前進あるのみ

真面目で何事にも一生懸命に前向きにをモットーに頑張るのみ!

18日、土曜日のだんじり祭り

2010年09月19日 | Weblog
年に一度の有名なお祭り。
300年以上の歴史のあるお祭り。

岡部長泰公が京都伏見稲荷を城内三の丸に勧請し、米や麦、豆といった穀物の豊作(五穀豊穣)
を願って稲荷祭りが始められたとされるお祭り。
それが300年以上たった今でも盛大に太鼓や笛を鳴らしながら雄大に駆け巡る。
子供から青年団、後ろ梃子である30人組や、追い役、50人組などといった年齢により各
担当者が割り振りされながら場所が変わって、ポジションが決められる。
それぞれ与えられた指名をしっかりとこなし、特に青年団に至っては、正に縦社会と言っても
過言ではないぐらい恐ろしいほど息を合わせるために、一致団結する。
前梃子の役割も重要で、綱元責任者や屋根の人の合図のタイミングなど、ぴったりと息を
合わせないと、見せ場のやりまわりがうまくいかない。

前置きの説明はこれぐらいにしておいて・・・っと・・・・
まずは土曜日に見に行ったときのレポを一つ・・・

実は朝からも見に行ってたけど、朝は春木のパレードを遠くから見ていたため、写真は
撮らず・・・
昼前に岸和田駅前商店街に移動し、うまく前の方を位置取る。
しかし、背の高い人が何人かいたため、なかなか肉眼ではっきり見えなかったのが、
悔しい。
そうこうしているうちにパレードが始まった。

そう、今年のパレード一番のりは大工町(だいくまち)から始まった。



次から次へとだんじりがやってくる。
並松町とかいて”なんまつちょう”と読む。
下の写真のようにのぼりを用意している町もある。
並松町のだんじりもまだ新しく、他の町のだんじりより横幅が広く、どっしりとした安定感がある。
見てても重たそうだけれど、その分しっかりしたやりまわしができ、安定した走りをする。




下の写真は藤井町のだんじり。
パレードのときは、後ろに何やらちょうちんと写真の載ったものを掲げて歩いてくる青年団。
いや、後ろ梃子の人か?
パレードのときは各町ごとに色んなものを掲げて走る町がある。中には仮装して走る人もいたり
して面白い。基本的にはハッピ姿だ。



何台か通り過ぎたあと、おっと、私の町のだんじりが・・・・
独身のときの町、別所町(べっしょちょう)のだんじりがくる。喜
各町のだんじりにはマトイがあり、どこの町のだんじりが来たかというのが一目見てわかるように
なっている。いわば、町のだんじりの目印となるもの。このマトイが、綱の先頭で動いているのだ。

小さい頃から慣れ親しんでいるだんじりの為、遠くからでもマトイを見るだけでどこの町のだんじりが
来たかというのはすぐにわかる。あるいは、前からくるハッピを見ただけでもすぐにわかる。





何?何?爆発?驚 大変・・・
いやいや、違う違う!これはパレードのときに合図と共に青年団が一斉に持っているクラッカーを
引いてパンパンと音をたてて打ち放つ物。
これを合図に持っている団長の名前の入った垂れ幕を屋根に乗っている人が二人で一斉に下ろし、
そして太鼓の音が鳴り響く。これぞ祭りだーって感じでね。喜

前では市長が団長に花束を渡し、胴上げだってされるんだよ。


子供や青年団、後ろ梃子の人たちが一斉に、”そーりゃー・そーりゃー”という掛け声を掛け合う。




そして垂れ幕を片付け、皆一斉に綱を手繰り寄せ、だんじりを引っ張っていく。
商店街をつきぬけ、突き当たりが駅のため、右に左へとやりまわしをして、一斉に走り出す。




中には風船を一斉に解き放つ町もあったりで、なかなか綺麗で風流だね。
いつも思うんだけど、この上に上がった風船はいずれ割れるんだけど、破片はどこに
行くのだろうか?と考えるのは私だけ?笑

綺麗に青空を駆け上る・・・まではいいんだろうけど・・・現実を考えれば・・・この後この風船の
かけらは何キロも先で落ちて行くのだろうか?と考えてしまう。

ま、パレードならではの光景かな。喜




下の写真は商店街をやりまわしして、一斉に動き出す筋海町(すじかいちょう)のだんじり。
このときには勢いよく走り去ってしまう。
屋根の人はバランスを取りながらうまく踊る。

小屋根の人はだんじりの向きを見ながら、内輪で合図する。後ろ梃子の人は小屋根の人の
合図で梃子をとり、うまくだんじりの向きを合わせる。すごい連携プレイ。



パレードが無事に終わり、私達は商店街から移動して臨海に出る。
カンカン場の大阪側手前の中央分離帯のある所でだんじりを見ることにする。

下の写真は今年だんじりを新調した新しいだんじりの下野町(しものちょう)のだんじり。
写真ではわかりにくいだろうけど、とにかく彫り物が深いというか、鮮やかで繊細だ。
下野町は今年マトイも新しいものに変わっていた。



下の写真は我が町、別所町のだんじりの後ろ姿。
屋根の人が着ているハッピに一文字ずつの印字。これはその人の名前の頭文字を
取っているらしい。
町によっては引いている人と同じハッピを着ている町もあるし、屋根の人だけハッピが
違う町もあったりで、各町によって様々。中には浴衣を着て踊る屋根の人がいたりだってする。




この写真の向こう側がかの有名なカンカン場。ここは一番の見せ所ということもあり、どこの町も
ここに行きたがるため、だんじりがしまいに団子状態になる。
商店街の方に行くと、又下まで下がってくるのがしんどいため、皆、手前の小門(こかど)の交差点で
曲がって又すぐにここに戻ってくる。
このときもこの後ろに実はもう2台、だんじりが待機していた。

警察の人も一日中立ってないといけないから大変だろなー。
中央分離帯の手前は緊急車両(救急車など)を通すため、一般の人は入っていけないように整備
されているのだ。とはいうものの、写真を撮ったりするときは手前まで行ったりしたけどね。



そして、1日目の曳行(えいこう)←だんじりを引くこと・・は、終わった。
これから晩に向けて、ちょうちんをつったり、夜の準備にさしかかるのであった。

そのレポは又今度。
ではでは。