それぞれの子どもが高校生になり、
それぞれの子どもが初めての体験をしている。
ガールズトークにその話題は尽きなかった。
4回目とはいえ、私も「変わったなあ」ということも多くあり、
よその高校のやり方を新鮮に聞いた。
友人Kが私の意見を求めてきた。
「電子辞書って、どうした?」
そーなんです。
中学時代辞書といえば“国語辞典”と“英和辞典”だったが、
高校生になって“古語辞典”が増えた。
教科も増え、弁当も増え、通学距離もたいていの場合長くなり、
辞書の持ち運びはかなりの重労働・・・ただし、わが末っ子六尺超える大男。
(わが子の通う高校には同じ教室を使う定時制があり、荷物を置いていくことができない。
運動部もすべての道具を毎日運んでいる)
その上、入学時に血圧を測るようにと言われたところびっくり仰天の数値が出て
「運動部に入らないのなら、学校にはちゃりか歩きかで通うように」と言明している。
運動不足の末っ子にちょうど良い負荷がかかっていいぐらいに考えている。
まあ、半分冗談だが、
“辞書”については、上の子どもの時から旦那とはっきりと話し合っている。
紙媒体、電子媒体、どちらにも長所と短所があるのはどなたも認識されていると思う。
その上に私たち夫婦は、電子辞書の歴史が浅いという点に疑問を持っている。
紙辞書を使って学んだ人の“成果”は、長い歴史の中でおおよそこれくらいのという信頼度があると思うが、
電子辞書をはじめから使って学んだ場合の“成果”は、まだつかめていないと私は考えている。
これまで電子辞書を使ってきた人は、紙媒体も使いこなせてその上での電子辞書であったはず。
電子辞書を主に使って勉強した場合どうなるかは、今この子たちが育ってみないとわからないのではないだろうか?
それぐらい、紙媒体を使ったものと、電子辞書は別物ととらえている。
受験が大変になって時間が惜しくなったら、
兄ちゃんから電子辞書借りてやるからと、末っ子には説明した。
「だって、高いんだもの!
東京の家にはごろごろと電子辞書があるんだもん!」
とママ友たちには話をした。
友人Kは、子どもはそれを選んだので電子辞書を買ったようだ。
だが、そうなってみると一切紙の辞書を引かないわが子の姿に不安も感じているのだろう。
それはそういう学びの道を歩みだしたのだから、
電子辞書には、この道具特有の短所があると認識しながら進むしかないと思う。
でもね、反面こうも思うのです。
紙辞書だと引っ張るのが面倒くさくて一つも意味を調べないけれど、
電子辞書だったら、ゲーム感覚もあってちょろちょろと調べてみるというのであれば、
はるかにそれのほうがいいに決まっている。
子どもの状況で、何を優先すべきかは違ってくる。
その子にあった学びの道具があっていいから、周りがこうだからというのに流されないことだと考える。
たまたまわが末っ子は辞書三冊抱えて運べる体力があって、
それを嫌がらない気持ちも育っていた・・・ということだ。
その子にあった教育。
それがどんな場合も優先されるべきで、それが教育の理想だろう。
話は飛ぶが橋本君がまたなにやら始めるようで、かの地ではそういうやりかたが必要な状況なのかと、
同じ一つの国の中でもこれほど違うのだから、やっぱりそれぞれなのだ。
それぞれが、それぞれに、のびやかに育つ教育が受けられるように、そういう日本であってほしいものだ。
まるで私のことだ~(笑)
ネットにとびついてわからないことはすぐ検索
子供の頃にインターネットがあれば今頃私の歩む道は違っていたかも(笑)
おもちゃ感覚ゲーム感覚で使えるものは楽しいです
でも昔ながらの辞書をめくる楽しさも知っていますよ
調べたい事以外の事にめぐりあえる偶然の喜びは感動に近いですね
その楽しさは「学びたい」へと変化していくのです
でも今は時間と勝負する時代
ゆっくりと紙の辞書と語り合える暇は学生には無いかもしれませんね
うちの旦那さんは、学生さんに文章の書き方と漢検三級程度の漢字能力を目指して教えているのですが、「物を調べる」という気のない学生がいます。それは哀しいかな、一人二人ではなく、毎年かなりの数に及ぶようです。
漢字の試験では何でも持込可。紙、電子問わず辞書および携帯もOKなのですが、調べることの楽しさを知らない彼らは持ち込むことすらしないそうです。
これはあれやこれや自我が育つ前に、知らないことを知る喜びを経験していないせいだと思います。
知る楽しさ、想像する喜びを知らないのです。
どのような場所でも人は育つから心配はないのでしょうが、知る喜びを学校で経験できなかった人間がいるのは確かです。