上野、東京都美術館でターナー展を見て来ました。
いつもどおり、個人的な、とても偏った感想を書きます。
告白しますと、その作品の大部分が所蔵されているロンドンの「テイト美術館」には行ったはずなのに、まったく覚えてないくらい興味がありませんでした。それは大昔の20歳そこそこだったせいかもしれませんが、いくらイギリスを代表する画家と言われても地味過ぎたのだと思います。
ターナーと言えば「風景画」。自然の崇高=山とか湖とか、それはまだいいとして、「雪崩」「火事の翌日の劇場」「嵐が来る海の漁師」「オーストラリアに渡る女囚人の船が嵐で沈む」などの自然の力の前には人間なんて小さい・・・と言いたげな題材も少なくない。いったい誰がグレーの海で真っ黒な煙りを出す暗い帆船の絵を家に飾りたいのか、と思ってました。
それは今も思ってますが、展示されていた経歴を読み、秘密主義で結婚や子供の誕生も正式記録にない人ながら、得意業の妄想で彼という人を思いめぐらせていたら、暗い絵を含む風景画の中にターナーの気持ちを感じたような気がしました。
まず産まれが床屋の息子ということで、庶民です。でもラッキーなことにロンドンはコベントガーデンという便利な所に産まれたので、子供の時から絵の才能を発揮し正式な美術の学校に入学できたのです。家から通えるとはいえ、学費などはどうしたのでしょうね、その当時。奨学金みたいなものはその頃からあったのか気になります。
庶民の出が、絵の題材に肖像とか宗教とか歴史よりも風景を選ばせたんじゃないでしょうか。画家という職業を選んだら、お金持ちや有力者の肖像画とか、お屋敷や敷地の絵の注文を受けて収入を得るのが近道と思うんですが、直接売るだけではなく、芸術として認められパトロンを得て描いていたのです。展示作品の中に、詩集の挿絵もあり、その詩集もよく売れたそうです。暮らし向きがどうだったかは解説になかったのでわかりませんが、芸術にこだわりながら描き、「自分の力の及ばないもの」を題材に選び続けた。
暗い絵が多い・・・というのは私の感想で、実は「黄色の絵の具を多用する光の画家」なんですよね。それがイタリアの絵に顕著です。さすがの私も暗いという言葉をはさめません(笑)。バチカンの絵も展示されていましたが、それが神の存在よりも太陽の光の存在を感じさせるとは画家が現実的なのか、そう受け取る私がそうなのか。ベネチアの市長の「海との結婚」の儀式の絵など、珍しく歴史的な輝ける題材ですが、これも異国の町や風俗よりも何よりも光が主役でした。そうだ、光が題材でも暗い絵もあったんです!古代ローマで投獄されて目蓋を切り取られた人が外に出された時の眩しい風景というのが!!眩しくても瞬きできずに失明したそうです。そんな恐い話でもその時の光はどんなだったかを描きたいなんて・・・・光フェチ・・・?
ええい、ついでだ、最後の暗い話、ターナーの時代は、ナポレオン戦争がすっぽり重なっています。今回の展示を見ると、トラファルガー海戦の絵はありました。一応時流に乗ってパトロンを獲得したかったようです。しかし自国の英雄ウェリントンの絵は(楽しみにしてたのに)ないのに、なんとナポレオンが。さすがに敵国、セントヘレナに流されて、暗い海辺の砂にぽつんと転がる貝を、皇帝が遠くから見つめている風景です。その寂しい貝と流刑の身の侘しさを重ねていると絵の横の解説にもありました。天下のナポレオンをいくら敵だからってこんなふうに描くなんて、自国の英雄の雄々しい姿でも描いてりゃよかったのに。・・・・性格ひねくれていると思いました!(だからイギリス一人気があるのかも)
展示品に、スケッチブックとターナーが使用していたという絵の具入れもありました。スケッチブックと言っても19 世紀のは、ハードバック本みたいな綴じ方で、金具がついててびしっと綴じることができます。グランドツアー用に移動中でも絵を守るつくりだからあんなに頑丈なのでしょうか。それからチューブ入りの絵の具はターナーの最盛期にはまだ発明されてなく、展示されていた絵の具はガラスの瓶に入っているんだと思って「キレイね」と見ていたのですが、当時何と豚の膀胱に絵の具を入れていたんだそうです(また恐い話だよ~~)その解説を読んでからよくよく見ると、経年で色がこげ茶になってカチカチに固まっているけれど、形状は人工的な形ではなくひとつひとつ違う・・・やはりこれは元豚の・・・・(ぎゃーーーーーー!!!)
光、光、と言われても、私の中では暗い画家、という印象は変わらなかったのですが、今回、とても感心したのは、この展覧会のプレゼンテーションでした。上のタイトル絵はHPから切り取ったのですが、華麗な模様はロココ調フランスのよう。チケットもベビーピンク地にこげ茶のアクセントでしめた洗練されたデザインです。
上の写真はオリジナル・グッズのシールと、レジに置いてあったカード式割引券3種。
他のオリジナル・グッズも、ジンジャーマン・ブレッドやスコーン、おしゃれなパッケージの紅茶などあって、ハイティー好きの心を鷲掴み!リバティとコラボした帆船プリントのトートバッグやブックカバーもかわいいし、帆船柄のシルクのスカーフもオリジナルコラボで作るという力の入れようです。日本の美術館グッズすごいです。
そしてこれが実はお目当てだったという帆船ピンです。
10/24追記書き忘れたいくつか。
ターナーの絵を見てると「光を描こうとした印象派の絵」が頭にちらつくのですが、時代はターナーの方がすごく前なんですよね。パンクな存在だったんですね(笑)。光をどうやって描くが技法を探した習作も今回のターナー展にあり、それがほとんど現代美術みたいなんです。実際には彼の没後に印象派やジャポニズムが現れるんですから現代美術なんてあり得ないんですが。
それから晩年、パトロンのひとりのお屋敷に長期滞在した時期があり、その時に豪華なカントリーハウスや庭を自由に歩き回って絵を描いたそうで、私はダウントンアビーや、インテリア本「A English Room」のような豪華な家や庭をターナーが描いたのだとワクワクして展示を回ったんです。ところが、その部屋の絵というのはA5くらいの小さい水彩画ばかりで、ちっとも豪華さや部屋のつくりはわからず、こちらの想像力を試されているかのようでした。
若い頃、荒れ狂う海の戦艦を描くのには、マストに身体をくくりつけて海と船を見たそうで、その静かな画風からは想像もできない勇気というか、意地というか。彼は絵以外に教育らしいものも受けていないようだし、40歳を過ぎてイタリアやドイツ、スイスと旅行してまた新境地を開拓して。最盛期を過ぎても新技術を模索し、晩年の肖像画の解説によると、一世を風靡した画家に見えなかったそうです。彼は70歳台まで生きて描き続けるんです。しかし最後の20年くらいは、評判は地に落ちていたとのことです。それでもやめない。笑われながらも描くことをやめなかった晩年は絵がどんどん光だけになっていったのは、ふと目が悪くなったんじゃないか、とかも思ったのですが、そういう記述はありませんでした。
いつもどおり、個人的な、とても偏った感想を書きます。
告白しますと、その作品の大部分が所蔵されているロンドンの「テイト美術館」には行ったはずなのに、まったく覚えてないくらい興味がありませんでした。それは大昔の20歳そこそこだったせいかもしれませんが、いくらイギリスを代表する画家と言われても地味過ぎたのだと思います。
ターナーと言えば「風景画」。自然の崇高=山とか湖とか、それはまだいいとして、「雪崩」「火事の翌日の劇場」「嵐が来る海の漁師」「オーストラリアに渡る女囚人の船が嵐で沈む」などの自然の力の前には人間なんて小さい・・・と言いたげな題材も少なくない。いったい誰がグレーの海で真っ黒な煙りを出す暗い帆船の絵を家に飾りたいのか、と思ってました。
それは今も思ってますが、展示されていた経歴を読み、秘密主義で結婚や子供の誕生も正式記録にない人ながら、得意業の妄想で彼という人を思いめぐらせていたら、暗い絵を含む風景画の中にターナーの気持ちを感じたような気がしました。
まず産まれが床屋の息子ということで、庶民です。でもラッキーなことにロンドンはコベントガーデンという便利な所に産まれたので、子供の時から絵の才能を発揮し正式な美術の学校に入学できたのです。家から通えるとはいえ、学費などはどうしたのでしょうね、その当時。奨学金みたいなものはその頃からあったのか気になります。
庶民の出が、絵の題材に肖像とか宗教とか歴史よりも風景を選ばせたんじゃないでしょうか。画家という職業を選んだら、お金持ちや有力者の肖像画とか、お屋敷や敷地の絵の注文を受けて収入を得るのが近道と思うんですが、直接売るだけではなく、芸術として認められパトロンを得て描いていたのです。展示作品の中に、詩集の挿絵もあり、その詩集もよく売れたそうです。暮らし向きがどうだったかは解説になかったのでわかりませんが、芸術にこだわりながら描き、「自分の力の及ばないもの」を題材に選び続けた。
暗い絵が多い・・・というのは私の感想で、実は「黄色の絵の具を多用する光の画家」なんですよね。それがイタリアの絵に顕著です。さすがの私も暗いという言葉をはさめません(笑)。バチカンの絵も展示されていましたが、それが神の存在よりも太陽の光の存在を感じさせるとは画家が現実的なのか、そう受け取る私がそうなのか。ベネチアの市長の「海との結婚」の儀式の絵など、珍しく歴史的な輝ける題材ですが、これも異国の町や風俗よりも何よりも光が主役でした。そうだ、光が題材でも暗い絵もあったんです!古代ローマで投獄されて目蓋を切り取られた人が外に出された時の眩しい風景というのが!!眩しくても瞬きできずに失明したそうです。そんな恐い話でもその時の光はどんなだったかを描きたいなんて・・・・光フェチ・・・?
ええい、ついでだ、最後の暗い話、ターナーの時代は、ナポレオン戦争がすっぽり重なっています。今回の展示を見ると、トラファルガー海戦の絵はありました。一応時流に乗ってパトロンを獲得したかったようです。しかし自国の英雄ウェリントンの絵は(楽しみにしてたのに)ないのに、なんとナポレオンが。さすがに敵国、セントヘレナに流されて、暗い海辺の砂にぽつんと転がる貝を、皇帝が遠くから見つめている風景です。その寂しい貝と流刑の身の侘しさを重ねていると絵の横の解説にもありました。天下のナポレオンをいくら敵だからってこんなふうに描くなんて、自国の英雄の雄々しい姿でも描いてりゃよかったのに。・・・・性格ひねくれていると思いました!(だからイギリス一人気があるのかも)
展示品に、スケッチブックとターナーが使用していたという絵の具入れもありました。スケッチブックと言っても19 世紀のは、ハードバック本みたいな綴じ方で、金具がついててびしっと綴じることができます。グランドツアー用に移動中でも絵を守るつくりだからあんなに頑丈なのでしょうか。それからチューブ入りの絵の具はターナーの最盛期にはまだ発明されてなく、展示されていた絵の具はガラスの瓶に入っているんだと思って「キレイね」と見ていたのですが、当時何と豚の膀胱に絵の具を入れていたんだそうです(また恐い話だよ~~)その解説を読んでからよくよく見ると、経年で色がこげ茶になってカチカチに固まっているけれど、形状は人工的な形ではなくひとつひとつ違う・・・やはりこれは元豚の・・・・(ぎゃーーーーーー!!!)
光、光、と言われても、私の中では暗い画家、という印象は変わらなかったのですが、今回、とても感心したのは、この展覧会のプレゼンテーションでした。上のタイトル絵はHPから切り取ったのですが、華麗な模様はロココ調フランスのよう。チケットもベビーピンク地にこげ茶のアクセントでしめた洗練されたデザインです。
上の写真はオリジナル・グッズのシールと、レジに置いてあったカード式割引券3種。
他のオリジナル・グッズも、ジンジャーマン・ブレッドやスコーン、おしゃれなパッケージの紅茶などあって、ハイティー好きの心を鷲掴み!リバティとコラボした帆船プリントのトートバッグやブックカバーもかわいいし、帆船柄のシルクのスカーフもオリジナルコラボで作るという力の入れようです。日本の美術館グッズすごいです。
そしてこれが実はお目当てだったという帆船ピンです。
10/24追記書き忘れたいくつか。
ターナーの絵を見てると「光を描こうとした印象派の絵」が頭にちらつくのですが、時代はターナーの方がすごく前なんですよね。パンクな存在だったんですね(笑)。光をどうやって描くが技法を探した習作も今回のターナー展にあり、それがほとんど現代美術みたいなんです。実際には彼の没後に印象派やジャポニズムが現れるんですから現代美術なんてあり得ないんですが。
それから晩年、パトロンのひとりのお屋敷に長期滞在した時期があり、その時に豪華なカントリーハウスや庭を自由に歩き回って絵を描いたそうで、私はダウントンアビーや、インテリア本「A English Room」のような豪華な家や庭をターナーが描いたのだとワクワクして展示を回ったんです。ところが、その部屋の絵というのはA5くらいの小さい水彩画ばかりで、ちっとも豪華さや部屋のつくりはわからず、こちらの想像力を試されているかのようでした。
若い頃、荒れ狂う海の戦艦を描くのには、マストに身体をくくりつけて海と船を見たそうで、その静かな画風からは想像もできない勇気というか、意地というか。彼は絵以外に教育らしいものも受けていないようだし、40歳を過ぎてイタリアやドイツ、スイスと旅行してまた新境地を開拓して。最盛期を過ぎても新技術を模索し、晩年の肖像画の解説によると、一世を風靡した画家に見えなかったそうです。彼は70歳台まで生きて描き続けるんです。しかし最後の20年くらいは、評判は地に落ちていたとのことです。それでもやめない。笑われながらも描くことをやめなかった晩年は絵がどんどん光だけになっていったのは、ふと目が悪くなったんじゃないか、とかも思ったのですが、そういう記述はありませんでした。
言っちゃいますが、風景画というジャンルを確立した画家だとのこと。
「真珠の首飾りの女」という映画の時、やはり絵具は自作で豚さんの膀胱に
というくだりがあったと思います。
時代がかなり違いますが、19世紀でも豚の膀胱だったのか。
チュウブ入りとかいつごろからできたんでしょうか?
チュウブ入りの油絵具とは別に固形の水彩絵の具はもうあったのかな?
小説の中に、「ターナーの素描展見に行ったけど、いくつかの作品はさかさまに掛けてあった」というのを読んだ記憶があります。
ターナーの素描や水彩は展示されていましたか?
ベネさんの舞台、来年秋らしいですね。どなたかのレポ期待ですが、楽しみです。
風景画って、そういう用途がありましたね。
リラックスしたい時には風景画ですよ。
宗教画や肖像画では主張が強すぎておちつきませんものね。
この展示は上野の後は神戸に行くそうですので
となるとターナーのかなりの数が10月から4月までずっと日本に?!
その間に白猫さんも訪れるチャンスがありますように♡
逆にロンドンのターナーの展示室はガラーンとしているのですね。
期待して見に行く世界の皆さんスミマセン。。。。
「真珠の・・・」はフェルメールですね?!
(シャーロックファンにとってはバンビューレンスーバーノーヴァ!!)
映画にも出て来るのですか、豚の・・・
19世紀の中頃までターナーは活躍して、そのどこかでチューブ入り絵の具
が発明されたそうです。水彩はどうなのでしょうね???
この展示には水彩絵の具はなかったと思います。
素描や習作は展示されていまして、絵の横の解説には
「ターナーが後生にこうして展示されるとは思わなかったろう」
とありました。
それから習作の中に、3つの風景が1つのキャンバスに描かれたものも
ありまして、どれも水平線や地平線の風景なのですが、
そのうちのひとつは上下が逆さまでした。
まるで抽象画のように描かれた風景もあるので、
そういうのは上下が逆にかけられてもわからないと思いますw
ハムレット、秋という話ですね。ではチケットの売り出しはいつなんでしょう。発表が待ち遠しい気もしますが、私は子供をほおって見にいけないよな、と
すでにあきらめて、やはりレポ待機です!一緒に待ちましょうね。
私はしましまさんと逆で、何故か高校生くらいの時からターナーにだけは意味不明な執着があり、観光旅行でロンドンに行った時も、うんざりするほどターナーが見たい、という理由でテート・ギャラリーまで行ったのに期待した程には展示作品数が多くなくてがっかりした記憶があります――そのくせ、自分がターナーの何にそんなに過剰反応しているのか、未だによく分かりません。
で、今回のターナー展で、今度こそ「うんざり」しよう、と思ったのですが、期待した程には油絵の展示数が少なくて、またしても飢餓感を煽られる結果に終わりました。美術好きの友人に言わせれば、ターナーの油絵なんてどれも似たり寄ったりで退屈、らしいんですが。私一人、何でこんなに執着してるんだろう……?
>いったい誰がグレーの海で真っ黒な煙りを出す暗い帆船の絵を家に飾りたいのか、と思ってました。
うっっっ。白状すればそれは私w 居間はさすがにマズいと思うけど、書斎があったら持って帰って飾りたいです。
>天下のナポレオンをいくら敵だからってこんなふうに描くなんて、自国の英雄の雄々しい姿でも描いてりゃよかったのに。
うっっっっ。あの絵を見た時も、「一人でぽつんと佇む敗軍の将の侘しさ」を感じるより、「何かやけに足が長く描かれてない?」と思うほうが先でした。
やはりわかる人にはわかるものなのですね。
執着してるのはhedgehogさんお一人じゃあないですよ。
OO7やシャーロックにも出て来て、あと前に教えてもらって見に行った
英国水彩画展でも特別な存在感だったので、なぜにそんなに
特別なのかと、今回の展示を見なくちゃいけない!と思ったのです。
そう言えば油絵は確か20点くらいだったかな?
3フロア使っての開催のわりには少なかったですね。
それで習作は小品もたくさん展示して立体的な(よく言えば)紹介に
なっていたのかな。
煙りをはく帆船の絵はお土産に購入されましたか?(笑)
でも本物を見た後にプリントを見るとやはり「違う!」と
思ってしまうので、好きな絵ほどつらいところです。
ナポレオンの脚は、はい!私も全体になんて両親的に美化したのかしら?!と思いました。敵ながらあっぱれ!
美しい皇帝だと、よけいに哀れに感じてそれもつらいです。
出口にあったフライヤーに、好きだったバルチュス展がありました。
昔とても好きだったのですが、ターナー展をしみじみ鑑賞した後に
代表作の印刷された紙を見てなんとなくきれいすぎてもの足りなく
思う自分に驚きました。ターナーが私の何かを変えたんだと思います。
>煙りをはく帆船の絵はお土産に購入されましたか?(笑)
ものすごーーく迷ったんですけど、あの八角形のままで印刷されているものがなかったのでやっぱり止めました。対になっているナポレオンの絵は八角形のもあったのに、この差は何?!
で、代わりにスコーン3個セットとかつい買っちゃって、便乗商法に弱いの何のw
目の前の物と人とローマの町から降り注ぐ光しか見てない感じですよね?!
生涯を通して、光を描くことにしか興味がなかったのかとさえ思いました。
西洋画は(油絵は)重いし、上流のお金持ちの肖像画や個人の邸宅の絵は
その人に興味がなければ、押しが強過ぎるけど、
風景は誰にでも平等に描いたり見ることができて、
浮き世の序列もない世界だなーと、
だからウェリントン描かなかったんだなーっと思いました。
偉い人や神を描いたら讃えないわけにはいかないけど、
実はターナー、そういうの嫌いだったんじゃないかしら。
私が行った時は、実はスコーン3個セットは売り切れでしたよ!!