鹿児島市の史跡をいくつか紹介します。
鹿児島市に幕末や明治維新関連の史跡はたくさんありますが、最も人目に付くのがこの像でしょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/b8/46b7a03ed600322d274a1c48fa2fbc8f.jpg)
鹿児島の表玄関、鹿児島中央駅前にある「若き薩摩の群像」。
後ろは、駅ビル、アミュプラザの屋上にある大観覧車。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/0a/914b987eb211efa68c4f30141ebda8ca.jpg)
前の写真の側面。
我が国が鎖国中だった1865年、薩摩藩は国禁を犯して、留学生を海外に渡航させました。
彼ら19名の像がこれです。
イギリス商人グラバーの手引きで、串木野から20日かけてシンガポールに着き、さらに66日かけてロンドンに着きました。
高層ビルや汽車など、見るもの全てが驚きの連続でした。
いつも見ている割には、誰がいるか考えませんでしたが、調べてみました。
主な顔ぶれです。
新納久修(団長、このとき34歳)
町田久成(初代帝国博物館長)
五代友厚(大阪の商工業の発展に尽力し、大阪商業講習所(現・大阪市立大学)を創設)
寺島宗則(医師、通訳、外交と多彩に活躍した)
森有礼(初代文部大臣)
畠山義成(東京開成学校(のち東京大学)初代学長)
村橋久成(北海道開拓につくし、日本で始めて本格的なビールの生産を始めた)
長沢鼎(最年少の13歳で渡航した。アメリカに渡り、ぶどう王と呼ばれた)
後の日本をリードした若きスチューデントパワーです。
像の作者は、昨年文化勲章を受章され、大久保利通像も制作した中村晋哉氏です。
鹿児島市に幕末や明治維新関連の史跡はたくさんありますが、最も人目に付くのがこの像でしょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/b8/46b7a03ed600322d274a1c48fa2fbc8f.jpg)
鹿児島の表玄関、鹿児島中央駅前にある「若き薩摩の群像」。
後ろは、駅ビル、アミュプラザの屋上にある大観覧車。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/0a/914b987eb211efa68c4f30141ebda8ca.jpg)
前の写真の側面。
我が国が鎖国中だった1865年、薩摩藩は国禁を犯して、留学生を海外に渡航させました。
彼ら19名の像がこれです。
イギリス商人グラバーの手引きで、串木野から20日かけてシンガポールに着き、さらに66日かけてロンドンに着きました。
高層ビルや汽車など、見るもの全てが驚きの連続でした。
いつも見ている割には、誰がいるか考えませんでしたが、調べてみました。
主な顔ぶれです。
新納久修(団長、このとき34歳)
町田久成(初代帝国博物館長)
五代友厚(大阪の商工業の発展に尽力し、大阪商業講習所(現・大阪市立大学)を創設)
寺島宗則(医師、通訳、外交と多彩に活躍した)
森有礼(初代文部大臣)
畠山義成(東京開成学校(のち東京大学)初代学長)
村橋久成(北海道開拓につくし、日本で始めて本格的なビールの生産を始めた)
長沢鼎(最年少の13歳で渡航した。アメリカに渡り、ぶどう王と呼ばれた)
後の日本をリードした若きスチューデントパワーです。
像の作者は、昨年文化勲章を受章され、大久保利通像も制作した中村晋哉氏です。
大変なことですね。
鹿児島中央駅に 合計何時間も座っていましたが
観ていません。
会談の方側ですが。。。
まぁ 観ても 分からなかったでしょうけどね。。
鹿児島市民でも、普段は気にもしていないようです。
私も、今回始めて詳しく見て、どんな人がいるか調べてみました。
重野安繹の書があちらこちらで碑に残されています。
コメントありがとうございます。
ブログ拝見しました。
鹿児島市出身の転勤族なんですね。
私も全国を転勤しました。
若き薩摩の群像の青年たちは、日本のあちこちに足跡を残したんですね。
寺島宗則が神奈川県初代の知事だったことは初めて知りました。
観覧車、たしかに史の町鹿児島の景観と合いませんね。
観覧車に傷つける人がいて問題になりました。
今後もよろしくお願いします。