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旅行記、世相独言

昼なお暗い玄関口 - モスクワ - (異文化体験2 アルコールの旅1)

2010年01月22日 11時42分19秒 | 異文化体験_中・東欧
 2007年11月から掲載してきた「異文化体験」ですが、初期のものは写真のない文章だけのブログでした。ここに改訂版として、写真等を織り交ぜてリニューアルする事にしました。
表題の横に旅行日を書いています。また、写真は原則クリックすると拡大します。
では、ご期待下さい!!



 初めての外国旅行。誰しも不安と興味の入り混じった気持ちで旅立つもの。
38年前のグァムへの新婚旅行から9年後の29年前、ブログ「異文化体験」の2回目は、アルコール燃料を調査するための極寒の欧州出張旅行から始めます。
名づけて「アルコールの旅」。8回に分けて掲載します。           


昼なお暗い玄関口 -モスクワ-    1981.1.24


 異文化との遭遇、幕開けはモスクワから始まる。
と言っても、クレムリンと対面というわけではない。フランクフルトに行くルフトハンザ・ドイツ航空機が給油のためモスクワ空港に立ち寄ったというだけの話である。

 
   (左)ボーイング727                   (右)ボーディングチケット    

 新潟上空からシベリア上空を経て、眼下にオビ河の氷と化した流れを眺め、暫くすると厚い雲海が視界をさえぎる。B727は、いつまでも続くこの厚い雲の中に身を投ずるように下降を始めた。まるでトンネルに入った新幹線のような光景が機窓に続く。20分近くそのような重苦しい状態が続いたであろうか。

 突然、窓の外に黒い雲とは異なる灰色の世界が広がった、晴れた日ならさしずめ一面の銀世界というところだが、黒雲の下では灰色の世界となる。針葉樹の並木がぐんぐん迫ってくるものの、町らしいものは何一つ見えない。それでもB727はまるで原野に不時着するかのように下降を続け、滑走路の端を視界に捉えた瞬間、雪煙をあげて着陸した。

 駐機場への移動の間に見えるターミナルビルは、どこかくすんだ感じの中に赤い色だけが異様に鮮烈である。見慣れぬ赤く塗装された飛行機も共産圏という先入観を掻き立てるに相応しい小道具となっている。

 
(左)機窓から撮ったオリンピックを終えた空港ビル     (右)1959年開港のシェレメーチェヴォ空港(Wikipediaより)


 給油の間の約1時間は、ロビーで待てという。通常貴重品は携行するよう指示されるが、ここではカメラは携行しないほうが良いと言う。

 なにはともあれ、狭い機内から開放された人々は広いトイレで用を足したいのが人情。しかし、数ヶ月前にモスクワ・オリンピックを終えたはずの空港ではあるが、まともな便器が半数とない。しかも、照明は薄暗く、閑散としたビル内にカービン銃を肩にした警察か、軍隊か知らないが、コツコツ足音を響かせて巡回する様は、非常な圧迫感をツーリストに与えるものである。

 ロビーの売店には、重厚かつ実用的な毛皮製品、ウオッカ、タバコ、民芸品等が何の飾りもなく置いてある。2人の女性従業員は積極的に売るでもなく、ただただツーリストのリクエストに応じて通貨両替に余念がない。

 総じて暗いイメージのモスクワ空港、長い重い厳しい冬のなせる業だけでもなさそうな気がする。乗務員交代で当地に留まるはずのノーブラの若いスチュアデス始め、ほとんどの乗務員が何故か機内一番後方座席に私服で乗ってフランクフルトへ向かう。聞くと、ここに泊まりたくないとの返事。それほどにモスクワとフランクフルトは近くて遠いのであろう。




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