白雲去来

蜷川正大の日々是口実

香港かぁ―。

2024-06-19 15:04:25 | 日記

6月16日(日)曇り。

朝食は、チャーハンに野菜のスープ。昼は抜いた。夜は、牛筋煮、ナスとエリンギのトマトソース煮、マグロのズケ。お供は「黒霧島」。酔狂亭にて独酌。

先日、下の子供が友達と二泊三日で香港のディズニーランドに行ってきた。まあ私としては、折角香港に行くなら町の観光やレパルスベイといった風光明媚な所を回った方が良いと思うのだが、それは年齢差かもしれない。私が、初めて海外に出たのは、平成三年の十二月で四十歳の時だった。先生のお供をして連れて行って頂いた香港で飛行機はキャセイパシフィック。成田空港に行った時に、「北ウイング」の表示を見て、中森明菜さんの同名の歌がオーバーラップした。トランクもレンタル、初めて取得したパスポートを持って、香港に着いた時は、感激したものだった。この頃は、飛行機は禁煙ではなかった。おおらかな時代だった。それから、様々な国へ、随分と旅をしたが、成田空港に行くと、明菜ちゃんのその曲が、今でも脳裏を巡る。しかし残念ながら、まだハワイの地を踏んでいない。いつかは、パールハーバーを訪れてみたいと思っている。

私が子供の頃、外国は本当に遠い国で、まして飛行機で海外に行くなど夢また夢のことだった。稀に、近所の人が海外に行くとなると、母が餞別を届けたことを覚えている。お金持ちの子供が、パンアメリカン航空の水色のショルダーバッグを得意そうにかけていたことも、今では懐かしい話だ。

初めて東京でオリンピックが開催されたのは昭和39年、私は中学の2年生だった。その年、政府関係者か業務、留学に限られていた日本人の海外渡航が「年一回、外貨持ち出し五百ドル」までの制限つきで自由化された。日本旅行業協会によると、自由化一週間後にハワイツアーが組まれ、羽田から飛び立った。ハワイ七泊九日の旅で料金が三十六万四千円。大学卒の国家公務員の初任給が一万九千円の時代、現在の物価に換算すると、何と四百万円になるそうだ。文字通り庶民には高根の花だった。

香港には返還前に2回行った。機会があればまた訪れてみたいと思っている。※平成3(1991)12月20日。香港にて。

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする