鹿児島の自然と食

鹿児島の豊かな自然(風景、植物等)、食べ物、史跡を紹介します。

何もなかった

2008-10-08 | エッセイ
子供の頃は、高度経済成長前で、日本がまだまだ貧しい時代だった。
種子島の片田舎の我が家には、電気が来ていなかった。
照明は石油ランプだった。
火屋(ほや)磨きが、子供の仕事だった。
子供の小さな手でないと、火屋の中に手が入らないからである。

水道もなかった。
父が自分で掘った井戸を使用していた。
夏は、スイカを放り込んで冷やしていた。
水汲みは、最初撥ねつるべ、その後滑車のつるべ、手押しポンプと変化した。
(注 撥ねつるべ:柱の上に横木を渡し、その一端に石を、他端につるべを取り付けて、石の重みでつるべをはね上げ、水をくむもの)
現在は、モーターのポンプが設置されている。

ガスなどというものはなかった。
煮炊き、風呂と全て薪だった。
薪は、近くの山に行くといくらでもあった。
暖房は、薪を燃やす囲炉裏だった。
煙たかったが、火のぬくもりがあった。

車はもちろん、バイク、自転車もなかった。
遠出や、重い荷物運びは馬だった。
馬は、農耕用・運搬用と、今の耕運機・自動車を兼ねていて、農家には必ず1頭いた。

一般家庭に、電話などない時代だった。
緊急の連絡は電報だった。
夜中に電報配達がくると、決まって悪い知らせだった。

あらゆる電化製品に囲まれ、インターネットで世界とつながり、家族全員がケータイなどという便利なものを所有する今の時代から見れば、隔世の感がある。
しかし、現在のような陰湿ないじめ、登校拒否、引きこもり、ニート、親殺し、子殺し、無差別殺人などというものもなかった。
経済的には貧しくとも、人々の心は決して貧しくはなかった。
コメント (6)
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