「はだしのゲン」 の、本当の意味をつかんでいるかというとそうでもないと思っている。
だから 「子どもに自由に読ませるべきではない」 とか 「本当に読んでから言っているのか」
ということにも、いうべき反論が見つけられない。
だが、そんな私でも、今日の朝日新聞の記事はびっくりした。
「はだしのゲン」を書架から取り除いただけではなく、借り出した子どもを特定し個別に指導すべきと、
市長が踏み込んできたという。
これは…戦慄する。
「はだしのゲン」は、
どんなに正当な理由があろうと、それなりの理屈が通ろうとも、
理不尽な目に合おうとも、決して戦争をしてはいけない。
ということのほかに何か意味をくっつけることをしてはならない類の本 だと思う。
だから、他に意味をつけない指導はあるのかと思うが、
個別に・・・だって、なんか違うと思う。
教育 て、なんだろう?
日本の教育の力が落ちているのは、基本のこういうところにどうにも不愉快なものがはびこっているせいなのだろう。
これでありなら、学問はなんのために高みを目指すのかわからなくなる。
日本 こんくらいの国なんだ とちょっと、というかものすごくがっかりした。
はだしのゲンのこのようなニュースをはじめて聞いたときに
開いた口が塞がらず出てきた言葉は
「アホか」の一言でした
むしろどんどん読ませるべきでしょう
戦争時代の過去の上に今があることを学ぶべきです
子供には知る権利がある
包み隠さず学ばすべきです
正しいことを自ら考えさすべきです
神戸の児童殺傷事件の犯人が
残虐なマンガなどを読んでいたのは問題にする必要がありますが
はだしのゲンはそれとは違うだろうと大声で言いたい
撃たれるから、撃たれたら死んじゃうから、死んじゃう前に相手を殺すということ。
もし今この国が攻撃されたとしたら死んじゃうんだよ!死ぬのは嫌ででしょうと聞かれたら、そりゃあいやだよと誰でもが答えるだろう。だから憲法の解釈を変えるのは必要だという理論の組み立て方は、あっているようですり替えがある。
まず、戦後日本が目指したのは、国が攻撃されることのないようにすることだったはず。
攻撃されないのだら、死なないはず。
まったく、平行線 ですね。