鹿児島の自然と食

鹿児島の豊かな自然(風景、植物等)、食べ物、史跡を紹介します。

桜島

2015-06-10 | 風景

宮城県に住む高校の同級生(女性)が、鹿児島に来たので、桜島を案内しました。

 

湯之平展望台から北岳を望む。

 

昭和火口から噴火しました。噴煙の手前は南岳で、昭和火口はその向こうの斜面にあります。

 

湯之平展望台から鹿児島湾と鹿児島市街地を望む。

 

古里温泉にある林芙美子文学碑。

私が仙台に6年間住んでいたとき、彼女もすぐ近所に住んでいて、種子島から遠く離れた宮城県で再会したことを喜び合い、家族ぐるみで親しくさせていただきました。

 

有村溶岩展望所から見た昭和火口の噴火。

 

大正3年の噴火で埋まった黒神埋没鳥居の前で、同級生とご主人です。

ご主人は宮城県の人で、東日本大震災の生々しい被害の話を聞きました。

 

道の駅たるみずで昼食にしました。そこから見た昭和火口の噴火で、この日は彼女たちを歓迎するように何回も噴火しました。

 

平成16年、長渕剛桜島オールナイトコンサートが開かれた会場です。

 

会場にある「叫びの肖像」のモニュメント。

 

フェリー乗り場の近くにある足湯で疲れを取って帰りました。

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御霊神社

2015-06-08 | 史跡

いちき串木野市大里の御霊神社を紹介します。

 

神社は吹上砂丘の上にあり、長い階段を登っていきます。

 

階段を登ったところに、対の仁王像があります。建立は宝暦3年(1753年)です。

 

向かって右の阿像。左腕が欠けています。

 

吽像。これは無傷です。

 

御霊神社拝殿です。

 

本殿。

 

境内の石灯籠。元禄十五年(1702年)九月吉日と刻まれています。

赤穂浪士の討ち入りが同じ年の12月14日ですから、その3ヶ月前で、歴史を感じます。

 

神社の隣にある祠。

 

祠の前の石灯籠。これには天保五年(1834年)二月吉日とあります。

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バイトの思い出(6)

2015-06-06 | エッセイ

家庭教師のアルバイトをしたことがある。

教えたのは、鹿児島で少し名の知れた飲食店を経営している家庭の、小学生の男の子だった。

自宅は、22歳くらいのお手伝いさんが住み込んでいる、鹿児島では上流家庭といっていい家だった。

男の子は、4年生にして早くも算数でつまづいており、はっきり言ってあまり出来のいい子ではなかった。

だからこそ家庭教師を頼んだのであろうが・・・

 

中学2年の兄と高校3年の姉がいたが、姉のほうが

「ここ、教えて」

と言ってくることがあり、時々彼女にも教えた。

体をくっつけるようにして一緒に机に向かい、勉強を教えるときは、少しどきどきした。

ちなみに、姉は東京の有名お嬢様大学へ進学した。

 

その後何十年かして、テレビで「鹿児島のおいしい店」を紹介する番組があり、その店が紹介された。

年老いたお父さんと若旦那が映された。

若旦那は、長男ではなく私が教えた次男のほうだった。

私は、立派に店を継いでいる次男の姿を見て

「あの出来の悪かった子が・・・」

と感慨深いものがあった。

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冠岳の田の神他

2015-06-04 | 田の神

田の神を3体紹介します。

 

いちき串木野市の冠岳温泉の近くにある田の神です。冠岳登山のとき見つけました。

左は、冠岳八十八ケ所第三十二番十一面観世音菩薩です。

 

ペアの田の神です。男女でしょうか。ほのぼのとした雰囲気があります。

 

山と田園風景を眺めています。

 

鹿児島市四元町の田の神です。聖神社の南の道路脇にあります。

 

シキを被り、両手でメシゲを持っています。

 

ワラヅトを背負い、田んぼを見つめています。

 

薩摩川内市の隈之城バイパスに矢武者神社があります。

 

その中に田の神があります。

 

白粉を塗った田の神です。

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馬場尻御仮屋跡

2015-06-02 | 史跡

鹿児島市春山町の馬場尻御仮屋跡を紹介します。

 

馬場尻の通りです。

 

イヌマキのある家。

 

石柱の門の家がありました。

 

前の写真の家です。「一八六七年五月 自宅開放の春山塾寺小屋 四元六兵衛」とあります。明治維新の1年前です。

通りといい、門といい、当時の雰囲気が残っています。

 

民家の庭に芝門石があります。

 

御仮屋の門を「芝御門」といい、そこにあった石です。

 

この坂道を登っていくと、御仮屋跡があります。

 

ここを左へ行きます。

 

御仮屋跡です。

1574年、第16代藩主島津義久が、狩猟の時、宿泊、休憩したところです。

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