Sofia and Freya @goo

イギリス映画&ドラマ、英語と異文化(国際結婚の家族の話)、昔いたファッション業界のことなど雑多なほぼ日記

スパークスと私

2022-06-08 20:48:38 | スパークス

エドガー・ライトのドキュメンタリー映画「スパークス・ブラザーズ」を見てから2か月が経ちました。

今までの人生で何度か「スパークスのことを知りたい」と思ったのに、ちょっと調べて『アメリカのバンドである』と読んでは『なんだ・・・』とそこで頓挫しました。そう、私は何気にアメリカ嫌いだったのです。それがドキュメンタリーを見て以来、彼ら自身もまたイギリスのバンドが好きで一度はイギリスで成功したにもかかわらず、3年ほどで排他的なイギリス(特に批評家たち)に見切りをつけ(と同時にヒットが続かなかったこともあり)カリフォルニアに帰った、ということを知り、何だか親近感を覚え私の長かったアメリカ嫌いをついに克服したのです。個人的にこれはまさかの出来事でした。

そもそも、私のスパークスとの出会いは全く音楽のみで、根っからのビジュアル派にしては珍しいことでした。正確な年代は忘れてしまいましたが、たぶん80年代にキラキラ社という劇団のロック・ミュージカルを何度か見に行き、その舞台でスパークスの曲が数曲使われていたのです。

天の歌声とも思えた、摩訶不思議なそれまで聞いたことのない音楽で、劇団の名前と同じく、キラキラと天国の音と歌に聞こえ私の目から星が出ました。で、ミュージシャンの名前がスパークスということだけは劇団のフライヤーか何かでわかったのですが、インターネットもない時代に「アメリカのバンドである」ってことだけは何かで調べて「え・・・」と想定外なことにショボンと探究心が萎みました。

ドキュメンタリーを見てあまりにも何もかもが私好み!と1からアルバムを聴きはじめて驚いたことには、やはり80年代に新宿ツバキハウス(クラブ)の毎週火曜日、ロンドンナイトに遊びに行っていたころ、アーティストは誰だか知らないけどお気に入りが数曲があって、それがかかると絶対に踊りに行ったのがスパークスだったのでした。アルバム「パンツの中の用心棒(ゾウさんの悩み)」の数曲でした。

それとラジオからお気に入りをカセットテープに入れてた中に、アーティスト名不明というのは珍しい(好きな曲名をDJが言うと録音してたから)けど印象に残ってて「なんだこりゃ?」とどのミュージシャンの曲とも違うしジャンルもわからないという曲があり、それもスパークスだったのです。アルバム「No.1イン・ヘブン」の「My Other Voice」でした。ナン10年も忘れていたのに、アマゾン・ミュージックでワイアレス・イアフォンで聴いてカセットテープを思い出したというタイススリップ経験です。

キラキラ社で聞いたのと同じアーティストとは夢にも思いませんでしたが、知らずにスパークスが好きだったことがわかり、ドキュメンタリーのおかげで点がつながったというわけです。

過去にはメロディや音だけで好きだったのが、今は歌詞を読みながら聴いていて、歌詞の内容もツボだった・・・アルバム平均10曲としてもオリジナルアルバム27枚くらいあるので270曲もあるとその歌詞もいろいろなんですが、たいていの曲に1行はツボに入るセンテンスがあるのです。全体が「こういうこと、私も考えてた!」と言うのもありますが。

アルバムは映画のパンフのディスコグラフィー見ただけでも27枚もあり、ライブなどまだ未聴のもありますが年代順にほとんど聞きました。面白いことに、スパークスはスタイルをコロコロ変えるとよく言われるのですけど、流行りの一歩先ということが多く、70年代のグラムと言われた時期、その末期からテクノポップ、80年代のニュー・ウェイブ、90年代〜のクラブで踊る曲・・・アシッドジャズ、ドラムン・ベース・・・と自分が聴いてきた曲を思い出すんですね。

もちろん一貫して同じ兄弟が作ってるのでスパークス節はあるんですけど、50年間時代の気分、トレンドに敏感でもあるのです。それはラッセルの髪型とファッションにも連動しています。ロンも50年間ほぼ変化がないように見えて、ニューウエイブ期には前髪長かったですけどね。

70年代のルックスがメインのポスター部屋に貼ってます。

かわいかったな〜〜〜〜〜

でも現在のスパークス(主にラッセル)を受け入れることは、現在の自分を受け入れることだ、とエイジレス人生の先輩としてこれからついて行きます。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿