白雲去来

蜷川正大の日々是口実

枇杷一度限り。いや「美は」か。

2024-06-02 09:43:56 | 日記

六月一日(土)晴れ。

上の子供が二泊三日で旅行に行くので六時半に起きて玄関で見送り、また布団に入った。

朝食は抜いた。昼は、近所の蕎麦屋に出かけたが、珍しくウェイティングの客が二組。並んでまで入りたくないので、スーパーで天丼セットを買って家に戻った。夜は、エビのニンニク炒め、マグロのズケ、ワカメサラダ、鶏の塩焼き。お供は、野村先生の奥様から頂いた「侍士の門(さむらいのもん)」。酔狂亭にて独酌。

事務所に行く途中に気になっているのが、井土ヶ谷駅近くの街路樹に枇杷の木。かなり実をつけている。にも拘わらず誰もその枇杷を取る気配がない。もちろん、街路樹なのでちゃんとした剪定も管理もしていないために、実があまり大きくない。それでも、いつも「勿体ない」と思って眺めている。

私の子供の頃は、枇杷は高級品で、容易く買えるものではなかった。それでもたまに頂き物を食すると、実の割に種が大きくて、種なんかなければ良いのにと思ったものだ。小学校の同級生に、すばしっこい子がいて、その子は枇杷に限らずサクランボ、柿、木苺のなっている場所をたくさん知っていて、季節になると「マー坊(私のことです)サクランボを食いに行こう」と、連れて行って貰った。枇杷は木の高い所になるので、私には無理だったが、彼はいともたやすく木に登り、枇杷を取ってくる。確か野毛山公園にある枇杷の木だったと記憶している。

誰も取らない街路樹の枇杷を見ると、子供の頃を思い出し、「勿体ない」と思う自分がいる。そして野村先生の著書『美は一度限り』という本が浮かぶ。※写真は街路樹の枇杷。


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