INSIDE SORAMAME

私の頭の中のキオクを綴っていくつもりです・・

エンギモノ(16)

2009年05月27日 |   ┣ お宝と縁起物
(つづき)
今回はやや番外気味。

西鉄のサイトの「にしてつ時刻表」において、「行先番号別の運行路線地図から選択」で任意の地区を選び、「1番」を選んで表示された地図を「広域」にすると、画像のような地図が出てくる。

前回の「エンギモノ」で、飯塚地区の「1番」は"福岡、北九州、久留米など、他地区の「1番」と比べるとかなり地味な印象"と書いた。
このブログを読んでいただいている方の大半はおわかりのこととは思うが、ひとくちに、「西鉄の1番のバス」と言っても、福岡県内至る所に「1番」が走っていることがわかる。
そして、これら「1番」の相互間にはほとんど関連がなく、それぞれの地区の「代表」として活躍している(「代表」とは呼べない例外のケースもあり)。

同じことを「41番」でやってみると、福岡県を斜めに横切る、途中が少しだけ切れた直線が表示される。
福岡市中心部から雑餉隈までの「41番」と、二日市から杷木までの「41番」である。
これらの2路線にも、直接的な関係はない。
ただ、元をたどれば「天神~博多駅~二日市~甘木~杷木方面」を結んでいた「40番」がベースとなっているという点では「つながり」がある。

県内至る所に「1番」が走っているとはいうものの、西鉄バスの行先番号は「1から順に番号を付けた体系がいくつか存在する」というだけでは説明しきれない部分が多々ある。
その「体系」の外縁部や、2以上の「体系」がクロスオーバーするようなエリアにおいては、どの「体系」に属するかを一概には判断しづらい番号も多くなっている。

現在、二日市~杷木を走っている「40番」は、もともとは福岡都市圏の「体系」に属していたが、福岡市中心部に乗り入れなくなっても「40番」のままであり、福岡市内には新たに全く別の「40番」(博多駅~板付7丁目)が登場しており、もともとの「40番」は、宙に浮いたような状態にある(あくまで「体系」という観点から見た場合の話)。
二日市~上西山を走る「24番」も、番号としては異質であり、もともとは飯塚地区の「体系」に属していたのではないかという推測もできる。
宇美~太宰府の「4番」も、もともとは二日市地区の「体系」に属していたが、今や、宇美地区の「体系」(空港循環線など)の一構成員としたほうがよさそうな気もする。

結局のところ何が言いたいのかがわからなくなってきたが、西鉄バスの行先番号は、単なる「番号」ではなく、その数字が持つ意味を直接・間接に伝えている「名前」的な側面が多分にあって、それが面白いなぁと思うのである(いつもぼやーっと考えていることを文章化しようと試みたが、いまいち伝わりづらいですかね…?)。
(つづく)
コメント (8)
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