竹田神社
2009-12-10 | 史跡
南さつま市加世田の竹田神社を紹介します。
加世田市街地の南の、国道270号脇にあります。

竹田神社拝殿。

うしろの本殿。
竹田神社は、島津忠良(日新公)を祀る神社です。
島津忠良は、伊作(吹上)の領主でしたが、晩年はここ加世田に居住し、77歳で亡くなりました。
54歳のとき、人間の正しい生き方を47首の歌にまとめましたが、これが「日新公いろは歌」です。
この歌は、薩摩藩の教育の柱となりました。

日新公の墓に至る「いにしへの道」の入口。
イヌマキの並木が続きます。

道の両側に、いろは歌の碑が47基並んでいます。

いの一番の歌碑。
「いにしへの 道を聞きても唱へても わが行ひにせずば かひなし」
それはそうですね。

いにしへの道の終点。
この先に日新公の墓があります。

墓の入口に、対の仁王像があります。

右の阿像。
腕が欠けています。

日新公の墓。
加世田は「いろは歌とイヌマキの町」といわれます。
街にも、見事なイヌマキの生垣があります。
加世田市街地の南の、国道270号脇にあります。

竹田神社拝殿。

うしろの本殿。
竹田神社は、島津忠良(日新公)を祀る神社です。
島津忠良は、伊作(吹上)の領主でしたが、晩年はここ加世田に居住し、77歳で亡くなりました。
54歳のとき、人間の正しい生き方を47首の歌にまとめましたが、これが「日新公いろは歌」です。
この歌は、薩摩藩の教育の柱となりました。

日新公の墓に至る「いにしへの道」の入口。
イヌマキの並木が続きます。

道の両側に、いろは歌の碑が47基並んでいます。

いの一番の歌碑。
「いにしへの 道を聞きても唱へても わが行ひにせずば かひなし」
それはそうですね。

いにしへの道の終点。
この先に日新公の墓があります。

墓の入口に、対の仁王像があります。

右の阿像。
腕が欠けています。

日新公の墓。
加世田は「いろは歌とイヌマキの町」といわれます。
街にも、見事なイヌマキの生垣があります。
いにしへの道・・・私もきっと立ち止って同じようなところを撮ると思います。
あるいてみたいです。。
仁王像のお顔は 私たちが西郷さんの顔と思っている薩摩隼人の感じです。
よそで観るのとは少し違う様な気がします。
鹿児島空港 レンタカーのナビ マップコードがないんですよ。(問い合わせしました)
石橋探すの大変です。
橋には住所なんて・・・・
レンタカーのナビに、マップコードがない…
それは困りましたね。
私は、道路地図に石橋の位置を転記して行きます。
これで、たいていの石橋は行けます。
でも、女性の方は、地図を読むのが苦手な方が多く、運転しながら地図を見るのも大変ですよね。
今度は、どちら方面の石橋を訪ねられるのでしょうか。
UP楽しみにしていますよ。
日本の神社は、さまざまな人や物を祀っていますね。
いろいろなものに神が宿るとの考えで、一神教の西洋とは違うところです。