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ロシアの新婚さんと赤の広場 2015.07.11
5時半のモーニングコールがあったのか、なかったのか、定かでないが、気が付けば6時半。大慌てで6時50分ロビー集合に間に合わせる。昨夜、配られた朝食を空港へのバスの中で食するが、お腹の具合に不安要素が発生。
サンクトペテルブルグの新しいプルコヴォ空港からモスクワ・シェレメーチエヴォ国際空港へは、9時25分発のエアロフロートSU007便で。ONE WORLDサービスを期待したがエアロフロートは加盟していない。
(左)新しい明るいプルコヴォ空港 (中)ロシア土産の民芸品ショウウィンドウ (右)エアロ・フロート機
お腹の具合は、徐々に切迫感を増してきた。モスクワ到着後、荷物が出てくるまでの間トイレに駆け込む。絶対数が少なく、かつさほど綺麗なトイレではない。バスに乗り込み、次は市内の昼食レストランまで我慢、我慢。
ランチ会場への道中、モスクワ川中州に建つピヨートル大帝記念碑
昼食レストランは、Easyという比較的若者好みのレストラン。到着するや早速トイレに駆け込む。ランチメニューは、前菜にサリャーンカという具沢山スープ、メインが魚料理で食後はジャム入りロシアンティー。しかし、ここは誘惑を断ち切ってランチをパス!。一人カウンターに座って熱い紅茶を貰う。添乗員のS嬢やお店の店員もケーキでもどう?と気にかけてくれるが、ここは我慢、我慢。
(左)ランチ会場「Easy」の名刺 (中)具沢山スープのサリャーカ(残念、食べれず) (右)お店の雰囲気
午後は、今日のハイライト「赤の広場」。
モスクワ・オリンピックのマラソン中継で赤の広場やクレムリンの空撮が印象的で、一度見てみたいと思っていたのが実現した。
(左)クレムリンと赤の広場の鳥瞰図 (右)赤の広場の空撮写真(参考)
ロシア語名「「クラスナヤ広場」。「クラスナヤ」は、ロシア語で「赤い」の意、一方古代スラヴ語では「美しい」の意。どちらか言うと「美しい広場」が原義に近いとか。
1493年、モスクワ大公国のイヴァン3世が、居城のクレムリン前の市街地を広場として整備させたのが起源と言われており、1991年クレムリンと共に世界文化遺産として登録されている。
(左)1801年 Fedor_Alekseev作 ロブノエ・メストが強調されている (右)現在の広場(聖ワシリー大聖堂から見た広場)
バスを降りると、広場に向かって緩やかな登り傾斜の石畳が続く。長さは695m、平均道幅は130m、面積は7万3,000㎡で、天安門広場ほど広くはない。様々な国家行事が行われる広場で、この日は撤去されていたがクレムリン側には行事スタンドが配置される。
コの字型の広場は、南西側(左手)にクレムリン (明日行きます)の城壁と城壁に近接するレーニン廟 (レーニンの遺体が保存展示)、北東側(右手)にグム百貨店、北西端(一番奥正面)に国立歴史博物館とヴァスクレセンスキー門 、南東端(右手前)に葱坊主屋根で有名な聖ワシリイ大聖堂 (対モンゴル戦勝記念でイヴァン雷帝が1560年に建設)と処刑場・布告台だったロブノエ・メスト (ステンカ・ラージンもここで処刑)がある。
(左)広場への登り石畳 (中)南西側 クレムリンの城壁 (右)城壁に沿って建つレーニン廟
(左)北西側 国立歴史博物館 右隣に広場入口ヴァスクレセンスキー門 (右)カザンの聖母聖堂
(左)北東側 グム百貨店(3階建て、3つのアーケード) (中)グム百貨店の内部 (右)歴史博物館側から広場を見ると
(左)南東側 聖ワシリー大聖堂(ポクロフスキー聖堂) (中)ロブノエ・メスト (右)対ポーランド軍解放英雄の像
午後の広場は多くの観光客で賑わっており、特にグム百貨店は私のイメージを一新させるほど明るく、楽しいショッピングアーケードを形成している。ここ、グム百貨店でもトイレを拝借、半ドア(ドア下部がオープン)タイプのドアはソ連時代の名残??。ビオフェルミンのお蔭で、少し切迫感がやわらいできた。
土曜日とあってか、広場には挙式前後の新婚さんが多数みられる。ここ、赤の広場はモスクワで結婚式を挙げたロシア人カップルが、挙式後に 訪れる定番地の一つのようだ。
広場で出会った新婚カップルの話によると、最初に結婚宮殿に行って結婚証明書にサインし、ここ赤の広場や雀が丘、戦勝記念公園など市内数ケ所を大型リムジン車でまわり、記念撮影をして、レストランやカフェあるいは自宅で披露宴を行うのが一般的だそうな。
(左)広場で出会った新婚さん (中)百貨店内部でも記念撮影 (右)大型リムジンで市内名所を巡る
赤の広場を後にして向かったのは、新婚さんの言っていた雀が丘。モスクワの街を見下ろす名所のようだが、木々が邪魔をして眺望はいまいち。ここにはモスクワのセブン・シスターズの一つの建物を持つモスクワ大学がある。
セブン・シスターズとは、スターリンが米国の摩天楼に負けじと建設させたスターリン・クラシック様式と呼ばれるビル群で市内に7つある。ソ連時代は官僚や市民のアパートメントとして利用されたが、現在は様々に転用されている。モスクワ大学のそれはその中でも最大級で1953年完成、236mある。
(左)雀が丘に建つモスクワ大学(セブンシスターズの一つ)(中)市内に建つ外務省もその一つ (右)雀が丘からの眺望はいまいち
次に向かったのは、ノヴォデヴィチ修道院という女子修道院。クレムリンの出城の役割を担い城壁に囲まれている。この修道院に隣接する墓地にフルシチョフ、グロムイコ、エリツィン、チェーホフ、ゴーゴリ等著名人が眠っている。
市内各所でよく見かけるのが、レンタル自転車のステーション。修道院前の公園にもステーションがある。ネット予約し、最初30分まで無料、以降課金のようだ。日本より進んでいますね。
(左)ノヴォデヴィチ修道院(クレムリンの出城、城壁に囲まれている) (右)レンタル自転車のステーション
滞在中、一日に一度は雨が降らないと気が済まないらしく、この後の夕食時にタイミングよく雷雨があった。今夕は「スヴォロフ」というお店でキエフ風カツレツをメインとする食事。お腹と相談して外の衣は食べずに中のお肉だけを食べていると、事情をご存知ない人は、どうしたの?と質問攻め。何とかお腹は回復基調になったようだ。
(左)レストラン「スヴォロフ」 (右)前菜のサラダ?
(左)メインのキエフ風カツレツ(ナイフを入れると肉汁が) (右)ロシアンティーとマロージナェ(アイスクリーム)
モスクワでの宿舎は、コスモスという2000室近い部屋を持つ巨大ホテル。様々な人種が宿泊しており、私の部屋の近隣のインド人はパンツ1枚で廊下を闊歩している。ホテルロビーでフェンシングの世界大会のポスターが提示してあったが、帰国後太田選手の優勝を知る。部屋のバスタブに湯栓がないので、湯に浸かることが出来ない。どうもこのホテルでは部屋の湯栓は全て撤去されており、シャワーのみでの利用となっている。
(左)ホテル「コスモス」の名刺 (右)2000室近くある巨大ホテル
(左)ホテルのロビーも広い (右)部屋(設備はいまいち)
(左)翌日から開催される世界フェンシング大会のポスター (右)こんなショーもやってるそうです
明日はいよいよこの度の最終日。クレムリンの探訪だ。完治を願いビオフェルミンを飲んでGood NIght。
ロシアの新婚さんと赤の広場 2015.07.11
5時半のモーニングコールがあったのか、なかったのか、定かでないが、気が付けば6時半。大慌てで6時50分ロビー集合に間に合わせる。昨夜、配られた朝食を空港へのバスの中で食するが、お腹の具合に不安要素が発生。
サンクトペテルブルグの新しいプルコヴォ空港からモスクワ・シェレメーチエヴォ国際空港へは、9時25分発のエアロフロートSU007便で。ONE WORLDサービスを期待したがエアロフロートは加盟していない。
(左)新しい明るいプルコヴォ空港 (中)ロシア土産の民芸品ショウウィンドウ (右)エアロ・フロート機
お腹の具合は、徐々に切迫感を増してきた。モスクワ到着後、荷物が出てくるまでの間トイレに駆け込む。絶対数が少なく、かつさほど綺麗なトイレではない。バスに乗り込み、次は市内の昼食レストランまで我慢、我慢。
ランチ会場への道中、モスクワ川中州に建つピヨートル大帝記念碑
昼食レストランは、Easyという比較的若者好みのレストラン。到着するや早速トイレに駆け込む。ランチメニューは、前菜にサリャーンカという具沢山スープ、メインが魚料理で食後はジャム入りロシアンティー。しかし、ここは誘惑を断ち切ってランチをパス!。一人カウンターに座って熱い紅茶を貰う。添乗員のS嬢やお店の店員もケーキでもどう?と気にかけてくれるが、ここは我慢、我慢。
(左)ランチ会場「Easy」の名刺 (中)具沢山スープのサリャーカ(残念、食べれず) (右)お店の雰囲気
午後は、今日のハイライト「赤の広場」。
モスクワ・オリンピックのマラソン中継で赤の広場やクレムリンの空撮が印象的で、一度見てみたいと思っていたのが実現した。
(左)クレムリンと赤の広場の鳥瞰図 (右)赤の広場の空撮写真(参考)
ロシア語名「「クラスナヤ広場」。「クラスナヤ」は、ロシア語で「赤い」の意、一方古代スラヴ語では「美しい」の意。どちらか言うと「美しい広場」が原義に近いとか。
1493年、モスクワ大公国のイヴァン3世が、居城のクレムリン前の市街地を広場として整備させたのが起源と言われており、1991年クレムリンと共に世界文化遺産として登録されている。
(左)1801年 Fedor_Alekseev作 ロブノエ・メストが強調されている (右)現在の広場(聖ワシリー大聖堂から見た広場)
バスを降りると、広場に向かって緩やかな登り傾斜の石畳が続く。長さは695m、平均道幅は130m、面積は7万3,000㎡で、天安門広場ほど広くはない。様々な国家行事が行われる広場で、この日は撤去されていたがクレムリン側には行事スタンドが配置される。
コの字型の広場は、南西側(左手)にクレムリン (明日行きます)の城壁と城壁に近接するレーニン廟 (レーニンの遺体が保存展示)、北東側(右手)にグム百貨店、北西端(一番奥正面)に国立歴史博物館とヴァスクレセンスキー門 、南東端(右手前)に葱坊主屋根で有名な聖ワシリイ大聖堂 (対モンゴル戦勝記念でイヴァン雷帝が1560年に建設)と処刑場・布告台だったロブノエ・メスト (ステンカ・ラージンもここで処刑)がある。
(左)広場への登り石畳 (中)南西側 クレムリンの城壁 (右)城壁に沿って建つレーニン廟
(左)北西側 国立歴史博物館 右隣に広場入口ヴァスクレセンスキー門 (右)カザンの聖母聖堂
(左)北東側 グム百貨店(3階建て、3つのアーケード) (中)グム百貨店の内部 (右)歴史博物館側から広場を見ると
(左)南東側 聖ワシリー大聖堂(ポクロフスキー聖堂) (中)ロブノエ・メスト (右)対ポーランド軍解放英雄の像
午後の広場は多くの観光客で賑わっており、特にグム百貨店は私のイメージを一新させるほど明るく、楽しいショッピングアーケードを形成している。ここ、グム百貨店でもトイレを拝借、半ドア(ドア下部がオープン)タイプのドアはソ連時代の名残??。ビオフェルミンのお蔭で、少し切迫感がやわらいできた。
土曜日とあってか、広場には挙式前後の新婚さんが多数みられる。ここ、赤の広場はモスクワで結婚式を挙げたロシア人カップルが、挙式後に 訪れる定番地の一つのようだ。
広場で出会った新婚カップルの話によると、最初に結婚宮殿に行って結婚証明書にサインし、ここ赤の広場や雀が丘、戦勝記念公園など市内数ケ所を大型リムジン車でまわり、記念撮影をして、レストランやカフェあるいは自宅で披露宴を行うのが一般的だそうな。
(左)広場で出会った新婚さん (中)百貨店内部でも記念撮影 (右)大型リムジンで市内名所を巡る
赤の広場を後にして向かったのは、新婚さんの言っていた雀が丘。モスクワの街を見下ろす名所のようだが、木々が邪魔をして眺望はいまいち。ここにはモスクワのセブン・シスターズの一つの建物を持つモスクワ大学がある。
セブン・シスターズとは、スターリンが米国の摩天楼に負けじと建設させたスターリン・クラシック様式と呼ばれるビル群で市内に7つある。ソ連時代は官僚や市民のアパートメントとして利用されたが、現在は様々に転用されている。モスクワ大学のそれはその中でも最大級で1953年完成、236mある。
(左)雀が丘に建つモスクワ大学(セブンシスターズの一つ)(中)市内に建つ外務省もその一つ (右)雀が丘からの眺望はいまいち
次に向かったのは、ノヴォデヴィチ修道院という女子修道院。クレムリンの出城の役割を担い城壁に囲まれている。この修道院に隣接する墓地にフルシチョフ、グロムイコ、エリツィン、チェーホフ、ゴーゴリ等著名人が眠っている。
市内各所でよく見かけるのが、レンタル自転車のステーション。修道院前の公園にもステーションがある。ネット予約し、最初30分まで無料、以降課金のようだ。日本より進んでいますね。
(左)ノヴォデヴィチ修道院(クレムリンの出城、城壁に囲まれている) (右)レンタル自転車のステーション
滞在中、一日に一度は雨が降らないと気が済まないらしく、この後の夕食時にタイミングよく雷雨があった。今夕は「スヴォロフ」というお店でキエフ風カツレツをメインとする食事。お腹と相談して外の衣は食べずに中のお肉だけを食べていると、事情をご存知ない人は、どうしたの?と質問攻め。何とかお腹は回復基調になったようだ。
(左)レストラン「スヴォロフ」 (右)前菜のサラダ?
(左)メインのキエフ風カツレツ(ナイフを入れると肉汁が) (右)ロシアンティーとマロージナェ(アイスクリーム)
モスクワでの宿舎は、コスモスという2000室近い部屋を持つ巨大ホテル。様々な人種が宿泊しており、私の部屋の近隣のインド人はパンツ1枚で廊下を闊歩している。ホテルロビーでフェンシングの世界大会のポスターが提示してあったが、帰国後太田選手の優勝を知る。部屋のバスタブに湯栓がないので、湯に浸かることが出来ない。どうもこのホテルでは部屋の湯栓は全て撤去されており、シャワーのみでの利用となっている。
(左)ホテル「コスモス」の名刺 (右)2000室近くある巨大ホテル
(左)ホテルのロビーも広い (右)部屋(設備はいまいち)
(左)翌日から開催される世界フェンシング大会のポスター (右)こんなショーもやってるそうです
明日はいよいよこの度の最終日。クレムリンの探訪だ。完治を願いビオフェルミンを飲んでGood NIght。
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