コラム:円高継続でも120円が限界、「令和の環境変化」が鮮明に=植野大作氏
ロイター
[東京 17日] - 2023年度が始まって半月余りが経過した。新たな会計年度を迎えたドル/円相場は、これまでのところ、130円台では底堅く推移する一方、134円台では頭打ちになり、狭い値幅のレンジ・ワークが続いている。
4月17日、2023年度が始まって半月余りが経過した。新たな会計年度を迎えたドル/円相場は、これまでのところ、130円台では底堅く推移する一方、134円台では頭打ちになり、狭い値幅のレンジ・ワークが続いている。
為替の安定を望む実需筋にとっては、ひとまず安堵(あんど)の船出だが、派手な値動きを好む投機筋にとっては、欲求不満の溜まる展開だ。
昨年度のドル/円相場は、4月安値の121円台から10月高値の151円台に至るまで、約半年間で30円以上も上振れした後に景色が急変。今年1月に記録した安値127円台に至るまで、3カ月間で約25円も下振れするなど、ジェットコースター並みの荒ぶる様子が観測された。
近年のドル/円相場は、動き出したら速い印象があるので油断は禁物だ。新年度明けに観測されているドル/円相場の小康状態は「嵐の前の静けさ」である可能性もある。果たして今後、どのような展開が待っているのだろうか。
<23年度中に円高が継続する理由>
結論から先に述べておく。少なくとも今年度中は、ドル安・円高の流れが続きそうだ。
まず、テクニカル的に見ると、筆者がドル/円相場のトレンドを判定する際に重視している週足の移動平均線が、非常に明確な頭打ちのサインを出している。
ドル/円の週足チャートで短中長期の各移動平均線の絡まり具合を眺めると、既に今年の1月時点で13週線が26週線を上から下に突き破り、短期と中期のデッド・クロスが生じている。その後、26週線は下降し続け、先週ついに1年物のトレンドである52週線を突き破り、中期と長期のデッド・クロスも完成した。
今のところ、52週線はまだ右肩上がりの傾きを維持している。ただ、「過去1年間で貯めたドル高貯金を吐き出すと右肩下がりに転じる」という52週線の性質上、ドル/円相場が現在の130円台前半の巡航高度を維持しているだけでは、6月中には前年同期の水準を割り込んで借金生活に突入、下降局面に転じることが避けられなくなる。
トレンド系のテクニカル指標を好む売買参加者が多いドル/円市場では、長期トレンドの傾きが変わると慣性の法則が働きやすい。過去、ドル/円相場の52週線が下降局面に転じてしまうと、早期に上昇トレンドに復帰できた事例はほとんど無い。この先、しばらくの間はドル/円相場には心理的なダウン・フォースが強く働きやすい状況が続きそうだ。
ドル/円相場を取り巻くファンダメンタルズに目を転じても、昨年の春から米連邦準備理事会(FRB)が猛烈な勢いで進めた金融引き締めの効果が徐々に表れ、米国景気の減速懸念が強まっている。
現在、米国の債券市場では3カ月国債の金利が10年国債の利回りより高くなる「逆イールド現象」が起きているが、1990年代以降、米国債市場で長短金利の逆転が生じた場合、4回中4回と100%の確率で景気後退に陥っている。
3月中旬に米国で起きた地銀2行の経営破綻は、既往の金融引き締め効果が経済に浸透し始めていることの証左と言える。間もなく米国経済には明確な減速の兆しが現れ、遅くとも来年の年明けにFRBが利下げ局面に転じそうだ。今年の中ごろから来年にかけて、米金利の先安観を背景にしたドル安圧力が強まるとみるのが自然だろう。
<米景気後退の平均は10カ月>
ただし、この先に米国景気がリセッションを回避できなくなった場合でも、それほど長い期間にわたってドル安・円高が進む可能性は低いだろう。戦後、米国では景気拡張期と後退期が12回ずつ観測されているが、その長さを比べると、拡張期の平均は約64カ月だったのに対し、後退期は約10カ月と圧倒的に短く終わっているからだ。
戦後最も長い米国景気の後退期はリーマン危機が起きた前後に観測されているが、それでもわずか18カ月で終了している。戦後、米国は1年半を超える景気後退を経験したことが1度もない。したがって、仮に今年の秋ごろから米国でリセッションが始まったとしても、過去の平均10カ月前後で景気の底が見えるなら、来年の年末までには、ドル/円の底も見え始めるのではなかろうか。
近年のドル/円相場は年間の値幅は、動かない年でも10円程度はあることを考えると、今から来年の年末ごろまで1年半近くドル安・円高が進む場合、15円程度のドル/円相場の下振れはあり得る。ザラ場のボトムで1ドル=120円を少し割り込むあたりまでのドル安・円高が進む可能性は見ておく必要があるかもしれない。
<円高の大幅進行を阻む要因>
ただ、近年の日本経済の状況をみると、それ以上に深いドル安・円高が進行する可能性は低いだろう。まず、為替需給の面からは、貿易収支の赤字体質が定着している「令和の日本」では、輸出入決済の現場で恒常的な「ドル不足・円余剰」が発生している。
安定的な貿易黒字を計上していた「平成の若かった頃までの日本」では、米国景気が悪化して金利低下に伴うドル安圧力が強まると、国内輸出企業が追い打ちをかけてドルを売るのでドル安・円高に拍車がかかりやすかった。だが、現在は輸入企業のドル買いが、金利低下に伴って発生するドル安圧力を緩和する緩衝材になっている。
昨今の日本の物価情勢に目を転じても、消費者物価の上昇率は一時9%台まで跳ね上がった米国よりもはるかに低い前年比4%台でピークアウト、現在は3%台前半まで減速している。
植田和男・日銀新総裁は今年度の下期に日本のインフレ率が目標2%を割り込むとの見解を示しており、現在世界で唯一日銀だけが採用している短期マイナス金利政策は、当分維持される可能性が高い。
その場合、国内外の投機筋が、短期金利が5%前後まで上昇しているドルを空売りして円買い投機を仕掛けると、年率500ベーシス超ものネガティブ・キャリーの金利負担が発生することになる。
よほど鍛えの入った信念の円高論者でもない限り、ドルショート・円ロングの領域には踏み込みにくい日々が続くだろう。
一方、国内債券市場の機能を損なう副作用が目立っている長期金利の天井規制については、植田日銀新総裁の下で早晩撤廃される可能性が高い。ただ、多くの市場関係者は既にその可能性を察知している。
仮に間もなく日銀が長期金利の上限規制を廃止したとしても、円金利スワップ市場で織り込まれている0.2%─0.3%程度の金利上昇で済むなら、その直後に引き起こされるワンタイムの円高ショックは2円─3円程度で収まるだろう。
その後、日本の長期金利は日本経済の実力を反映して自由に動くようになるが、長期的な期待成長率の低さを反映して米国の4分の1前後の金利収入しかない日本の長期国債に、為替オープンのリスクを背負って円の上値を追いかけて買い続ける外国人マネーを呼び込む魅力があるとは思えない。
今後、米国景気が悪化して米金利の低下によるドル安圧力が強まる場合でも、長短金利の魅力が諸外国に比べて明確に低く、貿易収支の赤字体質が定着している「令和の日本」において、円の上昇余地には限度がありそうだ。
われわれ日本人はドルが売られる時期には真っ先に円が買われると思いがちだが、広い世界を見渡せば、ドル売り圧力の受け皿として円より強い魅力を備えた通貨は他にいくらでもある。
米金利低下局面で発生するドル安圧力は円以外の通貨にも分散し、現在のドル安・円高サイクルの底値は120円前後になるとみておきたい。
編集:田巻一彦
*本コラムは、ロイター外国為替フォーラムに掲載されたものです。筆者の個人的見解に基づいて書かれています。
*植野大作氏は、三菱UFJモルガン・スタンレー証券のチーフ為替ストラテジスト。1988年、野村総合研究所入社。2000年に国際金融研究室長を経て、04年に野村証券に転籍。国際金融調査課長として為替調査を統括、09年に投資調査部長。同年7月に外為どっとコム総合研究所の創業に参画、12月より主席研究員兼代表取締役社長。12年4月に三菱UFJモルガン・スタンレー証券入社、13年4月より現職。05年以降、日本経済新聞社主催のアナリスト・ランキングで5年連続為替部門1位を獲得。
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ロイター
[東京 17日] - 2023年度が始まって半月余りが経過した。新たな会計年度を迎えたドル/円相場は、これまでのところ、130円台では底堅く推移する一方、134円台では頭打ちになり、狭い値幅のレンジ・ワークが続いている。
4月17日、2023年度が始まって半月余りが経過した。新たな会計年度を迎えたドル/円相場は、これまでのところ、130円台では底堅く推移する一方、134円台では頭打ちになり、狭い値幅のレンジ・ワークが続いている。
為替の安定を望む実需筋にとっては、ひとまず安堵(あんど)の船出だが、派手な値動きを好む投機筋にとっては、欲求不満の溜まる展開だ。
昨年度のドル/円相場は、4月安値の121円台から10月高値の151円台に至るまで、約半年間で30円以上も上振れした後に景色が急変。今年1月に記録した安値127円台に至るまで、3カ月間で約25円も下振れするなど、ジェットコースター並みの荒ぶる様子が観測された。
近年のドル/円相場は、動き出したら速い印象があるので油断は禁物だ。新年度明けに観測されているドル/円相場の小康状態は「嵐の前の静けさ」である可能性もある。果たして今後、どのような展開が待っているのだろうか。
<23年度中に円高が継続する理由>
結論から先に述べておく。少なくとも今年度中は、ドル安・円高の流れが続きそうだ。
まず、テクニカル的に見ると、筆者がドル/円相場のトレンドを判定する際に重視している週足の移動平均線が、非常に明確な頭打ちのサインを出している。
ドル/円の週足チャートで短中長期の各移動平均線の絡まり具合を眺めると、既に今年の1月時点で13週線が26週線を上から下に突き破り、短期と中期のデッド・クロスが生じている。その後、26週線は下降し続け、先週ついに1年物のトレンドである52週線を突き破り、中期と長期のデッド・クロスも完成した。
今のところ、52週線はまだ右肩上がりの傾きを維持している。ただ、「過去1年間で貯めたドル高貯金を吐き出すと右肩下がりに転じる」という52週線の性質上、ドル/円相場が現在の130円台前半の巡航高度を維持しているだけでは、6月中には前年同期の水準を割り込んで借金生活に突入、下降局面に転じることが避けられなくなる。
トレンド系のテクニカル指標を好む売買参加者が多いドル/円市場では、長期トレンドの傾きが変わると慣性の法則が働きやすい。過去、ドル/円相場の52週線が下降局面に転じてしまうと、早期に上昇トレンドに復帰できた事例はほとんど無い。この先、しばらくの間はドル/円相場には心理的なダウン・フォースが強く働きやすい状況が続きそうだ。
ドル/円相場を取り巻くファンダメンタルズに目を転じても、昨年の春から米連邦準備理事会(FRB)が猛烈な勢いで進めた金融引き締めの効果が徐々に表れ、米国景気の減速懸念が強まっている。
現在、米国の債券市場では3カ月国債の金利が10年国債の利回りより高くなる「逆イールド現象」が起きているが、1990年代以降、米国債市場で長短金利の逆転が生じた場合、4回中4回と100%の確率で景気後退に陥っている。
3月中旬に米国で起きた地銀2行の経営破綻は、既往の金融引き締め効果が経済に浸透し始めていることの証左と言える。間もなく米国経済には明確な減速の兆しが現れ、遅くとも来年の年明けにFRBが利下げ局面に転じそうだ。今年の中ごろから来年にかけて、米金利の先安観を背景にしたドル安圧力が強まるとみるのが自然だろう。
<米景気後退の平均は10カ月>
ただし、この先に米国景気がリセッションを回避できなくなった場合でも、それほど長い期間にわたってドル安・円高が進む可能性は低いだろう。戦後、米国では景気拡張期と後退期が12回ずつ観測されているが、その長さを比べると、拡張期の平均は約64カ月だったのに対し、後退期は約10カ月と圧倒的に短く終わっているからだ。
戦後最も長い米国景気の後退期はリーマン危機が起きた前後に観測されているが、それでもわずか18カ月で終了している。戦後、米国は1年半を超える景気後退を経験したことが1度もない。したがって、仮に今年の秋ごろから米国でリセッションが始まったとしても、過去の平均10カ月前後で景気の底が見えるなら、来年の年末までには、ドル/円の底も見え始めるのではなかろうか。
近年のドル/円相場は年間の値幅は、動かない年でも10円程度はあることを考えると、今から来年の年末ごろまで1年半近くドル安・円高が進む場合、15円程度のドル/円相場の下振れはあり得る。ザラ場のボトムで1ドル=120円を少し割り込むあたりまでのドル安・円高が進む可能性は見ておく必要があるかもしれない。
<円高の大幅進行を阻む要因>
ただ、近年の日本経済の状況をみると、それ以上に深いドル安・円高が進行する可能性は低いだろう。まず、為替需給の面からは、貿易収支の赤字体質が定着している「令和の日本」では、輸出入決済の現場で恒常的な「ドル不足・円余剰」が発生している。
安定的な貿易黒字を計上していた「平成の若かった頃までの日本」では、米国景気が悪化して金利低下に伴うドル安圧力が強まると、国内輸出企業が追い打ちをかけてドルを売るのでドル安・円高に拍車がかかりやすかった。だが、現在は輸入企業のドル買いが、金利低下に伴って発生するドル安圧力を緩和する緩衝材になっている。
昨今の日本の物価情勢に目を転じても、消費者物価の上昇率は一時9%台まで跳ね上がった米国よりもはるかに低い前年比4%台でピークアウト、現在は3%台前半まで減速している。
植田和男・日銀新総裁は今年度の下期に日本のインフレ率が目標2%を割り込むとの見解を示しており、現在世界で唯一日銀だけが採用している短期マイナス金利政策は、当分維持される可能性が高い。
その場合、国内外の投機筋が、短期金利が5%前後まで上昇しているドルを空売りして円買い投機を仕掛けると、年率500ベーシス超ものネガティブ・キャリーの金利負担が発生することになる。
よほど鍛えの入った信念の円高論者でもない限り、ドルショート・円ロングの領域には踏み込みにくい日々が続くだろう。
一方、国内債券市場の機能を損なう副作用が目立っている長期金利の天井規制については、植田日銀新総裁の下で早晩撤廃される可能性が高い。ただ、多くの市場関係者は既にその可能性を察知している。
仮に間もなく日銀が長期金利の上限規制を廃止したとしても、円金利スワップ市場で織り込まれている0.2%─0.3%程度の金利上昇で済むなら、その直後に引き起こされるワンタイムの円高ショックは2円─3円程度で収まるだろう。
その後、日本の長期金利は日本経済の実力を反映して自由に動くようになるが、長期的な期待成長率の低さを反映して米国の4分の1前後の金利収入しかない日本の長期国債に、為替オープンのリスクを背負って円の上値を追いかけて買い続ける外国人マネーを呼び込む魅力があるとは思えない。
今後、米国景気が悪化して米金利の低下によるドル安圧力が強まる場合でも、長短金利の魅力が諸外国に比べて明確に低く、貿易収支の赤字体質が定着している「令和の日本」において、円の上昇余地には限度がありそうだ。
われわれ日本人はドルが売られる時期には真っ先に円が買われると思いがちだが、広い世界を見渡せば、ドル売り圧力の受け皿として円より強い魅力を備えた通貨は他にいくらでもある。
米金利低下局面で発生するドル安圧力は円以外の通貨にも分散し、現在のドル安・円高サイクルの底値は120円前後になるとみておきたい。
編集:田巻一彦
*本コラムは、ロイター外国為替フォーラムに掲載されたものです。筆者の個人的見解に基づいて書かれています。
*植野大作氏は、三菱UFJモルガン・スタンレー証券のチーフ為替ストラテジスト。1988年、野村総合研究所入社。2000年に国際金融研究室長を経て、04年に野村証券に転籍。国際金融調査課長として為替調査を統括、09年に投資調査部長。同年7月に外為どっとコム総合研究所の創業に参画、12月より主席研究員兼代表取締役社長。12年4月に三菱UFJモルガン・スタンレー証券入社、13年4月より現職。05年以降、日本経済新聞社主催のアナリスト・ランキングで5年連続為替部門1位を獲得。
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