいとは思わなかった。エイドステーションでは積極的に塩も一なめ。

うまく3人かたまっていたため、記念撮影。
北○さんは疲れているのかな?異常に暑かったもんな~ 汗




そして永遠と走ること125km・・・・私達はやっと走りきった。
ちょっと愛想なかったのは、ゴールの垂れ幕がなく、ちょっとした壁にゴールと
貼っているだけだったから、ここでゴール~~~~という感動がなかったのが
残念だった。汗 
ゴール後のカキ氷や伊勢海老汁、貝などをふるまってくれ、おいしく頂いた。
写真に撮らなかったのがちょっと残念だけど・・・汗

そして私達は自転車を車に積み込み、次の目的地、ひまわりの湯という
温泉に出かけるための準備をした。





スペイン村の中にあるひまわりの湯は、三重県の温泉の中でもランキング4位に入る
人気の温泉。
露天風呂から眺める景色も良く、湯質もなめらかでとっても気持ち良かった。
北○さんは暑いから・・・と言ってすぐに出ちゃったけど、私は何個もある湯船に少しずつ
脚を踏み入れ、ゆっくりと疲れを取って、癒しの時間を過ごした。

とっても気持ち良かった。
出てきたら皆くつろいでいた。



そして看板のところで皆で記念撮影。
んー、皆最高の笑顔だね。喜
汗を綺麗にさっぱりと落とし、疲れも落とし、一気に元気になったような気がした。
実際、コースはきつかったけど後半になるにつれ、調子の出てきていた私は、本当なら
もっと走ろうと思えば走れたぐらいだった。この温泉に浸かることにより、ほぼ元通りと
なったような気がした。
温泉って不思議だね。疲れていても入ると疲れが一気に吹き飛ぶような気がする。

機会があったら又入りたい。



実際、スペイン村で遊んだわけでも泊まったわけでもなかったけど、せっかくだから・・・と
いうことでホテルの前で写真を撮ってもらった。

そして私達は家路へと帰っていくのであった。




苦しく、思ったより険しかったコースを始めて走ったわけだけど、こんな機会でもなければ
三重県まで走りに来ることはないから、いい経験をしたと思う。
ちょっとは登りの力もついたかな?汗

暑さとの戦いにも何とか苦労しながら打ち勝ったのも嬉しかった。
もっと暑さに強くならなければ・・・汗

そして、抽選で旦那が当たったもの・・・
それは・・・・


又続きは今度~~~
お楽しみに~~~