白雲去来

蜷川正大の日々是口実

「朝晴れエッセー」が好きだ。

2024-06-18 14:33:15 | 日記

6月15日(土)晴れ後、夜から雨。

朝食は、お粥に子供が買ってきた「奈良漬け」。昼は、冷食の「ちまき」2個。夜は、ナスのかば焼き、ナポリタン、レタスサラダ。お供は「黒霧島」。酔狂亭にて独酌。

以前にも書いたが、朝起きると産経新聞の「朝ばれエッセー」に目を通す。一番左側に、書いた人と年齢が出ているのだが、それを指で隠しながら読む。文脈と内容で大体の年令が分かる。「ああ同輩だな」、「若い人だな」、「年上の方だ」。読み終えて年令を確認すると、ほぼ当たっている。群青の会の大熊雄次さんは、最初に年齢を確認してから読むそうだ。読んでいると、「ああこれは月刊賞の候補になるな」と思う作品は、切り抜いて発表まで取っておく。

5月の月刊賞は、やはり「メジャーリーガーと戦った父」だった。1921年に台湾を訪れたアメリカのメージャーの選手とオール台湾のチームが戦ったそうだ。その折のピッチャーが、投稿した方の父で、当時、台湾の台南で仕事をしていた祖父のアルバムの中に、当時17歳の投稿者の父の姿があった。そのアルバムは野球殿堂博物館から「日本の野球発展を知るうえでの貴重な資料」とされ、寄贈したそうだ。2017年にそのアルバムを持って当時の試合が行われた台湾一中を訪ねた時、「100年前の卒業生の息子が来てくれた」と大歓迎を受けた。歓迎をして頂いた人の中には、当時の台南の市長で現在の台湾の総統である頼清徳氏もいたそうだ。当然ながら文章も上手で、タイムリーでもある。いい作品だった。もう一つは、息子さんを白血病で亡くされた方の話「賢い入院生活」。ぐっと来た。しかし、世の中には文章の上手な人が多い。

他に楽しみにしているのは「満漢あちらこちら」という連載。その連載を読んで知り、買ったのが船尾修という方の『満州国の近代建築遺産』という写真集と『日本人が夢見た満州という幻影ー中国東北部の建築遺産を訪ねて』の二冊。


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知られざる国旗の世界。

2024-06-18 12:16:51 | 日記

6月14日(金)晴れ。

食欲がなく、朝食を抜いた。昼は、自宅でホットドック1本。夜は、お世話になっている方と、西横浜のイタ飯屋さんの「オアジ」にて、世相を肴の一献会。8時過ぎに帰宅。

新聞や週刊誌に月刊誌に掲載されているもので気に入ったものがあると切り抜いてスクラップしている。ほとんど趣味の物が多いが、「心に残る話」や「政治と食」に関するもの。最近では、『週刊新潮』に連載されている「知られざれる国旗の世界」というものをスクラップしていてる。きっかけとなったのは、第二回の「口紅で書いた『日の丸』で乾杯」という一文にいたく感動したからだ。

昭和26(1951)年9月8日、サンフランシスコでの講和条約調印式には吉田茂首相以下、池田勇人(後の首相)らの全権委員が参加した。講和条約に署名した全権団は帰路の飛行機内で、日本の国際社会への復帰と使命達成を祝い、祝杯をあげることになった。「しかし酒はあったが、日の丸がなかった」。そこで乗務員から口紅を借りて、ナプキンに日の丸を描いて、壁に貼って祝杯を上げたそうだ。

講和条約の調印に臨んだ吉田茂首相以下の全権団の心意気が感じられるエピソードだ。しかし、日本の国旗が日の丸でよかった。これが星条旗のようなデザインだったら、簡単に書くことが出来なかっただろう。第三回はウクライナ。その青と黄色の国旗は、今や日本人に知れ渡っている。欧州屈指の穀物地帯であるウクライナの国旗は、麦畑を覆う青空を表しているそうだ。ウクライナの国旗の黄色を見ると、ソフィアローレンが主演した映画「ひまわり」を思い出して、またその映画に現在のウクライナの惨禍が重なり、切なくなる。


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